長野といえば、りんごですね。

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先日、近所の病院で、患者のおばあさんと受付のおばあさんのおしゃべりが聞くとはなしに聞こえてきた。すると、ご近所さんたちの悪口オンパレードの中に、どうにも気になるこんなやりとりがあった。

「まあ、あの人は、長野県人だから(苦笑)」
「ふふ、わかります(苦笑)」

どういうこと!? 自分自身、長野県出身のため、これは聞き捨てならないセリフだが、唐突におしゃべりに割り込むわけにもいかず、なんとなくモヤモヤした気分で帰路に就いた。

そもそも「関西人」のような大きなくくりや、「大阪人」「名古屋人」のようなメジャー都市であれば、俎上に載せられるケースが多いのもわかるが、「長野県人」なんてピンポイントすぎる気がする。

一般的に「長野県人」ってどんなイメージなのか。ときどき言われる「頑固」「生真面目」などのことだろうか。これらも、いつ、どんなきっかけで言われるようになったのか。
『新版 出世・結婚・お金は『県民性』で9割決まる』(監修/プレジデント社)等、県民性研究の第一人者で、ナンバーワン戦略研究所所長の矢野新一さんに聞いた。

長野県は江戸時代、寺子屋の数が日本一だったこと(面積が広いこともある)、明治の就学率が日本一だったことから、『教育県』と言われるようになったと思われます」

日本の各国の人柄や風俗などを記した、今でいう県民性本のはしりのような書物、『人国記』に、こんな記述があるという。
「信濃は武士の気質は天下一なり。もっとも、百姓・町人も律儀なること、伊賀・伊勢・志摩に五畿内を加えたよりも、なお上である。義理が強く臆することもなく、百人のうち九十人は律儀である。たまたま臆病な者がいても、それは他国で云うようなほどではない。もし、卑劣な事を言ったり、卑劣なことをすれば、人は皆、これを憎み付き合わなくなるため、弱々しい人も、後には義理を知るところである。知恵も他国に比べ優れている。辺鄙なところだけに、偏屈な人も多いが、善き気質の人が多い」

「義理が強く」「律義」だったら、良いイメージだが、気になるのは「偏屈」。これはなぜか。
「海沿いの地域の人は、『この海は中国大陸、またはアメリカまで続いている』などと感じるのに対し、内陸県は、『あの山の向こうは○○集落』という感じで、どうしても視野が狭くなります」

その他、一般的に言われる「長野県人の県民性」を挙げてもらった。
「勤勉で誠実で辛抱強い性格。考え方も生活も堅実。お金には細かいが、教育熱心で研究心も旺盛。わが国有数の長寿県(男性1位、女性4位)なのは、暴飲暴食などせず、規則正しい生活を送っているから。理屈っぽく、議論好き、頑固なところもあるため、やや社交性に欠けるのが玉にキズ。また、内陸県だけに融通がきかない、視野が狭いといった一面も。とにかく真面目で正直で曲がったことが嫌い。そのため冗談が通じないことも。この傾向は北部へ行くほど顕著になり、逆に南部に行くとおおらかで情緒的な傾向に。女性はおしなべて正直で誠実な性格。大人しそうに見えても実はタフ。ストレスも溜めない性格だから長生きする」
こうしてみると、個人的には納得できるものばかり。

ちなみに、周囲に「長野県人」のイメージを聞いてみると、挙がったのは「オリンピック」「長寿県」「スキーやスケート」「昔、合宿で行ったことがある」など、「県民性」とは無関係のものばかりだった。

年配層のイメージする長野県の「辺鄙で偏屈」感は、新幹線開通でアクセスが便利になったこと、オリンピックがあったことなどから、開かれたイメージになり、薄らいでいるのだろうか。それとも、尋ねた私に遠慮しただけ……? そして、こんな風にまたしても考え込んでしまうのは、やっぱり長野県人ゆえか。
(田幸和歌子)