大学改革の外野意見は的外れ/純丘曜彰 教授博士
/外野で大学改革論がうるさいが、結局、戦後の実業重視の私立は三流のままじゃないか。真の勉強は、知識や技術ではなく、人間としての成長鍛錬。世間から距離を置き、知のリゾート地に遊んでこそ、時代の右往左往に振り回されない見識も身につく。/
ああすべきだ、こうすべきだ、と、うるさい外野連中が多いが、しょせんまともな大学人じゃない。だから、大学というものの根本を理解しておらず、話にならない。学力向上のためには、とか、国際競争のためには、とか、言うが、そんな程度のことのために大学があるわけじゃない。
そもそも大学というものは、その時々の利を追う企業とはまったく別種の存在だ。政治ほどにも変らない。たしかに形式的には文科省の監督下にはあるが、へたに干渉すれば、過去の事例のとおり、かならず禍根を残す。大学の自由は、近代の報道の自由どころか、数千年来の学問思想の自由の伝統の上に成り立っており、三権分立の外、それどころか、国家の外、歴史の外の存在ですらある。
戦後、日本では、就職準備の実業学校みたいな即席大卒製造私立が爆発的にはびこったが、知ってのとおり、結局いまだに三流以下じゃないか。その卒業生は、大卒と言えば大卒だが、それ以上でも、それ以下でもない。それじゃ、やたらいっぱいいるものの、すぐにやられて捨てられる緑色の量産型ザクみたいだ。この場に及んで、まだ、大学は就職だ、実業だ、英語だ、国際化だ、なんて言っている連中は、それなら自分自身でそんな「理想」の大学でも作ってみたらいい。その程度の浅はかな安っぽい「理想」で学生が集められるくらいなら、あの超巨大な即席大学群がこんなに苦労はしていないよ。
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ああすべきだ、こうすべきだ、と、うるさい外野連中が多いが、しょせんまともな大学人じゃない。だから、大学というものの根本を理解しておらず、話にならない。学力向上のためには、とか、国際競争のためには、とか、言うが、そんな程度のことのために大学があるわけじゃない。
戦後、日本では、就職準備の実業学校みたいな即席大卒製造私立が爆発的にはびこったが、知ってのとおり、結局いまだに三流以下じゃないか。その卒業生は、大卒と言えば大卒だが、それ以上でも、それ以下でもない。それじゃ、やたらいっぱいいるものの、すぐにやられて捨てられる緑色の量産型ザクみたいだ。この場に及んで、まだ、大学は就職だ、実業だ、英語だ、国際化だ、なんて言っている連中は、それなら自分自身でそんな「理想」の大学でも作ってみたらいい。その程度の浅はかな安っぽい「理想」で学生が集められるくらいなら、あの超巨大な即席大学群がこんなに苦労はしていないよ。
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