東京・墨田区で「赤ちゃんポスト」計画が進行中…国内1例目の「病院vs行政」から学ぶ"重大な争点"
■墨田区の病院「24年度内に運用開始」
東京に赤ちゃんポストがつくられると時事通信が報じたのは2023年9月だった。それは錦糸町駅から北へ徒歩10分、墨田区にある民間総合病院・賛育会病院が赤ちゃんポストと内密出産(※)の受け入れを開始するという内容だった。
※母親が病院の予め決められた職員にだけに身元を明かして出産することができる仕組み
この第一報から1年が経った10月末、進捗を病院に確認したところ、「東京都、墨田区、警察、児童相談所、協力団体との協議が進んでいる。2024年度内の運用開始予定に変更はない」との回答を得た。
日本初の赤ちゃんポスト「こうのとりのゆりかご」(熊本市・慈恵病院、以下ゆりかご)には17年間で合計179人の赤ちゃんが預け入れられた。人口が集中する東京に開設されれば、預け入れられる数は格段に多いと予想される。
だが熊本では、運用をめぐって今も病院と行政が対立している。問題は「社会調査」だ。
赤ちゃんポストというと、育てられない事情のある人が匿名で赤ちゃんを預け入れることができる装置だと私たちは思っている。
しかし、実際には、赤ちゃんが預け入れられると、病院は児童相談所と警察に連絡し、児相は赤ちゃんを一時保護後、保護者を探す社会調査を行う。2023年3月31日時点では135件について身元が判明。赤ちゃんは親の暮らす地域の児童相談所に措置移管された(施設養育25、里親9、家庭32、特別養子縁組63)。
※熊本市「こうのとりのゆりかご」第6期検証報告書26Pより
■「病院vs行政」は本来の目的を遠ざける
「匿名性」を譲ることはできないと主張する病院と、児童相談所運営指針に則って「社会調査」を実施するのは児童相談所の責任だとする行政とが対立し、攻防が続いてきた。そしてついに2024年6月には、病院が熊本市長宛に公開質問状を出す事態に発展した。
翻って東京。もし、運用の柱となる病院と行政の関係性がグラつくと、運用は立ちどころに行き詰まり、結果として、孤立した産婦と赤ちゃんの安全を守るという目的は遠ざかってしまうだろう。
本稿では先行する熊本で起きている問題を検証し、これから始まる東京の赤ちゃんポストの期待可能性を考えたい。
■熊本市は社会調査を行う姿勢を崩さず
運営する慈恵病院が熊本市長に公開質問状を提出したのは、ゆりかごの運用状況を検証する市の検証部会が6月に提出した最新の検証報告書に、過去の検証報告書を踏襲して「最後まで匿名を貫くことは容認できない」「社会調査を実施するべき」と明記されたことがきっかけだった(連載第4回)。
それに対し、10月末、熊本市が回答文を発表し、記者会見を行った。熊本市児童相談所の所長は「匿名で預け入れることは許容」するが、その後、預け入れた親を相談につなげる方針を示した。
できる限り親と面会して親がどんな困難に置かれているのか、誰に対して身元を明かしたくないのか、などについて聞き取りを行うとともに、ケースごとに異なる事情に添って、父母等の選択を尊重しながら、こどもの最善の利益が確保できるように支援するという。
また、社会調査についても「法令で義務付けられている」として引き続き行っていくと回答文に記した。
会見で改めて確認されたのは、ゆりかごに預け入れられた赤ちゃんについて、社会調査を実施する方針に変わりはないということだ。
■預け入れる女性の支え方にすれ違い
だが、双方を取材してみると、どうも「社会調査」について設定している範囲や指摘している問題点が、微妙にすれ違っているようなのだ。
慈恵病院側は「身元を突き止めるほどに強権的な調査を行うのは人権上の問題がある」「社会調査には本人の同意を得るべき」とし、他方、児童相談所長は「社会調査はゆりかごに預け入れるほどの深刻な困りごとの内容を知り、支援につなげるためだ」と説明した。
その裏には「親の身元を探し出すことだけを指しているのではない」という意味合いも含まれているが、女性の側に立つ慈恵病院は、「調査内容や目的はケースバイケース」とする児相の判断を信頼していないという根本的な問題が横たわる。
児相長の説明には不明瞭な点が残った。ただし、会見後、市の幹部は「過去には身元を暴くようなやり方もあったようだが、そういうことはやらない方針だ」とも話した。
■検証部会トップの無責任ぶりが露呈
会見には検証部会長の安部計彦氏も同席した。火種となった最新の検証報告書の責任者である(連載第5回)。
安部氏は「匿名性は容認できない」という文言が第1回報告書から続いてきた言葉であることが、「今回、行政の人に確認してもらってはじめてわかった」と発言。過去の検証報告書に目を通しておらず、また、自身が代表者として名前を記した検証報告書の中身を把握していなかったことを悪びれずに話した。
だが、検証報告書は公文書にあたらないのだろうか。ゆりかごは日本の母子保健や福祉行政、女性の尊厳とこどもの権利を根本から問う装置として社会を揺さぶった。そのゆりかごの検証は歴史を記録することそのものだ。
■ゆりかごの歴史は正しく記録されているのか
なお、熊本市は2020年に公文書管理条例を策定し、その目的を次のように記している。
部会長が内容を把握せずに公表した検証報告書が公文書の体を成しているとは言いがたい。にもかかわらず、安部氏は「第6回検証報告書を取り下げるつもりはない」と断言。3年後に予定されている第7回検証報告書の作成にも部会長として携わるという。
次回はゼロから作成するというが、このようなずさんな検証報告書を作成した部会長が、歴史を記録する報告書の責任者として適任なのだろうか。
検証部会は熊本市が設置する社会福祉審議会の部会のひとつであり、検証報告書の作成過程では、熊本市が下書きをつくり、それに部会メンバーが加筆修正をしていた。また、会見で、児童相談所長と検証部会長が互いに発言を補足し合うなど、二者の連携する様子が見受けられた。
そうした事実からは、熊本市と検証部会はほとんど一体の関係性にあると考えられる。これでは検証部会に第三者性を期待することは難しい。さらに、安部部会長の失態は、過去の検証報告書の信頼性にも疑問を生じさせた。
■個人情報の取り扱いについて溝は深まる
熊本市と検証部会による会見が行われた同じ日の午後、慈恵病院も独自に会見を行った。熊本市の回答に対し、理事長の蓮田健氏は反発した。
「ゆりかごに預け入れる女性は、匿名が保障されないとなるとここを頼ることはできません。私たちは預け入れにこられた方と接触できたケースでは、場合によってはお引き止めして事情をお伺いし、児相の方が面会されたこともあります。
そういう状況になったときには、女性に対して、児相の方には個人情報を話さないよう気をつけてください、そうしないと、児相はあなたの居場所を特定する恐れがあります、とお伝えしてきました。今後もそれを続けるよりありません」
一民間病院が赤ちゃんの親に関する秘匿性の高い情報を保持し続けることについては、熊本市と慈恵病院の双方が問題視している。にもかかわらず、「匿名性」をめぐって双方の溝は埋まる気配はない。
■熊本市長が独自でGOサインを出した結果
そもそも熊本市の赤ちゃんポストは、国が突き放す中、当時の幸山政史市長が独自に許可した(連載第6回)。当時、市長には反対する声の方が多く聞こえていたという。
熊本市長の政治判断に対し、赤ちゃんの処遇を担当した熊本県中央児童相談所を所管する熊本県は、当時の潮谷義子知事が、児童相談所運営指針に基づいて社会調査を行うよう現場に指示した。
その後、熊本市が2010年に児童相談所を開設したのを機に、ゆりかごに預け入れられた赤ちゃんに関する業務は熊本県中央児童相談所から熊本市児童相談所に引き継がれた。そして現在に至るまで、ゆりかごに関する行政の業務の全てを熊本市が担っている。
■内密出産が始まり、さらに現場は混乱
2017年に慈恵病院が内密出産の受け入れ意思を表明すると、熊本市は厚労省と法務省に違法性の有無を照会した。厚労省と法務省の回答は赤ちゃんポスト開始前と同様、「違法性はない」。
しかし、熊本市は「現行法に抵触する可能性がないとはいえない」と、病院に対し運営を控えるよう文書で通達した。それでも病院は2021年暮れ、1例目の内密出産受け入れを実施した。
熊本市の現場では、出生届や戸籍の作成といった実務の進め方など、一地方自治体では決められないことが次から次に出てきて混乱を極め、病院と行政の対立は激化した。
約1カ月後、大西一史市長が慈恵病院を訪ね、蓮田理事長と面会。それを機に熊本市は「協力体制」へと方針転換したように表面上は見える。だが、内密出産の赤ちゃんについても熊本市児相は社会調査を実施し、親族の居住地を突き止めている。
■赤ちゃんポストの矛盾は先延ばしに
取材では熊本市が公開質問状への回答を事前に慈恵病院に示していたことがわかった。慈恵病院が反発しないような内容に収めるため、調整を働きかけていたということか。市長が「協力体制」を明言した以上、慈恵病院との対立の表面化は避けたいという意向があったと見るのは、うがち過ぎだろうか。
しかし慈恵病院は、回答書の初案に対し「ゼロ回答だ」と反発。熊本市と検証部会を批判する趣旨の会見用メモを事前に記者クラブと熊本市に送付した。メモには次のように大西市長を批判する内容を記した。
〈本来なら「ゆりかご」の存在理由について原点に立ち戻り、社会調査の目的や内容を整理していただくべきです。慣例事項を変えることにハードルがあるのでしたら、市長さんが主導し決断をなさってください〉
前述した熊本市の会見後、市の幹部に「板挟みになって現場は困っていませんか」と尋ねると、幹部は「熊本市長ほど、こどもの福祉を考えている首長はいない」と否定した。だが、こと社会調査については、ゆりかごを決断した市長は「社会調査についてあまり考えていなかった。でも当然、するべきだと思っていた」(連載第6回)という。
現在の市長も、「日本初の赤ちゃんポスト」を認可した熊本市の市長として、社会調査をどのように設定するのか、自ら判断し、指示することを先延ばしにしてはいないだろうか。
ゆりかごと現行法の間に横たわる矛盾が放置され、その結果、慈恵病院と対峙する熊本市の現場は延々と対立が続いているように見える。
■東京も「社会調査は実施」の方針
さて、東京の赤ちゃんポストは実現するのだろうか。
2024年度末まで半年を切った。東京都の児童相談所が熊本市児童相談所を訪ねたという話や、打ち合わせが順調に進んでいるという情報も耳にする。
東京都の担当課長は、まだ仮の話であり、一般論だと前置きしたうえで、「預け入れられた赤ちゃんは要保護児童という扱いになるので、児童相談所運営指針に基づいて社会調査を行う」「事例を積み重ねながら対応していくことになる」と話した。
東京に赤ちゃんポストができれば、大阪以北に暮らす孤立出産した女性にとっては、熊本まで連れていくよりは負担が軽く預け入れられることになるだろう。だが、女性の側に立てば、熊本であろうと東京であろうと、社会調査は行われ、場合によっては身元が判明する。
■望まぬ妊娠で悩んでいる女性たちへ
いま、妊娠を打ち明けられずに立ち尽くしている人に伝えたい。もしも、あなたが赤ちゃんポストに預け入れることを考えているのなら、勇気を出して、熊本の慈恵病院に内密出産の相談をしてほしい。
そうすれば、安全に出産することができるうえに、赤ちゃんの処遇も行政が現行法に則って適切に対応する。そして、あなたの身元情報の秘密は守られる。
賛育会病院を運営する社会福祉法人「賛育会」も、24年度中に開始する内密出産の一環として、匿名での妊娠相談窓口を設置している。
もし、赤ちゃんポストに預け入れる考えが変わらないのなら、預け入れたあと、あなたの身元は高い確率で判明し、接触されると思ったほうがいい。そのとき、あなたが赤ちゃんを遺棄せずに赤ちゃんポストに連れていったことを福祉行政の人たちが労い、あなたの心身のケアに尽くし、赤ちゃんにとって最善の選択をいっしょに考えてくれることを願う。
だが、現実には福祉行政は極めて属人性に依っている。ゆりかごに預け入れた後に身元を明かして自分で育てる選択をした母親が4年後に娘を虐待死させてしまった事件を忘れることはできない(連載第1回・第2回・第3回)。
この事例では、児童相談所を含む行政は女性に対し加罰的で、複数の部署が関わっていながら母子支援は機能していなかった。
赤ちゃんポストの矛盾が棚上げにされ続けてきた状況を見れば、内密出産の法整備のほうが母子の福祉にかなっているのは明らかだ。なお、内密出産のガイドライン策定に尽力した伊藤孝恵参議院議員(国民民主党)は、来年度中の法案提出に向け、内密出産法の議員立法を準備している。
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三宅 玲子(みやけ・れいこ)
ノンフィクションライター
熊本県生まれ。「ひとと世の中」をテーマに取材。2024年3月、北海道から九州まで11の独立書店の物語『本屋のない人生なんて』(光文社)を出版。他に『真夜中の陽だまり ルポ・夜間保育園』(文芸春秋)。
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(ノンフィクションライター 三宅 玲子)