※2024年2月撮影

トップ画像は「久我山駅」の橋上駅舎、改札口を出て右手にバリアフリーのエレベーターと南口の階段・エスカレーター(上り)があります。

筆者が「久我山駅」を使っていた1963年(昭和38年)から1977年(昭和52年)の間は、この様な駅ビルはなく、線路北側地上に駅舎があって、南口は存在していませんでした。まぁ、半世紀近く前の記憶なので、覚えておられる方も限られるでしょう。現在の橋上駅舎・駅ビルは2005年(平成17年)に竣工しています。

改札口の左側に北口のエスカレーターと階段、駅ビル全体のエレベーターなどがあります。

※2024年2月撮影

北口を出た場所の眺めです。右にある銀行は、筆者の記憶では「三和銀行」でした。今は「三菱UFJ銀行」のグループになっています。左のチェーン店の場所には、筆者が高校生頃までは駄菓子などを並べた小さなお店がありました。銀行の右には「久我山薬局」がありましたが・・・。郵便ポストだけは昔のままです。(笑)

※2024年2月撮影

駅ビルと北口。筆者の記憶にある「久我山駅」とは全く異なる眺めです。探せば古い写真もあるのですが、デジカメ以前のフィルム時代なのでプリント(懐かしいサービス判!)です。スキャナーが壊れているので残念ですがご覧いただけません。

※2024年2月撮影

小学生時代の記憶では、島式ホームの渋谷側が階段かスロープになっていて、構内踏切を北側に渡ると改札口がありました、踏切の脇には小さなスペースがあって子供の銅像があったコトも覚えています。

発見しました!

※2024年2月撮影

小スペースに設置されていた銅像が南口に飾られていました。1957年(昭和32年)に設置された「明日へのちかい」(遠藤松吉作)。2006年(平成18年)にここに移設されています。

元に戻って、北口前から踏切、南口の方を見ています。

※2024年2月撮影

北側を見ています。筆者は、ここを北上した杉並区立の中学校に通っていましたか。3年間通った懐かしい通学路です。

※2024年2月撮影

かつての通学路を歩いてみたくなりました。昔、右に「久江」という定食屋があって何度か食べた記憶があります。左の角は今でも酒屋さんです。

※2024年3月撮影

緩い坂を登ります。この左側に「バッタ品」をならべた不思議なお店がありました。筆者は、中華人民共和国製の「英雄」という激安万年筆をここで買って愛用していました。半世紀前ですが380円だったかな・・・。

※2024年3月撮影

坂の上、真っ直ぐ行くと筆者が通っていた中学校があります。道を左折すると同級生のT君の家の前を通って「ピーコックストア」の上にあった駐車場に出ました。しかし住宅街の眺めが変わっています。

※2024年3月撮影

Uターンして、坂の下を西に歩いています。

※2024年3月撮影

右側には小さな書店がありましたが、70年代初頭に閉店しました。同窓生の実家でした。

(写真・文/住田至朗)

※駅構内などは京王電鉄さんの許可をいただいて撮影しています。

※鉄道撮影は鉄道会社と利用者・関係者等のご厚意で撮らせていただいているものです。ありがとうございます。

※参照資料

・『京王ハンドブック2022』(京王電鉄株式会社広報部/2022)

・京王グループホームページ「京王電鉄50年史」他

下記の2冊は主に古い写真など「時代の空気感」を参考にいたしました

・『京王電鉄昭和〜平成の記録』(辻良樹/アルファベータブックス/2023)

・『京王線 井の頭線 街と駅の1世紀』(矢嶋秀一/アルファベータブックス/2016)