精鋭が集う「最強オットー軍」のアルプス越境…評判最悪の宿敵「ベレンガーリオ軍」に圧勝する強さのワケ
ヨーロッパ随一の強国は、ひとりの男によって作り上げられた。その名は神聖ローマ帝国初代皇帝・オットー1世。欧州を席巻した苛烈な王の生涯は、戦いの軌跡だった。身内からの反乱にイタリア遠征、そして強敵ハンガリーとの戦争。彼はいかにして数多の勢力を下し、その地位を固めていったのか。
オットー1世の生涯を辿れば、中世ヨーロッパが見えてくる。ドイツの源流・神聖ローマ帝国の歴史を綴った『ドイツ誕生 神聖ローマ帝国初代皇帝オットー1世』から一部抜粋・再編集してお届けする。
『ドイツ誕生 神聖ローマ帝国初代皇帝オットー1世』連載第52回
『「イタリア遠征」を前にしてわずか6歳の息子と共同即位…皇帝の座を目指すオットー1世が打った「最大の布石」』より続く。
最強のオットー軍
961年8月、アウクスブルクに大軍が集結した。
ザクセン、フランケンはオットーの直轄地である。ロートリンゲンは弟のケルン大司教ブルーノが大公を兼ね、オットーのイタリア遠征中の東フランクの摂政を拝命している。それゆえブルーノは親族の一人で彼に忠実なロートリンゲンの貴族ゴットフリートを送ってよこした。バイエルンは甥のハインリヒ喧嘩公が大公であるがこのときわずか6歳。そんなわけでこのイタリア遠征に参加した大公はシュヴァーベン大公ブルヒャルト3世だけである。
つまり今次のイタリア遠征の大軍のほとんどがオットーの息がかかっている部隊と言ってもよいのだ。烏合の衆では決してない。さらにはオットーに服従したばかりのヴェンド人も遠征に加わっている。新参者は忠誠の見せ所と張り切るものだ。
イタリア元王妃アーデルハイト
そしてなんといってもオットーの妃アーデルハイトがこの遠征に同行している。彼女は先のイタリア王妃である。ベレンガーリオとアーダルベルト親子をイタリア王位の簒奪者と指弾するイタリア貴族たちは、アーデルハイトに精神的支柱を見出す。
こういう軍は強い。
もともとベレンガーリオとその妃ウィラは北イタリアではすこぶる評判が悪い。オットー軍はアルプスを越えポー川を下り、ヴェローナの峡谷に差し掛かったところでベレンガーリオの率いる大軍に遭遇した。しかしベレンガーリオ軍は闘う前から内紛でバラバラだった。オットーは難なく敵を打破して進んだ。しかしまたしてもベレンガーリオは逃げ切り、難攻不落のサン・レーオの要塞(サン・マリーの西のモンテフェルトロ湖岸)に立て籠もった。彼の妃ウィラと息子のアーダルベルトとグィード兄弟は、オルタ湖のサン・ギュリオ島の要塞に逃げ込んだ。
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