履正社vs都立小山台

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松坂大輔に似た両エース

 入場行進のときから21世紀枠で選出された都立小山台の選手たちには多くの拍手が送られていた。試合が始まると三塁側アルプススタンドは大観衆で埋め尽くされ、彼らはピンチの場面では履正社のブラスバントの応援が聴きづらくなるほどの大声援で選手のプレーを後押ししていた。 2003年夏の選手権に東東京代表として甲子園球場に姿を現し、圧倒的人気を誇りながら初戦で大阪代表のPL学園に1対13で完敗した都立雪谷を思い出した。ただ、当時の都立雪谷と今年の都立小山台をくらべると、投手力は今年の都立小山台のほうがワンランク上だった。

 都立小山台・伊藤 優輔(3年)と履正社・溝田 悠人(2年)の両先発は松坂 大輔(現・メッツ)によく似ている。 と言っても、伊藤は横浜高校の松坂、溝田はメッツで先発ローテーション入りをめざしている現在の松坂によく似ているという注釈がつく。どちらがいい投げ方をしているかと言えば、横浜高校時代の松坂のほうがいい投げ方をしていた。つまり、伊藤のほうが投げ方はいい。 無理のない動きでテークバックのときヒジが高い位置に到達しているので、楽に腕を振って投げられるというのが伊藤のいいところだ。さらにリリースまで左肩の開きをぎりぎりのところまで我慢できるというのも得難い長所だ。

 対する溝田は、肩を振ってスリークォーターから投げ込む現在の松坂にそっくりだ。肩を振るので、その反動でどうしても早いうちに左肩が開くというフォーム上の欠点があり、このタイプは普通に投げても右打者の内角方向にストレートが抜けることが多い。ところが溝田はまったく抜けない。それどころかスタメンに5人揃う右打者の内角に腕を振って自身最速の135、6キロのストレートを投げ込んでくる。 変化球はスライダーが主要な武器で、比率でいえばストレートより多いかもしれない。キレはたいしてよくない。キレがよくないのにこの日奪った8三振のうち4個がスライダーによるものだからマジックである。(そのうち3個が右打者から) 内角いっぱいに投じられるストレートの残像が打者の踏み込みを許さず、なおかつ腰の引けた打者を外に逃げるスライダーで引きずり出し、バットで空を切らせる、というのが溝田のピッチングの真骨頂である。

 この溝田は、9回一死まで都立小山台の各打者にヒットを許していない。1回表の2番風間 航(2年)をファーストの失策で出塁させているが、風間も二盗に失敗しているので、9回1アウトまで残塁ゼロのノーヒットノーランが続く。 9回表、先頭の伊関 大地(3年)を見送りの三振に切って取り、私は快挙を確信した。続く8番に左の代打・竹下 直輝(2年)が送られ、この打球が三塁前に転ぶボテボテの内野安打になり快挙は夢となるのだが、残りの二人の打者をゴロアウトに取り、結局27アウト中15個がゴロアウトという快投を演じた。 

 履正社の打者の中では2回に満塁本塁打を放った2番辻 心薫(3年)がよかった。このホームランを打った球はけっして易しいボールではない。内角いっぱいのコースで、これを腕をたたんで押し込んで、ライトポールを巻き込むような軌道でライトスタンドに突き刺した。ふつうの選手ならファウルになる打球である。

 下位打線も充実していて、2回に先制する場面では一死三塁の場面で7番左打者の絹田 翔太(3年)が伊藤のキレのいいストレートを捕手寄りで捕え、再三レフト線に鋭いファウルを放ち、結果的に3ボール2ストレートから四球を選んでいる。1死一、三塁になり後続の8番立石 哲士(3年)、9番溝田も四球を選んで押し出しの先制点を奪い、その後2アウトになってから辻のホームランが飛び出すのだが、伊藤を高い打撃技術で追いつめた末の満塁弾と言ってもいいだろう。

 打者走者の各塁盗塁では履正社が圧倒した。私の全力疾走の基準「一塁到達4.3秒未満、二塁到達8.3秒未満〜」をクリアしたのは都立小山台がゼロだったのに対して履正社は4人5回。都立小山台が全国の強豪校に伍していくためにはこのへんから改革していく必要がありそうだ。

(文=小関 順二)