ガーラル・ムンテ《山の中の神隠し》1928年、ノルウェー国立美術館

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北欧といえば、ムーミン、サウナ、美味しいパン。派手目なテキスタイルに、脚先の細いデザインの家具。素敵なものは数多あるけれど「北欧絵画」について、私たちはおそらくほとんど何も知らないのではないだろうか。というわけで、北欧ファン、アートファンの皆さまお待たせしました。この春ついに本邦初の、北欧絵画にフォーカスした展覧会が西新宿のSOMPO美術館にて開催されている。展覧会のタイトルは『北欧の神秘ーノルウェー・スウェーデン・フィンランドの絵画』。2024年3月23日(土)から6月9日(日)まで開催中だ。

会場エントランス

本展では、北欧諸国の中でもノルウェー、スウェーデン、フィンランドの3国に的を絞り、各国の国立美術館が誇る名品を一挙に展示。およそ70点の作品をじっくり鑑賞することで、北欧絵画とはどんなものなのか、その核の部分を掴まえることができるはずだ。

序章〈神秘の源泉ー北欧美術の形成〉冒険の始まり

展示作品は全て19世紀~20世紀初頭に描かれたもので、主題ごとに「1雄大な自然の風景」「2北欧の民話・おとぎ話の世界」「3近代的な都市風景」の3章に分けられている。

トマス・ファーンライ《旅人のいる風景》1830年、ノルウェー国立美術館

展示冒頭を飾る1枚は《旅人のいる風景》。ドラマチックに光が射す丘に立ち、目の前に広がる大自然を望む小さな旅人(画面左)は、フランス・ドイツ芸術への追従から脱し、自国そのものに目を向け始めた19世紀北欧の芸術家たちの姿と重なる。

ヨーハン・フレドリク・エッケシュバルグ《雪原》1851年、ノルウェー国立美術館

ノルウェーらしいフィヨルドの景色を描いた《雪原》。壮麗な自然を描いた絵画は、自国のアイデンティティ構築、すなわち“お国自慢”に大いに役立っていたという。

《雪原》(部分)

赤い服を着た人が激流で釣りをしている。ノルウェーという場所柄を考えると、狙いはやはりサーモンなのだろうか。本作に限らず面白いのは、圧倒的大自然を描いたキャンバスに、ほとんどの場合こんな風に“自然を乗りこなして生きている人”が描き込まれている点だ。大自然の凄さは描いても、そこに厳しさや悲壮感は漂っていない。これは北欧の人たちの自然との距離の近さゆえなのかもしれない。

アウグスト・マルムストゥルム《踊る妖精たち》1866年、スウェーデン国立美術館

《踊る妖精たち》は風景+目に見えない存在を描いたちょっと異色の風景画。自国らしい題材を描くのが重要だったこの時代、神話や民間信仰に由来するモチーフも流行したらしい。妖精たちは輪郭を溶かしながら水辺を踊りまわり、風のようにもエネルギーの塊のようにも見える。

第1章〈自然の力〉風景を描き、心を託す

同じ風景画でも、第1章に入ると時代が少し進む。引き続き“北欧絵画”たらんという自意識はありつつ、画家たちは19世紀末ヨーロッパで大流行した象徴主義の思想を積極的に吸収していた。

ニルス・クレーゲル《春の夜》1896年、スウェーデン国立美術館

1896年の《春の夜》を見てみると、序章で見た作品たちとはだいぶ趣が異なり、大自然をただ美しく描くのではなく、画家がそこに自身の感情や思想を託そうとしているのが見て取れる。

展示風景

なお本展では新しい試みとして、随所に作品世界への没入感を高めるような効果音・BGMが用意されている。例えば、スウェーデンの動物画家ブルーノ・リリエフォッシュの作品が並ぶエリアでは北欧の森を思わせる鳥の声や風の音が流れ、爽やかな雰囲気を醸している。

この美術館の階段が好き

展示作品の一部を使った注意書き。作品中のキラリと光る細部に気づくきっかけになるし、何より心がほっこりする。

SOMPO美術館は、5階→4階→3階の展示室を降りて鑑賞していくスタイル。エレベーターもあるけれど、階段に貼られた注意書きがいつも可愛いので、つい階段をセレクトしてしまう……。なんと今回は、5階展示室(風景画)から4階展示室(民話や物語を描いた作品)へと降りていく際にもBGMが用意されている。鳥の声などの自然音が次第に遠ざかり、入れ替わるように幻想的な音楽があたりを包み込む。ちょっと集中が切れそうになる展示室間の移動時間を、雰囲気たっぷりにエスコートしてくれる素敵な演出だった。

冷たい水と澄んだ空気

ペッカ・ハロネン《河岸》1897年、フィンランド国立アテネウム美術館

4階展示室冒頭では、第2章へ行く前に「水辺コーナー」とでもいうべき一角がある。湖や川を描いた3作品が並んでいるのだが、ここが凄い。どれも、キンと冴えた空気や水の冷たさ、静けさを感じさせる美しい作品たちだ。

エドヴァルド・ムンク《フィヨルドの冬》1915年、ノルウェー国立美術館

ノルウェーの代表的画家・ムンクの《フィヨルドの冬》では、岩肌を覆う雪がまだらに溶け、ぽってり、とろとろしたアメーバのように表現されている。北欧の画家たちにとって、こんなふうに雪が大地につくる装飾的な模様は日常的に目にするものだったのだろう。

第2章〈魔力の宿る森ー北欧美術における英雄と妖精〉ファンタジー

展示風景

展示はいよいよ第2章、北欧の民話や物語を描いた作品たちへ。ベースとなっている北欧神話は映画作品やゲームなどの着想源になっていることも多く、ファンタジー好きにとってはたまらない展示である。

ガーラル・ムンテ《山の門の前に立つオースムン》《一の間》《五の間》《帰還するオースムンと姫》全て1902-1904年、ノルウェー国立美術館

目を惹くのはノルウェーの画家ガーラル・ムンテによる『名誉を得し者オースムン』の連作。細かいことは分からなくても、左から右へ、勇者がトロル(モンスター)を倒し、お姫様を救出したのだと理解できる。よく映画などで、主人公がダンジョンの壁を松明で照らし「おお、この壁画は一体……?」と唸るシーンがあるが、まさにそんな気分である。

ちなみに本展で見られるのは10点の連作のうち3、4、8、10番目のもの。展示室内に物語の解説はほとんど無いが、鑑賞ガイド用リーフレット『語り継がれた物語』を読むと大まかな筋が分かるようになっている。さらに本展の図録には連作全ての図版とより詳しい内容が掲載されているので、興味が湧いたなら図録を手に取ってみるのがおすすめだ。

ガーラル・ムンテ《一の間》1902-1904年、ノルウェー国立美術館

装飾芸術や挿絵の分野で活躍したというガーラル・ムンテ。隅々まで装飾が施された作品はどれも見応えがあるが、なかでも《一の間》の誰もいない静けさが気になる。まさに今、勇者が外から入ってきたことを示すように蝋燭の炎は奥へ引っ張られ、テーブルクロスや床は血に塗れている。もしかしてトロルは食事中だったのだろうか。テーブル右下にちらっと鼻が見えているけれど、まさか下になにかが隠れている……?

キッテルセンのトロルワールドへようこそ

同じくノルウェーの画家、テオドール・キッテルセンの作品たちも面白い。キッテルセンは本の装丁・挿絵を多く手掛け、幻想的な民話の世界を視覚化した。その代表が「トロル」である。トロルは北欧の自然の中に潜むと信じられてきた、目に見えない存在であり、怪物だ。今日の私たちが漠然と思い描くトロルの姿は、彼の作り出したイメージによるところが大きい。北欧の水木しげるとでもいうべき重要な画家である。

テオドール・キッテルセン《トロルのシラミ取りをする姫》1900年、ノルウェー国立美術館

本展のメインビジュアルに採用されている《トロルのシラミ取りをする姫》は、囚われの姫が眠っているトロルのシラミを取らされている場面。トロルは姫の膝に頭を埋め、ちょっと聖書の「サムソンとデリラ」を思わせるシチュエーション……だが、黙々とシラミを取っているお姫様の真面目ぶりがちょっとおかしい。

デジタル・コンテンツ「テオドール・キッテルセンの作品に見る『北欧の神秘』」

注目は、キッテルセンのドローイングを元に作成されたデジタル・コンテンツだ。紙のドローイングは繊細で輸送が困難なため、アニメーションを駆使した約8分のムービーでその魅力が紹介されている。画家の描いた、不気味さと愛嬌の共存するトロルが活き活きと動く様子は必見だ。また、映像には忍び寄る黒死病(ペスト)の恐怖を描いた作品群も登場する。ぜひ会場にて堪能してみてほしい。

第3章〈都市ー現実世界を描く〉都市化の光と影

展示風景

3階の最終展示室では、19世紀末に発展した北欧の都市風景を描いた作品が並ぶ。極夜の薄闇に浮かび上がる都市の灯りは幻想的で、ファンタジーとはまた異なった「北欧の神秘」を感じさせてくれる。

エウシェン王子《工場、ヴァルデマッシュウッデからサルトシュークヴァーン製粉工場の眺め》制作年不詳、スウェーデン国立美術館

スウェーデンのエウシェン王子は、パリで絵画を学んだ国民的風景画家でもあったという。王子はストックホルムの入り江を望む自邸から、工場の灯りや行き交う蒸気船を観察して多くの作品を残した。時間帯や天候によって変化する風景を描き分ける試みは、ちょっとモネに通ずるところがあるような。

アウグスト・ストリンドバリ《街》1903年、スウェーデン国立美術館

スウェーデンを代表する劇作家・小説家として知られるストリンドバリ(ストリンドベリとも)も、実は画家としての顔を持っている。近年、国立西洋美術館がストリンドバリの作品を購入したばかりなので、それを覚えている人も多いかもしれない。本展では、渦巻く黒雲が画面の3分の2を占める、なんとも不穏な風景画《街》を見ることができる。画面残りの3分の1も暗い浜辺で、タイトルになっている街の灯りはその境目に遠く光っているだけだ。本格的な美術教育を受けていないと言う画家は、執筆や人生に行き詰まったタイミングで絵を描いたのだそう。この空はそのままストリンドベリの心模様と捉えていいかもしれない。

展示風景

ヨーロッパ諸国から少し遅れて、北欧には1880年代~1890年代にかけて工業化・都市化の波が押し寄せた。第3章では都市の美しい風景にとどまらず、時代の変化そのものや、近代化に伴う労働者階級の拡大・貧困に焦点を当てた作品も展示されている。左のアンスヘルム・シュルツバリ《古い孤児院の取り壊し》は、本展開会式に登壇したスウェーデン国立美術館のパール・ヘードストゥルム氏が自身のお気に入りの一枚として挙げていた作品だ。変わりゆく街をありのままに捉えた、精緻な画面に注目である。

北欧絵画の見つめるものは

アクセリ・ガッレン=カッレラ《画家の母》1896年、スウェーデン国立美術館

最後に、展覧会を締めくくる2作家の名品を。まずはフィンランドの国民的画家、アクセリ・ガッレン=カッレラによる《画家の母》である。モデルとなった画家の母は、神秘主義や神智学に明るく、画家に大きなインスピレーションを与えた存在だという。彼女の左肩と両目をつなぐラインは、点々と並ぶ木をかすめて地平線に消えていく。きっと遠く遠くへと思考を走らせているところなのだろう。33cm×29cmと小ぶりながら、思索的な人物の存在感が確かに心に残る作品だ。

エドヴァルド・ムンク《ベランダにて》1902年、ノルウェー国立美術館

そして本展2作目のムンクで展示は結ばれる。《ベランダにて》は、発表当時には《雨天》というタイトルが付けられていたそう。よく見ると空には雨と思われる縦のラインが走り、ベランダは水が溜まって手摺りや人物を反射している。ムンクというと暗く不安な気持ちになる作品といったイメージが強いが、本作ではパッと鮮やかな色彩が目に飛び込んできて、ただ率直に美しい、と感じた。ベランダの角で身を寄せ合う2人の女性は、何を見つめているのだろうか。

ミュージアムショップにて

ミュージアムショップには本展のオリジナルグッズも充実している。キッテルセンの《トロルのシラミ取りをする姫》がゆるくイラスト化されており、同作を見た時に湧き上がる「このふたり、けっこう仲良いのでは……?」という疑惑を具現化してくれていて嬉しい。サウナタオルのイラストに至っては一緒にサウナを楽しんでいて、すごく仲良さそうだ。

北欧の絵画はいかにしてオリジナリティを生み出し、欧州の美術動向と絶妙な距離を探りつつ発展してきたか。本展は北欧絵画の“自分探し”とも言える冒険をざっくりと追体験し、私たちを未だ見ぬ魅力的な画家たちと引き合わせてくれる貴重な機会だ。『北欧の神秘ーノルウェー・スウェーデン・フィンランドの絵画』はSOMPO美術館にて、2024年6月9日(日)まで開催中。


文・写真=小杉 美香