上毛電気鉄道上毛線の西桐生駅。駅舎は国の登録有形文化財(記者撮影)

人口約10万人の、決して大きくはない都市でありながら、4つの鉄道事業者、4本の路線が走り、駅の数は15。地方の多くの鉄道が利用者減少に悩む中、潤沢な路線と駅を擁するのが、群馬県桐生市である。

かつて「西の西陣、東の桐生」と呼ばれるほど絹織物の生産地として有名だった桐生は、群馬県で人口が最も多い都市だったこともあるという。

現在は高崎市、前橋市、太田市、伊勢崎市に次ぐ県内5番目の人口規模となっている(「群馬県市町村別住民基本台帳人口と世帯」より、2024年9月末)。

市内に鉄道4路線

JR東日本両毛線、東武鉄道桐生線、上毛電気鉄道上毛線、わたらせ渓谷鉄道わたらせ渓谷線の4つの路線が乗り入れているのは、そんな歴史を反映しているのかもしれない。

【写真を見る】人口規模では群馬県で5番目。だが桐生市内には新桐生・桐生・西桐生の3つのターミナルに4路線が乗り入れてる。隣のみどり市も鉄道が充実(40枚)

群馬県には県内最大の都市の玄関口で、上越新幹線と北陸新幹線が分かれ、JR高崎線・信越本線・上越線などに加えて上信電鉄上信線が乗り入れる高崎駅がある。

ただし桐生市の鉄道ネットワークは、多くの都市とはちょっと違うところがある。その1つは、ターミナルが3駅に分散していることだ。

市の中心駅とされるのは、JR両毛線の桐生駅。1888年に両毛鉄道の駅として開業し、1911年にはわたらせ渓谷線の前身である足尾鉄道が、ここを起点として走りはじめている。その後両線とも国有化され、JR東日本に引き継がれたが、後者は1989年に第三セクター化され、わたらせ渓谷鉄道になっている。


JR両毛線とわたらせ渓谷線が乗り入れる桐生駅の北口(編集部撮影)

路線名のほか、東武鉄道の特急の名前にも使われている両毛とは、古墳時代に現在の群馬県と栃木県の南部を総称して、毛野国と呼ばれていたことに由来する。当時のこの地域には、比較的毛深い人たちが住んでいた、という説もある。

その後この地域は東西に分かれることになり、現在の群馬県の地域が上毛野国、栃木県の地域が下毛野国となり、やがて毛の字が取れて、上野、下野と表すようになった。ただしこの地域は昔から県境を越えた交流があったので、両県にまたがる地域の総称として、両毛という呼び名が使われている。

桐生駅は市の玄関口

桐生市の資料によれば、JR両毛線の桐生駅は、市内の駅で群を抜いて乗降客数が多い。市内で唯一の高架駅で、ホームはわたらせ渓谷線を含めて2面4線あり、駅前広場も広く、市を代表する駅だと感じる。


桐生駅を発車するわたらせ渓谷線の気動車(筆者撮影)

上毛線の駅は、その桐生駅の北300mほどの場所にある西桐生駅で、同線の終点になっている。開業は1928年で、そのときの駅舎が現役であり、国の登録文化財に指定されている。

ちなみに桐生市内で、鉄道関連で国の文化財に指定されているものとしては、西桐生駅の西約1.5kmの渡良瀬川に架かる、同じ上毛線の渡良瀬川橋梁がある。


西側から見た上毛線西桐生駅。プラットホーム上屋も国の登録有形文化財(編集部撮影)

桐生駅の北にありながら、西桐生駅と名乗っているのは、中心市街地の西にあるからだろう。上毛線は起点の中央前橋駅も、JR前橋駅の約1km北に位置しており、中心市街地に近いことから、この駅名になったものと思われる。

西桐生駅と新桐生駅

東武鉄道桐生線の新桐生駅は、JR両毛線・わたらせ渓谷線桐生駅の2kmほど南、渡良瀬川を渡った先にあり、桐生線太田―相老間の開業と同じ1913年に生まれた。新桐生駅は浅草駅から出る特急「りょうもう」の停車駅であり、東京からのアクセスではメインルートになるが、中心市街地に行くにはバスを使うことになる。


東武桐生線の新桐生駅。桐生駅方面と結ぶバスが発着(編集部撮影)

東武鉄道広報部は「延伸を果たした頃は、観光地としての赤城地区への期待が大きかったようです」と説明する。1964年発行の『東武鉄道六十五年史』には早くから赤城山の観光開発を考えていたという記述がある。現在は廃止されてしまったが、たしかに1950年代以降、グループ会社の赤城登山鉄道の手で、ケーブルカーやロープウェイ、リフトの運営を行っていた。

桐生線は当初の軽便鉄道の計画では起点の太田駅と、JR両毛線で桐生駅の西隣となる岩宿駅を結ぶ路線だったが、相老駅まで開通した時点で当時の国有鉄道に接続できるようになったことから、そちらを選んだという経緯のようだ。

六十五年史には「未成区間の笠懸村・岩宿停車場間は、既成区間が足尾鉄道線と相老停車場において接続できることになり、 したがって同線を介して官線との連絡が可能となったため不要」になったとある。

乗換駅は相老駅と赤城駅

桐生線を名乗りながら、なぜ中心市街地から離れているのか。桐生線は太田駅を出ると、途中までは岩宿駅に向かうように進むが、その後S字カーブを描いて新桐生駅を経由し、相老駅に至る。このルートの背景には、前述の計画が関与していたのかもしれない。

このようにターミナルが分散している桐生市内の鉄道だが、一方でJR両毛線以外はほかの駅で乗り換えが可能となっている。

わたらせ渓谷線と東武桐生線は相老駅、上毛線と東武桐生線は隣のみどり市の赤城駅を共有しているし、わたらせ渓谷線の運動公園駅と上毛線の桐生球場前駅は、野球場を含めた桐生市運動公園の両脇にあり、300mほどしか離れていない。


相老駅を出発した東武特急「リバティりょうもう」(筆者撮影)

運動公園のすぐ南では、上毛線がわたらせ渓谷線をオーバーパスする形で立体交差している。運動公園駅からは上毛線の陸橋を見ることができ、その上毛線が地上に降りたところに桐生球場前駅がある。


上毛線とわたらせ渓谷線の立体交差(筆者撮影)

さらに桐生球場前駅の付近では、相老駅でわたらせ渓谷線と分かれた東武桐生線が、上毛線の線路に近づいてくることもわかる。ただしホームがあるのは上毛線だけだ。

ここから赤城駅までの約2kmは、上毛線と東武桐生線の線路が完全に並行している。知らない人は単一路線の複線区間だと思うかもしれないが、進行方向の右側に列車が走ることもあるので、単線並列だとわかる。

東武桐生線のうち相老―赤城間は、他の区間よりかなり遅れて、1932年に開業した。すでにわたらせ渓谷線および上毛線は運行していたので、既存の鉄道用敷地をうまく活用して開業したことがうかがえる。

東武線から上毛線へ直通もあった

現在、東武鉄道は上毛電気鉄道の主要株主になっているが、両社の関係は昔から良好だったようで、東武桐生線が赤城駅に乗り入れた直後から1960年代にかけては、上毛線の中央前橋駅まで乗り入れる列車が存在していた。

ちなみに当初の駅名は新大間々駅で、1950年代に、前述の東武鉄道の赤城山観光開発の一環で、赤城駅に改められた。現在も駅舎には、駅名の上にひらがなで「おおまま」と書かれている。


赤城駅は桐生市の隣、みどり市にある。駅舎には「おおまま」の表記も(筆者撮影)


赤城駅を出て相老駅に向かう東武桐生線の普通電車(筆者撮影)

大間々とは、みどり市になる前のこの地域の町名だ。中心市街地は赤城駅の北側にあり、わたらせ渓谷線の大間々駅がある。ここにはわたらせ渓谷鉄道の本社があり、駅構内には以前活躍していたレールバスなどが展示されている。


みどり市にあるわたらせ渓谷線大間々駅構内の展示車両(筆者撮影)

みどり市を含めたこの地域を訪ねた印象は、とにかく地方としては例外的に鉄道と駅に恵まれているということだ。実際、同じ群馬県の伊勢崎市・太田市・前橋市や栃木県の足利市・佐野市といった近隣の拠点都市へは、すべて乗り換えなしで行ける。

しかしながら群馬県は、自家用車のひとりあたり保有率が全国トップであることでも知られている。それは桐生市やみどり市も例外ではない。それでいて鉄道網も発達しているので、踏切が多く、混雑の原因になっている箇所も見受けられた。

活用しないともったいない

上毛線と東武桐生線は日中はともに1時間に2本(桐生線は特急と普通が各1本)の列車があり、赤城駅での上毛線と東武特急りょうもうとの連絡も考慮されている。


みどり市の赤城駅で出合う上毛線と東武桐生線の電車(筆者撮影)

となると利用者の多いJR両毛線が、日中は1時間に1本というのは気になるし、これだけ充実した鉄道ネットワークを持っているのに、自治体があまりアピールしていないように見えるのは残念に思える。

首都圏からは東武鉄道の特急「りょうもう」でダイレクトにアクセスできるし、事業者が違うこともあって個々の路線に独自の個性がある。せっかく充実した路線網を持っているのだから、鉄道や駅を生かすまちづくりを望みたい。


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(森口 将之 : モビリティジャーナリスト)