オランダの彫刻家テオ・ヤンセン氏が1990年から取り組んでいる「ストランドビースト」という作品は、プラスチックのチューブで骨格のように構成された「人工生命」で、風力によって生物のように歩行します。ストランドビーストは30年以上かけて動きが先鋭化したり全長が巨大化したり、素早く歩行したり飛行したりと進化を遂げてきました。

Strandbeest

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ヤンセン氏は、人工生命の構想を始めてから2021年にストランドビーストが空を飛ぶようになるまでの進化を、以下の13の期間に分けています。

◆01:プレグルトン(Pregluton) 1986〜1989年

ヤンセン氏がストランドビーストの最初期段階として挙げたのは、1986年ごろに抱いた「進化という現象を自分の目で観察したい」という衝動です。ヤンセン氏はストランドビーストの進化そのものは12段階と区分していますが、12段階とは別に、最初は立体物ではなくコンピューターの画面上を移動する「コンピュータウイルス生物」という線を人工生命として構想しており、それがストランドビーストの起源となっています。初期の構想について「当時は、生命について夢見る思いのみがありました」とヤンセン氏は語っています。1986年からヤンセン氏はオランダの全国紙にコラムを寄稿しており、その内容は技術的なアイデアや空想、思索などをランダムに書いていることが多かったとのことですが、その中にストランドビーストの起源である「ストランドローパーズ(Strandlopers)」も含まれていたそうです。

以下は、初期段階のストランドビーストとしてヤンセン氏が示した、当時構想していたコンピューター上の線形生命「ラインビースト」のメモ。



以下は、1989年にヤンセン氏が描いた人工四足動物のスケッチ。初期から「歩行する人工生命」のアイデアがあったことがわかります。ヤンセン氏によると、「歩行」についての情熱は次第に増していき、1990年にプラスチックチューブを手に入れようと動いたことで次の段階に移行したとのこと。



◆02:グルトン(Gluton) 1990〜1991年

ヤンセン氏が1990年に初めてプラスチックチューブで制作したストランドビースト「アニマリス・ヴルガリス(Animaris Vulgaris)」は、ヤンセン氏にとって悲しみとともに思い出すストランドビーストであるそうです。「仰向けに寝ている姿はなんとも哀れに見えました。これを歩かせることができると思ったのは、ある種の非合理的な楽観主義に違いありません」とヤンセン氏は語っています。



アニマリス・ヴルガリスは中央の回転する背骨に小さなチューブでつながれた28本の脚を持っており、チューブは接着テープでつながれていました。サイズは全長2.5m、横幅2m、高さ60cm。ある脚が地面に着いている時は他の脚が持ち上がる設計で、回転しながら連動する複雑な動きにより、横方向に動いていくというアイデアでした。しかし、実際にはあおむけに寝ている時にしか脚を動かすことができず、立ちあがることもできませんでした。そして、粘着テープによる接着は関節と接続部をもろくしており、1年で壊れてしまいました。



◆03:コルダ(Chorda) 1991〜1993年

この期間に生み出された新しいストランドビーストが「アニマリス・カレンス・ヴルガリス(Animaris Currens Vulgaris)」です。ナイロンテープでチューブを縛るように構築することで、全体がより丈夫に改良されています。以下はアニマリス・カレンス・ヴルガリスのスケッチ。



コルダの時期に、ヤンセン氏は新しい歩行システムを開発しています。遺伝的アルゴリズムをコンピューターで計算し、隙間が多く軽い三角構造の脚を構成。脚が軽くなったことで、持ち上げたり前進させたりするのが簡単になりました。しかし、アニマリス・カレンス・ヴルガリスは自立した状態で頭を引くようにすることでぎくしゃくした歩き方をするのみで、自走することはできません。



◆04:カリダム(Calidum) 1993〜1994年

カリダム時代の特徴的な変化は、熱収縮チューブを収縮させる「ヒートガン」の発見です。ヒートガンは骨格の頂点をよりタイトかつ強固にし、より丈夫にすることができる、当時のヤンセン氏にとって革命的なツールでした。カリダム期には「カレンス・ヴェントーサ(Currens Ventosa)」「アリーナ・マレウス(Arena Malleus)」「サブローサ(Sabulosa)」という3種のストランドビーストが制作され、いずれもより動きが活発になったほか、翼を携えることで風を受けて自走するアイデアも誕生しています。ただし、ヤンセン氏によるとこの時期はまだヒートガンの扱いが正しくなく、ジョイントがもろく自立させることも難しかったそうです。以下は1993年のカレンス・ヴェントーサ。48本の脚があり、大きな2つの翼を持っています。



以下は1994年のサブローサ。脚の数を減らして軽量化し、翼を増やすことで、風を受けて砂を掘るようにしながら歩くアイデアです。しかし、実際にはたまにしかうまく動作しなかったとのこと。



◆05:テピディム(Tepideem) 1994〜1997年

テピディム期には、「アンコラ(Ancora)」「プロペランス(Properans)」「プロパガーレ(Propagare)」「ジェネティクス(Geneticus)」「ジェネティクス・オンドゥラ(Geneticus Ondula)」の5機が作られました。プロペランスはその名の通り回転するプロペラがついた機体で、より風を受けやすくなってかなり早く動けるようになりましたが、重すぎてすぐ壊れてしまったそうです。



また、初めて「群れ」の概念が登場したのもこの時期です。ジェネティクスは、実際の動物のように群れることで、簡単に風に飛ばされないように個体同士で保護しあうことができるというアイデアです。



◆06:リグナトゥム(Lignatum) 1997〜2001年

初期のストランドビーストはプラスチックチューブを用いていましたが、この時期は木材をときおり採用しており、「リグナトゥムは不倫の時代でした」とヤンセン氏は語っています。リグナトゥムでは、サイ(Rhinoceros)をイメージした「タブーラ(Tabula)」「ヴルガリス(Vulgaris)」「リグナトゥス(Lignatus)」「トランスポート(Transport)」の4機と、「スピッサ・カルタ(Spissa Carta)」「ルゴーサス・オンドゥラ(Rugosus Ondula)」の補助的な2機が制作されました。以下は、体長8メートル、幅と高さが約5メートル、重量3.2トンある「サイ・トランスポート」をヤンセン氏が引いている画像。



サイ・トランスポートは人が乗り込むことも可能で、風を利用して歩くことができます。かなりスムーズに動くことができましたが、想像以上に速く歩いたため、関節がすぐに壊れてしまったそうです。



「スピッサ・カルタ」は巨大なサイ・トランスポートのスケールモデルとして厚紙で作られたもの。



◆07:ヴェイポラム(Vaporum) 2001〜2006年

折り返しとなる7期目のヴェイポラムでは、ストランドビーストは「動かされる物体」から「自ら動く物体」へと進化しています。6期までのストランドビーストは自走するものでも風にあおられて動いていました。一方で、2002年のルゴサス・ペリスタルティス(Rugosus Peristhaltis)では収縮したり伸びたりしてイモムシのように体を動かす「筋肉」の概念を内包しています。



そこから発展した2003年の「カレンズ・ヴァポリス(Currens Vaporis)」では、翼で風を受けつつ、小さな風を蓄えるようにしながら前身に送りこみ、収縮するチューブの「筋肉」を制御しながらより少ない風でよりスムーズに安定して動かすことに成功しています。



◆08:セレブラム(Cerebrum) 2006〜2008年

この時期は、風を受けて歩行する構造から筋肉まで手に入れたストランドビーストに、神経細胞を追加していく段階です。「ペルシピエール プリムス(Percipiere Primus)」は重い翼を支える構造のほか、長いホースが地面に沿う形で配置されており、ホースが水を吸い込むと方向を変えて水辺に入らないよう動く「感知機能」が実装されています。



◆09:スイシデーム(Suicideem) 2009〜2011年

ヤンセン氏はこの時期を「自己破壊の時代」だと区分。というのも、2009年に作られた「ウメロス(Umerus)」は、風に頼る割合を減らし、肩のような位置にあるポンプで脚を動かして推進することで規則的に動くことができましたが、分厚くて連動性が低いパーツのせいで、自分の背骨をよく折ってしまうという問題点がありました。



全長10m以上と過去最大級の「シャムシス(Siamesis)」も同様で、実験的な動作では理想的に動くものの、浜辺で歩かせると数十秒しかもたずに自己破壊してしまいました。



◆10:アスペルソリウム(Aspersorium) 2012〜2013年

2012年に作成された「アデュラリス(Adularis)」は、尻尾を振りながら歩く機構を持った最初のストランドビーストです。体長約5m、高さ約1.5mと比較的小型で、強風に強い安定感があります。



◆11:オーラム(Aurum) 2013〜2015年

オーラムでは8機のストランドビーストが作られました。とりわけ特徴的なのが「プラウスデン・ヴェラ(Plaudens vela)」で、弱い風でも歩けるようにたくさんの帆を持っています。帆の表面積は大型キャビンヨットの面積に匹敵するとのこと。



また、「アポディアキュラ(Apodiacula)」はプラウスデン・ヴェラの改良版で、スキーストックのような2本のロッドからなる転倒防止構造を備えています。全長は約5m、高さ4mと大きなストランドビーストですが、つえで支えるようにしながらスムーズに動きます。



◆12:ブルークム(Bruchum) 2016〜2019

7期目のヴェイポラムでイモムシのような機構が登場していましたが、それをさらに洗練させて、節を接続して波のように推進していく形に進化しています。以下はブルークム期のストランドビーストのひとつである「ウミナミ(Uminami)」で、角柱状の機体が浜辺をはうようにして、ジョギング程度の速さで前進することができます。



ウミナミが動いている様子は以下のムービーで見ることができます。

UMINAMI 2018 - YouTube

◆13:ヴォラントゥム(Volantum) 2020〜2021年

ストランドビーストは通常、砂を引きずるように歩を進めるため、次第に足元が埋もれていってしまいます。砂に埋もれるのを回避するため、ヴォラントゥムのストランドビーストは、ついに空を飛ぶ手段を手に入れました。最初の空を飛ぶストランドビースト「アデール(Ader)」は、吹き飛んでしまわないよう重りによって安定させながら、約50cmの高さを浮遊します。



アデルが浮遊する様子は、以下のムービーで見ることができます。

Strandbeest Hovering - YouTube

以下の画像は、プレグルトンからヴォラントゥムまでのストランドビーストが進化してきた歴史を、系譜としてまとめたもの。どの機体がいつどのように受け継がれて進化していったのかということがわかります。



2023年夏からヤンセン氏が取り組んでいる「アニマリス・レックス(Animaris Rex)」は、複数のユニットを接続した巨大なストランドビーストです。体長18mのレックスが浜辺をかなりスムーズに歩いている様子は、YouTubeで公開されています。

2023 Animaris Rex - YouTube