このところのSNSの、特にfacebookの大流行、躍進の背景にあるのは、さまざまな場における人の「承認欲求」が満たされない環境なのでないかと感じている。
人間が幸福感を得る究極的な事象というものは、金銭欲、物欲などでは一切無く、ひとえに他者からの「承認」である。
「いいね!」に隠された中毒性を認識した上で、SNSの使い方を皆さん自身が考えるひとつのきっかけになればいいと思う。


2週間ばかり、facebookもtwitterも利用しない時を過ごした。

色々やりたいことも多く、時間がなかったという事情にしているが、内心の目的は、ある種の中毒になりそうな嫌な感覚があって、一度離れてみようと思った次第。

このところのSNSの、特にfacebookの大流行、躍進の背景にあるのは、さまざまな場における人の「承認欲求」が満たされない環境なのでないかと感じている。

人間が幸福感を得る究極的な事象というものは、金銭欲、物欲などでは一切無く、ひとえに他者からの「承認」である。

近来までの日本の社会システムの中では、比較的容易に「承認欲求」を満たすことができていた。

企業の中においては、置かれた部署で真面目に働き、ある程度のキャリアを積めば、多少の個人差はあってもある程度のポストまでは上ることができた。

年功序列というシステムの中で、一人ひとりの差というものも今ほどは劇的につくことがなく、仕組みの中で承認されているベースができていたと考えられる。

そのことがまた、家庭という身近なコミュニティーの中で「家長」としての威厳を保ち、家族から尊敬される存在でいる根拠になっていたわけである。

しかし、以前当たり前だったそのような環境は、数十年も経たない短い期間を持って終焉を迎え、まったく誰も経験をしたことがない社会システムを試行錯誤しながら進む時代に入ってしまった。

グローバル化の波が、その現象に拍車をかけ、より複雑にすることに貢献している。

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