最悪の場合、『家庭崩壊』…メディアや厚生労働省が推奨する『在宅介護』の絶望的な現実
2015年に厚生労働省が出した統計によれば、日本人が亡くなった場所は病院、自宅の次に、「介護施設」が多くなっている。治療に特化した病院でもなく、住み慣れた自宅でもない「介護施設」で亡くなるとはどういうことなのか。
介護アドバイザーとして活躍し、介護施設で看・介護部長も務める筆者が、終末期の入居者や家族の実例を交えながら介護施設の舞台裏を語る『生活支援の場のターミナルケア 介護施設で死ぬということ』(郄口光子著)より、介護施設の実態に迫っていこう。
『生活支援の場のターミナルケア 介護施設で死ぬということ』連載第12回
『「施設で死にたくない」…突き詰めると見えてくる、“自宅で死ぬ”ために必要な「たった3つのこと」』より続く
理想と現実のギャップが大きい在宅介護
ときどき自宅でのターミナルケアがテレビや雑誌などで紹介されることがあります。その多くの場合、主役はチームの象徴たるお医者さんです。
医師といえば特別な存在で近づきがたいというイメージに反して、穏やかな人格者という雰囲気のお医者さんが家を訪ね、ベッド際で膝を折って「おばあちゃん、お変わりないですか?」と優しく声をかける。そんな場面に心を動かされ、「こんな先生がいたら私だって自宅で親を看取ることができそう」と思う人もいるでしょう。
でも、心優しく何かあればすぐに駆けつけてくれるお医者さんが、いつでもどこでも私たちの身近な存在になるには、まだほど遠いのが現実です。
在宅医療に早くからていねいに関わっているお医者さんも確かにいらっしゃいますが、一部の地域では、往診してもらえたとしても「夜は呼ばないでください」とか「そんなにしょっちゅうは来られませんから、ある程度は家族で頑張っていただかないと……」というお医者さんもいらっしゃると聞きます。
肝心の家族にしても、育児に手がかかる小さな子どもがいる、共働きで日中は介護できる人がいない、物理的な問題としてお年寄りの寝る場所がないなど、自宅での介護を困難にするさまざまな事情を抱えている場合が少なくありません。それでも気力と体力とチームのサポートがあれば、困難ははねのけることができます。
ただし、この3つの要素のうちどれかひとつでも欠けると、たちまち難しくなります。
在宅介護が招く家庭崩壊
もちろん、介護の主体となる人の強い意志があり、さまざまな人の支えもあって困難を乗り越え、自宅でのターミナルケアをやり遂げることが、本当に素晴らしいことには間違いありません。
厚生労働省は医療費や介護保険料の動向と合わせて、在宅介護を推進する方針を定期的に打ち出しています。専門家や文化人の中にも、在宅介護の素晴らしさを主張する人たちがいます。私もそういう声を聞くと、慣れ親しんだ家や地域で最後まで穏やかに過ごすのはたしかに理想的で、在宅介護に関する支援はもっとも重要だと思い、ターミナルケアこそ、自宅で頑張るべきだと思うこともあります。
ですがその一方で、「それにつられるだけではダメだ」と考え直すのです。
なぜなら、前述した3つの条件がそろってはじめて、最後まで充実した介護ができる、つまり自宅でのターミナルケアがまっとうできるケースは、これだけ推奨されてなお、いまだに希なことだという現実が続いているからです。中には特定の個人が重い負担を強いられて病気になったり、介護をめぐって家庭内の雰囲気が険悪になったりして、このままいくと家庭崩壊につながりかねないといったケースもたくさん見聞きしてきました。
『“家族のため”に「死に方」を選ぶ…死を前にした高齢者が頭の中で考えていること』へ続く