『M−1はじめました。』

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 若手漫才師の日本一を決める「M−1グランプリ」。いまや年末の風物詩となった一大イベントの立ち上げに関わった人物が昨年、回顧録を出版した。だが、版元は販売にあたって先ごろ、「遺憾の意」を表明したのだ。一体、何があったのか。

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 その本のタイトルは『M−1はじめました。』。著者である吉本興業元取締役の谷良一氏(67)が、テレビの人気コンテンツへと大化けした漫才コンテストの誕生までの歩みをつづったものだ。

 帯には島田紳助氏による「M−1は、私と谷と2人で作った宝物です」とのコメントが大書され、昨年末の番組OAの1カ月前に刊行。発売前に重版が決まるなどヒット作となった。

『M−1はじめました。』

「看過できない誤りが」

 ところが今年6月上旬、同書を出版した東洋経済新報社のホームページに突如、次のような釈明が。

〈本書籍の178ページから181ページにかけての記述について、「Yさん」の名誉を毀損するものであるとして、当該記述を削除するよう申し入れがありました。このような事態になったことについて遺憾に思っています〉

 本にも登場するこの「Yさん」とは、2001年当時、朝日放送のテレビ制作部長だった吉村誠氏(73)のこと。朝日放送は、M−1を手がける在阪キー局だ。

 じつは吉村氏、今年1月に同書の出版差し止めなどを求める仮処分を大阪地裁に申し立てていた。

 言及されたページには、M−1の実現に向けて谷氏が01年11月のある日、朝日放送へ打ち合わせに訪れる場面が記されている。現在、関西の複数の大学で教鞭をとる吉村氏に聞くと、

「知人から“吉村さんがとても悪い人間だと書かれている”と連絡があり、本を買って読んだところ、『私が谷氏を呼びつけ、審査員選定作業の遅れを叱責・恫喝した』といった内容のほか、看過できない誤りが多々ありました」

社内会議で決定済み

 同書には「Yさん」について「(M−1の)タイトルを知らないのだろうか」「中身については何も知らないようだった」とする記述があるが、吉村氏いわく、

「朝日放送が年末特番として全国ネットの『M−1グランプリ』を作ると決めたのは01年8月6日の社内会議でのこと。私が“何も知らない”なんてあり得ません。また、本には『M−1に何の貢献もしていないのに、番組立ち上げを自分の功績として学生たちに吹聴している』といった主旨の記述まであるわけです。しかし、これらは全く事実と異なり、私の名誉を著しく毀損すると考えました」

 本には「Yさん」とあるものの、同書に引用された学生のブログを検索すると実名が分かり、吉村氏は簡単に人物が同定されると判断。仮処分の申し立てに及ぶ。朝日放送の元上司らや、谷氏の上役だった吉本興業OBの陳述書を提出すると、東洋経済側も、

「本件書籍の記述は事実で、Y氏の名誉も毀損しない」

 と真っ向から反論した。

「結果、地裁から“23年前のことで個々の事実認定には時間がかかる。早期に和解して名誉回復の措置を”と勧められ、和解にいたったのです」(吉村氏)

「他者をおとしめてまですることではない」

 和解で終結したため地裁は事実関係の判断に踏み込んでいないが、吉村氏は、東洋経済がHPに載せた以下の釈明を「真摯に対応してくれた」と評価している。

〈著者からは、「Yさん」が朝日放送の番組制作部の責任者という立場でM−1グランプリのテレビ番組の制作に携わられたことを否定するつもりはなかったが、これを否定しているような印象を与えてしまい、申し訳なく思っていると聞いています〉

 吉村氏は言う。

「谷氏がM−1の創出に尽力したのは分かります。そのことを自賛したい気持ちは理解できますが、それは他者をおとしめてまですることではないのでは」

 笑って済まされないシリアスな騒動が背景にあった。

週刊新潮」2024年7月11日号 掲載