バイデン撤退で「確トラ」の空気は一変…「期待外れの副大統領」が"トランプの対抗馬"に急成長しているワケ
■ハリス登場で民主党に「熱狂」が戻った
米東部時間7月21日、バイデン大統領(81)が大統領選から撤退し、ハリス副大統領(59)に「バトン」を渡した。民主党は急ピッチでハリス体制を固め、同党の選挙戦に欠けていた「熱狂」を取り戻した。
ハリス氏は7月26日、最も待ち望んでいたオバマ元大統領の支持も取り付けた。アメリカの大統領候補(見込み)として初の黒人女性であるハリス副大統領は、すでに多くの黒人女性から熱い支持を受けている。オバマ元大統領の後押しは、アフリカ系米国人や若者の関心を再び民主党に向ける、さらなる牽引力になりうる。
米ウォール・ストリート・ジャーナルが、同紙による最新の世論調査の結果を報じた記事(原文7月26日付・翻訳記事27日付)によれば、ハリス副大統領とトランプ前大統領(78)への支持率がほぼ並んだ。非白人有権者のハリス氏支持が拡大しており、民主党の間で、選挙戦への「熱意も劇的に高まっている」という。
■トランプ返り咲き阻止には「バイデン撤退は致し方ない」
これまでは地味な存在だったハリス氏だが、むしろ未知の部分が「伸びしろ」につながるという利点もある。激戦州の南部ノースカロライナに住む民主党系若手ストラテジスト、サム・スペンサー氏は筆者の取材に「有権者の理解が深まるにつれ、ハリス氏には、その立場がさらに上向く余地がある」と指摘した。
スペンサー氏は2005年、バイデン大統領が東部デラウェア州選出の上院議員だった頃、インターンとして働いた経験を持つ。また、バイデン氏がヒラリー・クリントン氏やオバマ氏などとともに2008年の大統領選・民主党指名候補争いに出馬した際にも、バイデン陣営に関わった。
バイデン大統領との関わりが20年近くに及ぶ同氏は、「撤退は苦渋の決断だっただろう」と、バイデン氏に共感を示す。だが、トランプ前大統領の返り咲きを阻止することがバイデン大統領の最優先事項だとすれば、「必要不可欠な決断だった」と総括する。
■「重罪犯」トランプに叩きつけた挑戦状
ハリス陣営は、バイデン大統領の支持を受けてから1週間足らずで、2億ドル(約308億円)という記録的な資金調達を達成した(7月28日付プレスリリース)。そのうち、66%が、これまで寄付をしたことがない人々によるものだという。つまり、草の根の支援だ。
また、ハリス氏は、「史上最も労働者寄りの大統領」バイデン氏の後継者として、米労働総同盟・産業別組合会議(AFL-CIO)やサービス従業員労働組合(SEIU)など、多くの労働組合の支持も取り付けた。
元検察官のハリス氏の陣営は、バイデン大統領の撤退で、今やアメリカ史上最高齢の大統領候補になったトランプ前大統領の「年齢」に加え、不倫口止め料不正処理事件で有罪評決を受けたトランプ氏の「重罪犯」という経歴にフォーカス。7月25日付プレスリリースで、トランプ前大統領を「78歳の犯罪者」と攻撃した。
大統領候補(推定)として初めて臨んだ激戦州ウィスコンシン州の選挙集会では、「どんな国に住みたい? 自由と思いやり、法の支配の国? カオス(混沌)とフィア(恐怖)、ヘイト(憎しみ)の国?」と聴衆に呼びかけ、「戦う以上、私たちは勝つ!」と、トランプ氏に挑戦状を突きつけた。
■ハリスがトランプ陣営を煽る理由
ウォール・ストリート・ジャーナルのコラムニスト、ダニエル・ヘニンガー氏が「【オピニオン】ハリス氏勝利があり得る理由」(原文7月24日付・翻訳記事26日付)のなかで分析するところによると、こうしたハリス氏の攻撃には、「『大統領選に挑む初の黒人女性』に対するトランプ氏のもっと下品な発言を引き出す」という狙いが隠されている。
そして、「そうした発言は、暗殺未遂事件後にトランプ氏が大衆から得た支持を相殺することになるだろう」(上記記事から引用)。
共和党はバイデン大統領の続投を望んでおり、同氏の撤退とハリス氏の登板に「不意打ちを食らった」というのが、大方の見方だ。米アトランティック誌は、記者のティム・アルバータ氏による、次のようなタイトルの記事(7月21日付)を掲載した。
「This Is Exactly What the Trump Team Feared: A campaign that had been optimized to beat Joe Biden must now be reinvented.(トランプ陣営が恐れていたことは、まさにこれだ――打倒ジョー・バイデンに向けて最適化された選挙戦は今、見直しを迫られている)」
■トランプが見逃していた「ハリスの潜在能力」
ウォール街の著名投資家アンソニー・スカラムッチ氏も7月25日、米CNNに出演し、こう語っている。「彼(トランプ氏)は今、動揺している。どのようなパンチを(ハリス氏に)繰り出せばいいかを探っている」
スカラムッチ氏には、2018年6月、米・外国報道協会(FPA-USA)がニューヨーク・マンハッタンで主催した記者会見で会ったことがあるが、彼はトランプ政権下の元広報部長だ。2017年7月、ホワイトハウスの広報部長に任命されながら、11日で解任された。政権離脱後に反トランプ派に転じた数多くの元側近の一人だ。
ストラテジストのスペンサー氏が複数の共和党関係者から聞いた話では、共和党はハリス氏のマイナス面にのみ目を向け、大統領候補になりうる人物とはみなしていなかったという。ハリス氏が選挙戦に呼び込める黒人女性や若者、草の根団体、献金者といった、彼女の「潜在能力」を無視していた。
事実、ハリス氏は7月24日、銃暴力の撲滅を目指す学生らが立ち上げた米団体「March for Our Lives(私たちの命を守るためのマーチ)」から、同団体初の政治的支持を獲得している。バイデン大統領にもできなかったことだ。
「ハリス氏は大統領候補になりえない」という思い込みは「慢心」を生み、慢心はトランプ陣営の足をすくいかねない。
■トランプとハリスは「重罪犯VS. 元検察官」
トランプ氏は、バイデン降ろしのきっかけになった6月27日の討論会で勝利への自信を深め、7月13日の暗殺未遂事件で世論を味方に付けた。そして、7月15〜18日に開かれた共和党全国党大会で、トランプ氏の高揚感は頂点に達した。
全国党大会の翌週初めには、ラストベルト(さびついた工業地帯)出身の若き副大統領候補J.D.バンス氏(39)が、故郷に錦を飾るオハイオ州での単独選挙集会に臨み、トランプ陣営は「圧勝」に向けて突き進むはずだった。だが、戦況は一変した。
重罪犯と元検察官という、トランプ氏とハリス氏の「対決の構図は、トランプ氏にとって不利だ」(スペンサー氏)。
■WSJ「トランプは千載一遇のチャンスを逃した」
トランプ陣営がバンス氏を副大統領候補に選んだことも裏目に出た。バンス上院議員(オハイオ州選出)は、ハリス副大統領など、子供を産んでいない民主党議員らを揶揄するような発言(2021年)を批判され、ハリウッドスターのジェニファー・アニストン氏をはじめ、女性から猛反発を食らっている。
バンス氏は2022年、連邦レベルでの人工妊娠中絶禁止法を支持すると示唆したが、この発言も、中絶問題を選挙戦の争点とするハリス陣営に、またとない攻撃材料を与えることになった。
トランプ氏を若くしたような副大統領候補は岩盤支持層には受けるだろうが、郊外の女性や無党派層を遠ざけ、トランプ陣営に新たな票をもたらさないという声が目立つ。今となっては共和党もバンス副大統領候補の選択を悔やんでいる、と報じられている。
ウォール・ストリート・ジャーナルも、トランプ氏が負ける可能性に言及し始めた。前述したコラム「ハリス氏勝利があり得る理由」は、次のような言葉で締めくくられている。
「トランプ氏の大統領候補としての指名受諾演説は、勝利を確実にできるチャンスだった。彼はそのチャンスをつかめなかった。集会でのトランプ氏の演説がこれ以上良くならなければ、ハリス氏には勝利のチャンスがある」
■指名受諾演説で見えたトランプの「本音と建前」
2016年と24年の大統領選・共和党指名候補争いに出馬し、現在は反トランプを前面に掲げるクリス・クリスティ前ニュージャージー州知事も7月19日、米ABCのトーク番組「The View」に出演し、トランプ氏の指名受諾演説を批判した。
トランプ前大統領は共和党全国党大会で1時間半余りにわたって演説を行い、冒頭で「団結」を訴えた。だが、クリスティ氏の見立てでは、トランプ氏は「団結」など信じておらず、最初の15分間はスピーチ原稿を嫌々読んだため、「熱意」も「エネルギー」も感じられなかった。一方、「演説の3分の1を占めるアドリブでは本来のトランプ節に戻り、生き生きしていた」と。
■「確トラ」はもはや過去のものに
政治リスク分析専門の米コンサルティング会社、ユーラシア・グループの社長で政治学者のイアン・ブレマー氏も、自社のユーチューブチャンネル「GZERO Media(Gゼロ・メディア)」(7月21日配信)で、バイデン大統領の撤退は「民主党に有利に働く」と、指摘している。
トランプ前大統領は暗殺未遂後に立ち上がり、こぶしを振り上げて「ファイト、ファイト」と訴え、「並外れた能力」を発揮した。だが、バイデン大統領の撤退という、暗殺未遂事件に次ぐ「前例のない歴史的な日」が新たに到来したことで、大統領選に競争が戻ってきたと、ブレマー氏は動画の中で述べている。
そして、今後1カ月間は民主党がニュースを独占するだけでなく、同党に「エネルギーと熱狂」が戻ってくる、とも述べた。実際、そのとおりになっている。
だが、「また何が起こっても、不思議ではない」と、前述のスペンサー氏は今後の展開について、警鐘を鳴らす。
大統領選候補者の一人が暗殺未遂事件に遭い、その約1週間後に、もう一方の候補者が撤退するという、政治サスペンス映画さながらのシナリオを誰が予測できただろうか。
11月5日まで、残すところ100日弱――。「確トラ」は過去のものになりつつある。
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肥田 美佐子(ひだ・みさこ)
ニューヨーク在住ジャーナリスト
東京都出身。『ニューズウィーク日本版』編集などを経て、単身渡米。米メディア系企業などに勤務後、独立。米経済や大統領選を取材。ジョセフ・E・スティグリッツなどのノーベル賞受賞経済学者、ベストセラー作家のマルコム・グラッドウェル、マイケル・ルイス、元米大統領補佐官(国家安全保障問題担当)ジョン・ボルトン、ビリオネアIT起業家のトーマス・M・シーベル、「破壊的イノベーション」のクレイトン・M・クリステンセン、ジム・オニール元ゴールドマン・サックス・アセット・マネジメント会長など、欧米識者への取材多数。元『ウォール・ストリート・ジャーナル日本版』コラムニスト。プレジデントオンライン、月刊誌『フォーブスジャパン』、ダイヤモンド・オンライン、東洋経済オンラインなど、経済系媒体を中心に取材・執筆。『ニューズウィーク日本版』オンラインコラムニスト。
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(ニューヨーク在住ジャーナリスト 肥田 美佐子)