本田、今季最終戦後に語る…イタリア移籍4カ月半での苦悩や収穫
18日に行われたセリエA第38節で日本代表MF本田圭佑の所属するミランと、サッスオーロが対戦。ミランが2−1で勝利し、今シーズン最終戦を白星で飾ったが、7位フィニッシュとなり、来シーズンのヨーロッパリーグ出場権獲得とはならなかった。
本田は同試合でベンチスタートとなり、そのまま出場機会はなく、試合を終えた。試合後、記者団の取材に応じた本田は以下のようにコメントしている。
――1月の移籍から5カ月間やってきて、うまくいったところ、いかなかったところ、想像していたことと違っていたところがあると思う。うまくいかなかった部分は?
「まぁ、うまくいかなかったところばかりだったとは思うんですけど、それがわかったことがうまくいったことかなっていう4カ月半だったが、プレーに関してもピッチ外にしても、なかなか自分が思い描いていたものだけとはいかなかった」
――それを克服するには何をすべきか、自分の中で描けているか?
「ええ、自分にできることというのは当然、少なからずともあると思っているので、そこはポジティブにとらえている。自分がこのチームを変えることが不可能だと思ってしまえば、そこで終わってしまうので。4カ月半という時間は非常に短い部分ではあるので、そこに関して言えば、もう少し時間が必要。当然ながらさらに言えば、もう少し時間が経てば、どういう選手が来るだとか、チームの状況も変わってくるというのがあると思う。その時に自分の良さを出せるような状況で自分がプレーできれば、ミランのファンを満足させることができるんじゃないかなと思っている」
――自分のやりたいポジションでできなかったというジレンマは?
「そうですね。それは常にありましたけど、当然ながら今、右でやらされていることは何か意味があるんだな、と捉えてはやっていた。やはり“個”という面では常々、今まで過去4年間ぐらい言ってきたが、ここにきて思うのは、やはり“個”では、この“個”ということにトライしてきても、たった4年間では通用しない。その部分というのは想像していた部分ではあったが、はっきりわかった部分としては、そこを競争する必要はないのかなとも思うようになってきた」
――加入してから監督が2回交代したというのも大きかったか。コンディションの面でロシアでの調整がうまくいかなかったこともあったのか?
「それはないと思います。おそらくチームでフィジカルテストしたら、僕が一番いいと思う」
――クラレンス・セードルフ監督は、『本田はイタリアでのサッカーの戦い方に慣れるのに時間がかかる、時間がかかったと思う』と言っていたが、具体的にイタリアのサッカーのプレースタイル、戦術で苦労した部分は?
「苦労しているところだらけ。まさしく監督の言うとおりで、セリエAらしいなというのはわかっていたけれど、改めて来て、そう思っていて。具体的に言えば、よく言えばやはり戦術的。すごいディフェンスもタフだし、簡単にはやらせないという守備組織がどこのチームにも若干あるのかな、と。悪く言うべきかどうかわからないが、セリエAの特徴としては“出したら動かない”。典型的ですね。『俺は守備するから、出したらお前が行け』みたいな…。そのサッカーに慣れていないがゆえに、僕がそこで何かを起こすことができなくてつぶされた4カ月半だった。『お前、止まるのか? 』だらけでしたね、毎日。でもそこで何かをしないと僕が責められるので。当然、僕の“個”の問題なので。その意味で当然、僕の右サイドで前向きにトライできた4カ月半というのはワールドカップにも活きるはず、と思っている」
――こんなに苦労したシーズンは初めてだったのでは?
「そんなことないんじゃないですか。CSKAで僕がどれだけベンチに座ったか数えてみてください。グランパスでどれだけベンチに座ったか数えてみてください。オリンピックでどれだけうまくいかなかったか。オランダ半年で2部に落ちたし。ガンバジュニアユースからユースに上がれなかったし」
――そういうことが力になり、実績になってきた?
「逆に全然ですよ。結果出せなくても試合に出してもらえたし、セードルフに守られた感があった。もっとメッタ打ちにされるかと思っていたので。その辺、気を利かしてホームであえて出さんようにしてたんかな、とか。ブーイングになるんでね。アウェーでは常に出してもらって、っていうような感じのサイクルが続いていた。たぶんセードルフ、僕そんな話、直接してないですけど、ホームでは『あえて』っていうのがあったのかもしれない。アウェーでの出場ばっかりっていうイメージがあるから」
――アウェーのジェノア戦で初得点を決めた時の気持ちは? ようやく、だった?
「そうですね。(それまで)さんざん外していたのでその点、あの試合では待望の1点だったということは間違いはないです」
――イタリアで一番学んだことは?
「そうですね…(20秒ほど沈黙)。イタリアで学んだこと。このたった4カ月半で何でしょうね、いっぱいあるんですけどね…。改めて、やはり忍耐力というのは大事なんだなと感じた。実践している。口ではなく。実践している4カ月半でした」。
――“個”の部分で競争しなくてはいいと言っていたが、そうなると来シーズンに向けて必要になる“個”ではない部分はどういうところか?
「すごく矛盾しているような言い方だけど、この戦術でこのままいくのであれば、絶対“個”はいる。僕の絵を見よう、見たいと思っている選手がいないので、その場合、僕が歩み寄らないと僕が出られなくなるだけだと思う。それはちょっと状況にはよる」
――言葉の面などでも戦術的なことを監督と話をする、チームメイトにわかってもらうなどの意味でイタリア語を話せないと苦労したか?
「まぁ苦労…? 僕、全くロシア語話せないですけど、そういう意味では通訳はいたが(CSKA監督、レオニド)スルツキのしゃべっていること、僕4年間理解できなかったので。その点、セードルフは英語しゃべれるし、僕も何となくイタリア語がわかる部分もあるので、『またこういう単語言っているな』っていうのもあり、後で人に聞いてみたりして、それなりにセードルフが言っている部分の半分ぐらいはわかるようになってきた」
――アルベルト・ザッケローニ監督に、この4カ月半をどう証言しようと思う?
「証言する必要はないのでは。監督、たぶん調べていると思うので。ピッチ上が全てだと思うので。僕が何もエクスキューズ言う必要もないでしょうし、僕以上に監督がセリエAの状況は知っているでしょうし」
――この4カ月半がブラジル・ワールドカップにつながる力になっているか?
「もちろんです。それは右をやったことでも活きるだろうし、できなかったという悔しさも活きるだろうし、全てを活かすつもりです」
――けがもあり、苦しかった時に支えてくれたファン、家族らがいたのでは?
「皆さんが集中できるように支えてくれた。そこには感謝したいです」
本田は同試合でベンチスタートとなり、そのまま出場機会はなく、試合を終えた。試合後、記者団の取材に応じた本田は以下のようにコメントしている。
――1月の移籍から5カ月間やってきて、うまくいったところ、いかなかったところ、想像していたことと違っていたところがあると思う。うまくいかなかった部分は?
――それを克服するには何をすべきか、自分の中で描けているか?
「ええ、自分にできることというのは当然、少なからずともあると思っているので、そこはポジティブにとらえている。自分がこのチームを変えることが不可能だと思ってしまえば、そこで終わってしまうので。4カ月半という時間は非常に短い部分ではあるので、そこに関して言えば、もう少し時間が必要。当然ながらさらに言えば、もう少し時間が経てば、どういう選手が来るだとか、チームの状況も変わってくるというのがあると思う。その時に自分の良さを出せるような状況で自分がプレーできれば、ミランのファンを満足させることができるんじゃないかなと思っている」
――自分のやりたいポジションでできなかったというジレンマは?
「そうですね。それは常にありましたけど、当然ながら今、右でやらされていることは何か意味があるんだな、と捉えてはやっていた。やはり“個”という面では常々、今まで過去4年間ぐらい言ってきたが、ここにきて思うのは、やはり“個”では、この“個”ということにトライしてきても、たった4年間では通用しない。その部分というのは想像していた部分ではあったが、はっきりわかった部分としては、そこを競争する必要はないのかなとも思うようになってきた」
――加入してから監督が2回交代したというのも大きかったか。コンディションの面でロシアでの調整がうまくいかなかったこともあったのか?
「それはないと思います。おそらくチームでフィジカルテストしたら、僕が一番いいと思う」
――クラレンス・セードルフ監督は、『本田はイタリアでのサッカーの戦い方に慣れるのに時間がかかる、時間がかかったと思う』と言っていたが、具体的にイタリアのサッカーのプレースタイル、戦術で苦労した部分は?
「苦労しているところだらけ。まさしく監督の言うとおりで、セリエAらしいなというのはわかっていたけれど、改めて来て、そう思っていて。具体的に言えば、よく言えばやはり戦術的。すごいディフェンスもタフだし、簡単にはやらせないという守備組織がどこのチームにも若干あるのかな、と。悪く言うべきかどうかわからないが、セリエAの特徴としては“出したら動かない”。典型的ですね。『俺は守備するから、出したらお前が行け』みたいな…。そのサッカーに慣れていないがゆえに、僕がそこで何かを起こすことができなくてつぶされた4カ月半だった。『お前、止まるのか? 』だらけでしたね、毎日。でもそこで何かをしないと僕が責められるので。当然、僕の“個”の問題なので。その意味で当然、僕の右サイドで前向きにトライできた4カ月半というのはワールドカップにも活きるはず、と思っている」
――こんなに苦労したシーズンは初めてだったのでは?
「そんなことないんじゃないですか。CSKAで僕がどれだけベンチに座ったか数えてみてください。グランパスでどれだけベンチに座ったか数えてみてください。オリンピックでどれだけうまくいかなかったか。オランダ半年で2部に落ちたし。ガンバジュニアユースからユースに上がれなかったし」
――そういうことが力になり、実績になってきた?
「逆に全然ですよ。結果出せなくても試合に出してもらえたし、セードルフに守られた感があった。もっとメッタ打ちにされるかと思っていたので。その辺、気を利かしてホームであえて出さんようにしてたんかな、とか。ブーイングになるんでね。アウェーでは常に出してもらって、っていうような感じのサイクルが続いていた。たぶんセードルフ、僕そんな話、直接してないですけど、ホームでは『あえて』っていうのがあったのかもしれない。アウェーでの出場ばっかりっていうイメージがあるから」
――アウェーのジェノア戦で初得点を決めた時の気持ちは? ようやく、だった?
「そうですね。(それまで)さんざん外していたのでその点、あの試合では待望の1点だったということは間違いはないです」
――イタリアで一番学んだことは?
「そうですね…(20秒ほど沈黙)。イタリアで学んだこと。このたった4カ月半で何でしょうね、いっぱいあるんですけどね…。改めて、やはり忍耐力というのは大事なんだなと感じた。実践している。口ではなく。実践している4カ月半でした」。
――“個”の部分で競争しなくてはいいと言っていたが、そうなると来シーズンに向けて必要になる“個”ではない部分はどういうところか?
「すごく矛盾しているような言い方だけど、この戦術でこのままいくのであれば、絶対“個”はいる。僕の絵を見よう、見たいと思っている選手がいないので、その場合、僕が歩み寄らないと僕が出られなくなるだけだと思う。それはちょっと状況にはよる」
――言葉の面などでも戦術的なことを監督と話をする、チームメイトにわかってもらうなどの意味でイタリア語を話せないと苦労したか?
「まぁ苦労…? 僕、全くロシア語話せないですけど、そういう意味では通訳はいたが(CSKA監督、レオニド)スルツキのしゃべっていること、僕4年間理解できなかったので。その点、セードルフは英語しゃべれるし、僕も何となくイタリア語がわかる部分もあるので、『またこういう単語言っているな』っていうのもあり、後で人に聞いてみたりして、それなりにセードルフが言っている部分の半分ぐらいはわかるようになってきた」
――アルベルト・ザッケローニ監督に、この4カ月半をどう証言しようと思う?
「証言する必要はないのでは。監督、たぶん調べていると思うので。ピッチ上が全てだと思うので。僕が何もエクスキューズ言う必要もないでしょうし、僕以上に監督がセリエAの状況は知っているでしょうし」
――この4カ月半がブラジル・ワールドカップにつながる力になっているか?
「もちろんです。それは右をやったことでも活きるだろうし、できなかったという悔しさも活きるだろうし、全てを活かすつもりです」
――けがもあり、苦しかった時に支えてくれたファン、家族らがいたのでは?
「皆さんが集中できるように支えてくれた。そこには感謝したいです」