会社員、アメフト、格闘技の”三刀流” 慶應大卒のエリートが修斗デビューを決断した理由
プロ格闘家デビューを果たす井上が決意を語った(C)CoCoKARAnext
慶應高、慶應大学を卒業後にメガバンクへ就職。いわゆるエリート街道を歩み会社員として働きながら、同時に胎内DEERSでアメリカンフットボールの選手としても活躍してきた男が、今度は格闘技でプロデビューを果たす。7月21日に行われる修斗の2024年度新人王トーナメントフェザー級に挑む井上翔太は、なぜこうした異色のキャリアを選んだのか。試合を目前に控えた29歳に、現在の心境と、会社員、アメフト、格闘技という”三刀流”の挑戦に至った経緯を聞いた。
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――会社員として働きながら、アメフト選手としても現役を続け、7月21日には修斗で格闘技でプロデビューを果たします。井上選手は様々なチャレンジをされていますが、まずは、これまでの経緯を教えて頂けますか。
アメフトを始めたのは大学からでした。小・中は野球、高校はサッカーと色々かじっていたんですが、一度もレギュラーになれなかった。それで、大学でレギュラーで試合に出られるスポーツかつ日本一になれる部活を考えた時に、アメフトかラクロスのどちらかに入ろうかなと思い、アメフトを選んだんです。
大学4年生のときに、僕らの代はあと1勝で63年ぶりに甲子園ボール(大学日本一を決める試合)に出られる寸前まで行ったんですが、最後の一戦で負けて、最終的に早稲田大学が甲子園ボールに行ったんです。それがめっちゃ悔しくて、やっぱり日本一という景色を見てみたいと思って、社会人でもアメフトをずっと続けています。
――そうしたキャリアのなかで格闘技を始めたキッカケは?
前職(メガバンク)で福岡に勤務していた社会人5年目の頃でした。2021年の12月ですね。アメフトがオフシーズンになると福岡にはそんなに友達もいないし、やることがなかった(笑)。その時にふと、オフシーズンのトレーニングで格闘技に挑戦しようと思いたちました。昔からK1だったり、いろんな格闘技を見て興味はあったんです。それで思い立った日に赤崎道場に行ったら、いい道場で先生、皆さんも優しく、ここに入ろうとその日に決めました。
格闘技を始めた頃は、「自分がどこまでできるかな」くらいの気持ちでしたけど、1年くらい経ったときに格闘技のプロになりたいという気持ちが湧いてきました。アメフトでプロ契約しているのは一部の選手だけ。自分の人生の中で一度はプロのスポーツ選手になりたいという気持ちは昔からあったので、格闘技に賭けてみようと思いました。もちろん、最初は思うようにいきませんでしたが、2023年に九州選手権で準優勝、同年の全日本選手権でも準優勝できて、今回のチャンスを頂きました。
アメフトではワイドレシーバーを務めている(C)K.Goto
――福岡に住んでいた当時は、アメフトと格闘技のトレーニングをどうやって平行していたのでしょう?
胎内DEERSの練習は東京の柴崎駅(調布市)でやるので、毎週末に福岡から通っていました。金曜日の夜に東京に帰ってきて、土・日に練習して、日曜の夕方に帰る、みたいな生活です。私は実家が東京なので実家に泊まってたんですが、チームメイトの遠征者はホテル代だったりをチームが負担していましたね。私の場合は、飛行機代を一部チームが負担してくれていました。
――会社員として働きながらでは、かなりハードなスケジュールですね。
最初はハードでしたね、慣れるまでは。社会人になって最初の1、2年目は全然ダメでしたが、3年目くらいになると仕事に慣れてきたのもあって、トレーニングに対する意識も変わりました。格闘技を始めた頃になると、いろいろと自分に必要なものを選べるようになっていましたね。
――現在は転職され、東京に拠点を移されています。移動の負担が減ったとはいえ、週5で仕事をしながらトレーニングやコンディション調整するのは難しいと思います。減量もありますし……。
食事には気を使っています。格闘技を始めてから人生で初めて、自炊もし始めました。計量前の水抜きも自宅でやる予定です。
――井上選手は会社員、アメフト選手、そして格闘家と、目標を同時に3つ追いかけています。それぞれを、どういった形で切り分けて考えているのでしょう?
切り分ける…というか、やりたいことがいっぱいあるという感じです。人生でやりたいことリストみたいなものを携帯にメモしていて、それをやるために、どうしたら良いかなみたいな感じで、動いています。そのリストは本当に思いついた時に書いていて、切り分けていない。人生で髪をまだ染めたことがないので「髪を染める」とか「プロ格闘家になる」とか、五月雨式に書くみたいな感じです。
――会社員、アメフト選手、格闘家。この三刀流で軸足を置いているのは?
どこに軸足を置いているというより、ちょうど良く3つバランスがあるので、相乗効果を感じている、というのが自分の中ではあります。ただ、格闘家としては、やっとスタートラインに立てただけですし、どこまで行けるのかはこれから。それでも、プロとなれば責任も出てくるので、そこはフォーカスしていかないといけない。もちろん、仕事でもお給料をもらっているので、しっかりやらないといけないし、アメフトもそうです。だから、どれを選べ、となると難しいですね。
赤崎道場には、思い立ったその日に入会を決めたという(C)赤崎道場 A-SPIRIT
――「どこかを伸ばしていきたい」というより、「どこが伸びていくか」を見ているイメージですか?
そうですね。いずれ選択のタイミングは来ると思いますが、理想は全てを伸ばしたいなと思っています。ただ、例えばアメフトのチームには「絶対に怪我するなよ」みたいなことは言われます。自分も怪我はしたくないので、「細心の注意は払います」としか言えないんですけどね(笑)。それこそ、九州選手権、全日本選手権の時はアメフトのシーズン中で、アメフトのチームに飛行機代を出してもらっている中で、格闘技で怪我してシーズンアウトしましたとなったら、「なにやってるの?」になるじゃないですか。それは本当に怖かったです。
――今後も三刀流を続ける中で、どんな未来を思い描いていますか?
アメフトを広めたいし、格闘技で行けるところまで上に行きたい。仕事でもいろいろな知識や知見をつけて、人に役に立つとか、貢献するとか、金銭的なところも含めていろいろとやっていきたいなと思っています。自分にとってもプロの選手はやっぱり憧れの存在ですから、「かっこいいな」とか「この人頑張っているから、もっと自分も頑張らなきゃ」とかって思ってもらえる存在になれたらいいですね。
――現在は29歳です。今のキャリアを何歳まで続けるつもりですか?
分かりません。続けられるなら、いつまでも続けたいですけど、やっぱり肉体の限界は35歳くらいで迎えるのかなと、なんとなく想像はしています。ただ、それこそアメフトで僕と同じポジション(ワイドレシーバー)で今年39歳になる人がいて、3年前くらいに前十字靭帯を切っても、今もプレーしている。本当にレジェンドみたいな選手がいるので、僕もできるだけ長くやりたいとは思っています。
――35歳というと、あと5、6年ですね。その短期間で駆け上がらなければならないわけです。今までよりもっとハードな生活になりそうです。
そうですね。スポーツはやっぱり選手寿命が決まっていて、いずれは引退するタイミングが来る。でも、今しかできないことなので、「本当に無理だな」と思うところまでは、駆け抜けたいと思っています。だって、引退したらずっと暇じゃないですか。そこから先はいくらでも休めると思うので、できるところまでやって、燃え尽きるまで続けたいと思っています。
[文/構成:ココカラネクスト編集部]