▲作家の島田明宏さん

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【島田明宏(作家)=コラム『熱視点』】

 私が好きなアメリカのSFドラマ「スタートレック」で、アンドロイド(人工生命)は「シンス」と呼ばれている。「ヒューマンズ」というSFドラマでも同様だ。これは「人造の、合成の」を意味する「シンセティック(synthetic)」という形容詞から来ているようだ。文法的には、「the」を付けて名詞化するか、後ろに「ヒューマン」や「ヒューマノイド」などの名詞を付けるのが正しいのだろうが、ともかく、言いやすい略称が通称になっているケースは多々ある。

 競馬界に関係する言葉では、獣医師「ベテリナリアン(veterinarian)」を「ベット」と呼ぶ関係者がいる。ただ、一度、私が獣医師本人に「あなたはベットだね」と言ったら微妙に嫌な顔をされたので(ほかの理由の可能性もあるが)、ひょっとしたら三人称的に使うべき言葉なのかもしれない。

 固有名詞では、往年の名騎手エディー・デラフーセイ(Eddie Delahoussaye)氏を、岡部幸雄さんは頭文字から「イー・ディー(E.D.)」と呼んでいた。

 このように、瞬間的に対象を特定できて、さらに、「シンス」なら異質なものに対する恐怖心や違和感、「ベット」なら職能に対する敬意や、馬の故障で呼ばなくてはならないときの気持ち、「イー・ディー」なら親しみといった、いろいろなニュアンスをこめられる略称というのは、一度耳にした人間の記憶に強く定着する力を持つ。

 日本の競走馬でぱっと思い浮かぶのは、順不同で「ステゴ」や「ステイ(ステイゴールド)、「ゴルシ(ゴールドシップ)」「アフゴ(アフリカンゴールド)」「ドリジャ(ドリームジャーニー)」「オルフェ(オルフェーヴル)」と、ステイゴールド自身とその血が入った馬ばかりなのは、その血が伝える気性の激しさと、それが競走能力に転化されたときのとてつもない爆発力ゆえか。これは私の主観によるものだが、その主観が形成されたのは、いろいろなメディアでそれらの名を目にしているからだ。

 実は、アフリカンゴールドが阪神競馬場で誘導馬となり、充実した「第二の馬生」を過ごしているという記事を読み、

――なんか、「アフゴ」だけでいろいろ説明できちゃうよな。

 とつくづく思い、本稿を書き出した。

 ただ、前出の「ステイ」や「オルフェ」には、これも順不同で「オグリ(オグリキャップ)」や「ディープ(ディープインパクト)」、「ブライアン(ナリタブライアン)」、「テイオー(トウカイテイオー)」、「ブルボン(ミホノブルボン)」、「ルドルフ(シンボリルドルフ)」といった歴史的名馬に対する畏敬の念と同じものも強くこめられている。

 ステイゴールドがラストランの香港ヴァーズを驚異的な末脚で差し切ったシーンを描写するときに「ステゴ」とは言わないし、ゴールドシップが「不沈艦」と呼ばれていたころは、「ゴルシ」ではなくフルネームで紹介されていた。「ゴルシ」と呼ばれるようになったのは、あの馬の猛獣キャラが広く知れ渡ってからだった。

 こうして見ていくと、略され方にもいろいろあって面白い。

「トウカイ」や「ナリタ」、「シンボリ」には、その冠で大きなレースを勝った馬がほかにもいたので下の名で呼ばれるようになったのだろう。例外は「オグリ」で、妹のオグリローマンも桜花賞を勝つなど強い馬だったが、「オグリ」と言えばオグリキャップだ。笠松時代に乗っていた安藤勝己さんは「キャップ」と呼んでいたが、それは少数の関係者に限られた呼び方だった。

「ディープ」は、金子真人オーナーの冠ではないが、それを冠として使っていたオーナーもいる。担当の市川明彦厩務員は、3歳のころは私たちに話すとき「インパクト」と呼んでいたが、いつしか「ディープ」と呼ぶようになっていた。池江泰郎調教師は、当初から「ディープ」で、池江敏行調教助手もそうだった。

 冠をどうするかということ以外は、上と下のどちらの名を残して呼ぶかに、特にルールも傾向もないようだ。

「シンザン」や「ハイセイコー」のように馬名が短いと略されることはない。「イクイノックス」もわざわざ略されないだろう。「リバティ(リバティアイランド)」は、私の知る限り、上の名で呼ばれている。

 だからなんなんだという話になってしまったが、こういう話ができるのは平時だけなので、悪いことではないと思いたい。