人生初動画は再生たった10回…TV業界捨て"異端者"に傾聴する元売れっ子ディレクター、4年で売上700倍の訳
芸能人だけでない。元反社、薬物中毒者、風俗嬢、立ちんぼ、性被害者、犯罪者の身内や側近……。そんなアクが強くて危なっかしい人々の半生を深掘りするYouTubeチャンネルが人気だ。
『街録ch〜 あなたの人生、教えてください〜』(以下、街録)。街録とは、スタジオや屋内ではなく、街中で市井の人にインタビューするという意味のテレビ業界用語だ。
主宰者の三谷三四郎さん(37)はコロナ禍の2020年にスタート以降、有名無名を問わず、のべ600人ほどに取材をしてきた。聞けば、以前は在京キー局で仕事をしていたフリーディレクターだった。そこから転身し、現在の登録者数は150万人を超える。
収入もステータスも安定したテレビの世界から離れ、なぜYouTubeに参入したのか。そしてこれからどこへ向かうのか。「街録」同様に、彼の生い立ちから探ってみた。
■自死をとどまった父、倹約家の母に育てられる
1987年、東京都国立市生まれ。三人きょうだいの真ん中で、父は養護施設の職員で母はパート勤めだった。国立市は文教地区として知られ、周囲には中流以上の家庭の子が多い。だが、三谷さんは3Kの古い家に暮らし、経済的に余裕のない家庭で育ったそうだ。
「同級生の誕生会に行くと、自分は新品の鉛筆と消しゴムぐらいしかプレゼントできないのに、友人たちはその10倍ほどの値段のものを持ってきていました。ああ、うちにはお金がないんだなと実感しました」
父は40代半ばの時、クモ膜下出血で倒れて無職になる。「家の食事が、そこから一挙に質素になったのです」。父は自死を考えて樹海を目指すが、思い直して家に帰ってきた。その後一念発起して、清掃の会社を仲間と立ち上げるが失敗。その上、貯金を切り崩したり、子供の学資保険を解約してギャンブルに使ったり。それゆえ家計は火の車だったが、倹約家の母が必死にやりくりをして支えた。
小中学生時代の三谷さんはそこそこ勉強ができたそう。しかし、あえて進学校を受験せずに確実に受かるランクの高校を経て、法政大学の理系学部に指定校推薦で入学。しかし、家計の状況から、奨学金を受けざるをえなかった。ギャンブル依存症の父の反動なのか、愛する母の苦労を間近に見て育っているせいか、リスクよりも安心を取る「さめた子供だった」と振り返る。
■派遣ADとしてキャリアをスタート。「いいとも」で地獄を見る
もともとテレビっ子で、松本人志著の『遺書』に感動した三谷さんは、将来お笑いやバラエティの番組制作に携わりたいという希望を持つ。しかし、就活時、激戦のキー局の入社試験は全滅。なんとか引っかかったのが、テレビ局や制作会社に人材を派遣する会社で、情報番組のアシスタントディレクター(AD)となる。
「ADはこき使われて死ぬ寸前まで働かされるイメージがありますよね? でも、ルーティンがきっちり決まっている収録番組だったので、そこまでの過酷さはありませんでした。雑用仕事をこなしつつ、先輩が撮影した画像の編集作業を覚えられたのもラッキーでしたね」
そこから確実にステップアップしていくのかと思いきや、次に配属されたのはお昼の国民的バラエティ番組『森田一義アワー 笑っていいとも!』(フジテレビ系列)。そこで本当の地獄を見ることになる――。
「“ザ・AD”の世界が待ち構えていたんです。ほとんど寝る間もなく、奴隷のような仕事をし続けました。しかも生放送ですから、前の現場で覚えたことがあまり活かされません。さらには、放送中にいろんなアクシデントが起こるのですが、何かトラブルが起きれば末端のADのせいにされます。その度に精神的にも肉体的にも上から虐待されて、当時は鬱っぽかった……」
父が病気をして貧乏だった頃よりつらい毎日だったが、「忍耐力がつき、何事にも動じなくなった」という。不幸中の幸いか、配属されて約2年で番組は終了。周囲のスタッフが泣いている中、彼は心の中で「これで地獄から抜け出せる!」と、拍手喝采をしたそうだ。
その後は、また別の番組に配属され、クリエイティブな仕事が増えたので「やっと前向きに仕事ができるようになった」という。
転機はADになって7年目の頃。フリーランスのディレクターに転身したのだ。局をまたいで何本も番組をかけ持ちできたので、月収は50万円に上がり、貯金もできた。大学の奨学金を一括返済できるまでの余裕も生まれた。
しかし、そこでテレビ業界の現実に、直面することになる。
■「縮小再生産」のテレビ番組の世界に嫌気がさす
「たとえばA局の番組を担当して、次にB局の番組のオファーを受けたとします。企画内容はMCが変わっただけで、スタッフもほとんど同じ。要するに視聴率が良かった番組の真似をして、二番煎じの番組を作るみたいな感じです。仕事のかけ持ちができるから実入りはいいけど、そんな番組に自分の貴重な時間を切り売りしていいのかという思いが湧き上がりました。しかも地上波はスポンサーの意向があって番組作りの自由度も低い……。視聴者も馬鹿ではないので、そんな番組はすぐに淘汰されます」
■試しに作ったYouTubeはまさかの10回再生
かたやYouTubeを覗くと、番組コンテンツ作りをしたことがないほとんどシロートの人たちが粗削りながらも想像力を駆使して作品を作っている。しかも、人気のものは再生数が驚くほどあり、コメント覧には称賛の声がずらりと並ぶ。「テレビよりずっと自由度は高くて、楽しい世界なんだ」と愕然とした。
「ならば自分も、と試しに文字アニメのソフトを使って動画に投稿してみたんです。『いきなり100万回再生とか、バズったらどうしよう』なんてこっそり期待していましたが、たった10回再生(苦笑)。まぐれでバズることなんてない厳しい世界だとわかりました。でも、縮小再生産のテレビ番組づくりにはもう嫌気がさしていて」
そんな中で、ディレクターとしてのモチベーションを保ちながら、かかわれる番組があった。
お笑い芸人の東野幸治さんがMCの『その他の人に会ってみた』(TBS系)で、街中で一般人にインタビューをするコーナーを担当。深夜番組で報酬も良くなかったが、変わった人、面白い人、ヤバい人などとの交流や取材は本当に楽しかった。そう、これこそ、街録の原型だが、この番組は早々に打ち切られた。
「もう、自分には金を稼ぐためだけの番組しか残っていませんでした。自分が本当にやりたい番組はカメラ一つと、面白い人さえいれば作れると思ったのです」
■収益は月7000円からスタートし、半年後には60万円にハネた
すでに妻と結婚していたし、もともとリスクヘッジをする慎重な性格。10年以上自分を食べさせてくれたテレビ業界にすぐ見切りをつけず、2020年3月ごろからディレクターとYoutuberの二足の草鞋を履いた。
折しもコロナ禍でテレビの仕事が減った時期だが、月30万〜50万円ほどコンスタントに稼ぎ、余った時間で街録をYouTubeに投稿した。
「最初は月7000円しか収益がなかったのですが、それが次第に1万円、3万円、10万円、30万円と伸びていったんです。半年後には60万円までいったので、これでYouTubeに専念できると決断しました」
なぜ、そこまで順調に伸びたのか?
「当時は毎日投稿していたので、たくさん数を打っていると、何がOKで何がNGなのか傾向が分析できました。当初、バラエティ番組風に出演者をイジっていたのですが、真面目に相手の人生を追求していくほうが、再生回数が回るのだと分かったのです。それにYouTubeはいくら長尺でもいい。街録は、言ってみれば、シンプルなインタビュー形式対談スタイルなので、“ながら聴き”できるのも良かったようです」
街録では、台本も事前打ち合わせもなし。取材対象者の生い立ちから聞き始めて、真摯に耳を傾けるというスタイルが好評を博した。収益60万円超えは、前述の東野さんが自分の番組に特別出演してくれたことも後押しになった。
「インスタグラムのダイレクトメッセージで、東野さんにダメもとでご連絡したところ、私のことを覚えてくださったようで。やりとりをさせていただいているうちに、ノーギャラで出演してくださることになりました。それ以降、東野さんが出ているのだからと信用がついたのでしょう。街録に出たいという要望がぐんと増えたんです」
■凶悪犯罪の関係者、不幸に巻き込まれた人の回が好評
街録の出演者のタイプは大きく3つ。自薦組、他薦組、チャンネル側からのオファー組だ。有名人もいれば、無名の一般人もいる。一般人といっても冒頭の通り、法律スレスレ、パンチの効いた危険人物たちが数多く出演する。
もっとも再生回数があったのはどんな人物か?
「歴史的な凶悪事件の関係者や身内です。オウム真理教の広報をしていた上祐史浩さん(前後編計378万回再生)、和歌山カレー事件の林真須美の長男(全3回379万回再生)などです。さらに、障がい者専用の風俗嬢とか、実父に壮絶な性被害を受けていた女性も、再生回数がすごかった。貧困や家庭環境など、自分ではどうしようもない不幸の渦に巻き込まれていった方の話に、視聴者は心を揺さぶられるようです。
こういう人々の人生にみんな引きつけられるのに、地上波での放送はまず不可能ですからね。有名人では、ガーシー(東谷義和)さん(前後編301万回再生)や中田あっちゃん(中田敦彦、同441万回再生)など、クセの強い人たちの回が人気でした」
一方、とある回では、新宿・歌舞伎町のホームレス立ちんぼが登場。そのうち彼女は覚醒剤の影響か途中から意味不明な発言をして、画像が強制終了した。テレビ番組ではありえないが、三谷流はアリ。「街録は無理にオチを作らないようにしています」
■自分のコメントに納得できないという元反社の回はボツに
街録した後にボツになったことも少なくない。取材後、「真っ当な職場に就職したので、自分の過去を晒されたくない」と連絡してくる人や、「(街録時の)自分のコメントに納得できないから投稿しないでくれ」と話す元反社の人もいたそうだ。
番組タイトルも、ここで文字にするのも憚られるほど刺激的なものが多い。サムネイルという番組トップ画像に使われるので、視聴に誘導するには非常に重要だからだ。しかし「タイトルほど内容が刺激的ではない」「本人の話ではないことをタイトルにうたうな」などとコメント欄に書かれることもある。
番組タイトルを少しだけ紹介すると……。
「オリラジ中田敦彦 松本人志を痛烈批判 吉本幹部から謝罪要求も 絶対謝らなかった訳 取材日2022年12月21日」
「ガーシー東谷義和 一晩で9人抱絶倫 某タレント抱き都落ち 島田伸介にアテンドし… 取材日2022年6月17日」
しかし、こうした編集画像を取材者側に確認用に送ると同時に、タイトルも了承済み。「危ない橋は渡りません」と三谷氏は、ここでもリスク嫌いの面を覗かせる。
元スノーボード・オリンピック日本代表選手の今井メロさんの回のタイトルは「今井メロの35年」。他の回とは違ってタイトルはあっさりしているが、これは本人がNGワードをあらかじめ提示していたため。
それでも視聴者としては逆にシンプルなタイトルに興味を覚えるし、内容も非常に良いものであった(再生回数は平凡だったが)。「整形を繰り返した」と語る今井さんだが、紆余曲折あって、今の生活に凛として立ち向かっている。整形を超えた美しい表情がしっかり映像に収められていた。「画像の編集時に、いい顔を撮れてるとホッとするんですよねえ」。男女関係なく、自分の飾らない生き様を赤裸々に告白してしまう……それこそがインタビュアー三谷さんの真骨頂なのだろう。
■再生回数などの上げ止まり感、番組はどこに向かうか
現在では、法人を立ち上げ、スタッフを雇い、月の売り上げは数百万円ほどにまで成長した。だが、新たな課題にもぶち当たっている。
再生回数や登録者の増加に、上げ止まった感があるからだ。周囲は「なぜ? 番組は好調でしょ?」と言うが、三谷さんはより細かな数字分析をしているので、危機感を抱いている。
さらに新たな取材対象者探しが困難になりつつあるのに、視聴者はよりアクの強い刺激的な人を求める傾向にある。街録の類似番組も増えた。
「自分の番組を真似たような作りの番組はあんまり敵ではないのですが、『PIVOT』(※)のような良質な番組は脅威ですね」
※ビジネス+学びに特化した映像コンテンツ
今と同じスタイルの番組だけではそのうち飽きられてしまう。街中での取材だけではなく、何日かにわたる密着取材も考えているそうだ。テレビから離れたとはいえ、結局同じような悩みに直面しているのだ。
テレビの世界を捨てて、動画の激流に飛び込んで4年。今後、どんな新境地を開拓し、視聴者を楽しませてくれるだろうか。
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東野 りかフリーランスライター・エディター
ファッション系出版社、教育系出版事業会社の編集者を経て、フリーに。以降、国内外の旅、地方活性と起業などを中心に雑誌やウェブで執筆。生涯をかけて追いたいテーマは「あらゆる宗教の建築物」「エリザベス女王」。編集・ライターの傍ら、気まぐれ営業のスナックも開催し、人々の声に耳を傾けている。
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(フリーランスライター・エディター 東野 りか)