物語を作る際には、主人公やその仲間たちを魅力的なキャラクターにすることも大事ですが、それと同じくらいかそれ以上に、深みがあって魅力的な「悪役」を生み出すことも重要です。悪役が物語上でどのように重要なのか、そして魅力的な悪役を作るためのメソッドについて、作家のミンローズ・グウィン氏が解説しています。

Minrose Gwin on Creating Complex Villains ‹ Literary Hub

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物語には主人公の障害となったり、主人公たちと敵対したり、世界を滅ぼそうとしたりする悪役がつきものです。主人公と悪役の対立構造にハラハラさせられるほか、悪役を倒して障害を乗り越えることでカタルシスを感じられます。例えば、映画やドラマを分析するYouTubeチャンネルはディズニー映画に登場する悪役を「追放者」と「暴君」に分類し、「追放者のヴィラン」が悪役の物語ではヒーローが責任感を抱いていく展開を描いており、「暴君のヴィラン」が悪役の物語では主人公の生来の個性が重んじられる傾向にあると指摘しているように、ヴィランの性質によって物語の傾向や主人公の性質も影響を受けることになります。

ディズニー映画に登場する2種類の悪役「追放者」と「暴君」の役割とは? - GIGAZINE



悪役を物語に絡めることは重要ですが、かといって悪役をただの障害物、やられ役にしてしまうと、物語に深みがないように感じられることがあります。グウィン氏は「悪役はトラブルを引き起こし、トラブルは良い物語を生み出します。しかし、ただ悪役であるだけでなく、複雑で共感さえ抱かせるような中心人物を創り出す必要があります。これは本当に難しいことです」と述べています。

グウィン氏は、20世紀のアメリカ人作家であるユードラ・ウェルティの「フィクション作家は愛を持って書く必要があり、愛があれば、純粋な怒りを持って書くこともできる」という言葉を引用しています。ウェルティは愛と怒りの両方を込めて書くことが、主人公でも悪役でも、特定のキャラクターを「良いところも欠点もある複雑な人間である」と理解する根源になると主張しました。

グウィン氏はウェルティの言葉を受けて、「悪役を作ることに関しては、私は愛よりも怒りを持って書いていました」と述べています。実際に、デビュー作の「The Queen of Palmyra」執筆時には、悪役として登場する殺人者について「悪役を悪役にしすぎている」と編集者に指摘されたそうです。グウィン氏はその理由を「その悪役は、なぜ彼がそのような忌まわしい人物になったのかについての背景も本当の意味もない、安っぽい人物像でした。初期の人物像は、あまりに単純で、予測可能すぎました」と振り返っています。



そこでグウィン氏は、悪役を作る際に自分に問いかけるべき事項を、自身の経験から3点挙げました。

・その悪役は、その人が犯した具体的な悪事や生来の気質など多くの情報を得ている読者でさえも引き込まれるような、魅力的なカリスマ性を持っているか?

・その悪役には、共感性や優しさを失ってしまうある程度理解できる過去があるか?

・その悪役が、人間の悪や不正に対する傾向や弱さといった大きな問題を提起しているか?

3種の問いの中でも、3番目の「悪役は人間の悪や不正に対する傾向や弱さといった大きな問題を提起しているか」が特に重要だとグウィン氏は指摘。私たち全員の中にある悪意や被害者意識といった不快な可能性を喚起するよう努めると、悪役の役割に深みが出ます。そして同時に、ウェルティが言うようにキャラクターを理解しつつ、愛と怒りの両方を込めて書くことができるようになるはずだとグウィン氏は語っています。