開催国以外唯一の「7」、日本が世界最高の球技大国といえる理由 パリ五輪は「団体球技の五輪」に
「シン・オリンピックのミカタ」#3 連載「OGGIのオリンピックの沼にハマって」第1回
スポーツ文化・育成&総合ニュースサイト「THE ANSWER」はパリ五輪期間中、「シン・オリンピックのミカタ」と題した特集を連日展開。これまでの五輪で好評だった「オリンピックのミカタ」をスケールアップさせ、4年に一度のスポーツの祭典だから五輪を観る人も、もっと楽しみ、もっと学べる“新たな見方”をさまざまな角度から伝えていく。「社会の縮図」とも言われるスポーツの魅力や価値の理解が世の中に広がり、スポーツの未来がより明るくなることを願って――。
今回は連載「OGGIのオリンピックの沼にハマって」。スポーツ新聞社の記者として昭和・平成・令和と、五輪を含めスポーツを40年追い続けた「OGGI」こと荻島弘一氏が“沼”のように深いオリンピックの魅力を独自の視点で連日発信する。
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パリ五輪が始まった。開会式を前に24日には7人制ラグビーとサッカーがスタート。ラグビー男子はニュージーランドとアイルランドに連敗する苦しい初日になったが、56年ぶりのメダル獲得を目指すサッカー男子の日本代表は最高のスタートを切った。
初戦で南米王者のパラグアイに5-0。相手に退場者が出たとはいえ、ほぼ完ぺきな内容での勝利だった。勢いがつくというだけではなく、大勝で大会を戦う上で大きなアドバンテージを得たといえる。
五輪のサッカーは中2日で試合が続く。他の国際大会では考えられない過酷な日程だ。勝ち進めば、これが最大6試合。選手たちの疲労は相当なものになる。大会の開催期間が決まっているとはいえ、いかにコンディションを整えるかが上位へのカギになる。
初戦を大勝したことで、1次リーグ残り2試合の戦いが楽になる。状況に応じた戦い方ができるし、疲労を考慮しながらの選手起用も可能。大会登録選手は18人だが、直前になってバックアップメンバー4人との入れ替えが自由になった。22人をうまく使って戦うためにも、勝ち点と得失点差でライバルをリードしたことが有利になる。
今大会、日本はメダル獲得のチャンスが十分にある。参加16チームで唯一オーバーエイジ枠を使わず、久保建英ら23歳以下でも招集できない選手もいた。それでも、過去3大会でベスト4が2回という安定感は出場チームの中でも屈指。ブラジル、ドイツ、メキシコ、ナイジェリアなど「五輪サッカーの顔」ともいえるチームが予選で敗退したことも大きい。
団体球技全7競技出場は開催国を除けば世界唯一
今大会は、日本にとって「団体球技の五輪」になりそうだ。サッカー、ラグビーをはじめ、バレーボール、バスケットボールは男女とも、ハンドボール男子、水球男子、ホッケー女子、実施される全7競技に11チームの「ジャパン」が出場する。
前回の東京大会は開催国として全競技に出場できたが、自国開催以外では過去最多のチーム数だ。バスケ男子が48年ぶり、ハンド男子が36年ぶり、バレー男子が16年ぶりに予選を突破。全7競技に出場するのは開催国フランスを除けば唯一で、日本は世界最高の「球技大国」といえる。
球技は五輪を盛り上げる。64年東京大会ではバレーボール女子で「東洋の魔女」が金メダルを獲得。決勝戦の視聴率66.8%はスポーツ中継最高で、今も破られていない。72年ミュンヘン大会ではバレーボール男子、さらに76年モントリオール大会では「新東洋の魔女」が金メダルを獲得し、バレーボール人気を引っ張った。
もちろん、バレーボールだけではない。68年メキシコシティ大会ではサッカーが銅メダルを獲得、96年アトランタ大会では1次リーグでブラジルを破る「マイアミの奇跡」を起こした。2000年代にはソフトボール、野球もお茶の間を沸かした。前回大会まで日本が獲得した499個のメダルのうち、球技は21個。そのどれもがドラマチックで、語り継がれるものばかりだ。
球技の魅力は、試合が続くこと。日本がメダルを量産してきた柔道は1日で終わる。競泳、レスリング、体操なども予選から決勝まで数日。メダルへのムードが段階的に盛り上がることはない。しかし、球技だと1試合1試合、何日もかけてメダルに近づく過程がファンを引き付ける。
男女サッカー、男女バレーボールにはメダルの期待がかかるし、前回大会銀メダルのバスケットボール女子は、それ以上の金を狙う。ハンドボール男子やバスケットボール男子は、現実的にベスト8入りが目標。あまりなじみのない競技も行われる五輪で、球技はルールも分かりやすい。応援の熱をストレートに発することができる。
一昨年のサッカーW杯、昨年の野球WBCに刺激を受けて各競技が五輪予選で活躍したように、開幕前のサッカーの好発進が他の日本代表チームに勢いをもたらすはず。「チームジャパン」の戦いが始まった。
(荻島 弘一 / Hirokazu Ogishima)
荻島 弘一
1960年生まれ。大学卒業後、日刊スポーツ新聞社に入社。スポーツ部記者としてサッカーや水泳、柔道など五輪競技を担当。同部デスク、出版社編集長を経て、06年から編集委員として現場に復帰する。山下・斉藤時代の柔道から五輪新競技のブレイキンまで、昭和、平成、令和と長年に渡って幅広くスポーツの現場を取材した。