2月25日に静岡市内で開かれた大井川流域10市町の首長とJR東海の意見交換会(記者撮影)

JR東海が工事を進めるリニア中央新幹線静岡工区をめぐり、2月下旬に2つの動きがあった。

1つ目は2月25日に静岡市内で行われた大井川流域10市町の首長とJR東海との意見交換会。10市町の首長と国土交通省の意見交換会が1月21日に行われており、これに引き続いて開催された格好だ。JR東海との意見交換会は2023年9月以来。丹羽俊介社長が同社の取り組みについてその後の進捗状況を首長に説明した。

大井川流域の首長はJRに理解

大井川流域10市町の首長は基本的にはJR東海の取り組みに理解を示す。意見交換会は非公開で行われたが、島田市の染谷絹代市長によれば、水資源への影響を調査・監視するモニタリング、および山梨県側に水が流出する可能性があるとして難色を示している高速長尺先進ボーリングについて、首長らがJR東海に「どちらも早く着実に進めてほしい」と伝えたという。

また、田代ダムは来年11月まで設備更新工事のため取水を停止しているため、もし工事期間中にボーリングにより水が山梨県側に流出したとしても、それ以上の水が大井川に戻るのであれば、山梨県側に流れた水を戻さなくてもいいという考えをJR東海に伝えたという。


山梨県側ではトンネル工事が進む(撮影:尾形文繁)

流域市町とJR東海による事務レベルでの「連絡調整会議」もすでに2回実施していることも明かされた。両者のコミュニケーションは深まっているといってよい。

首長たちの理解が深まったのであれば、次はいよいよJR東海が10市町の住民に直接説明して理解を求めるというステージになるのか。この点については、染谷市長は時期尚早との考えを示した。県内のメディアは連日のように川勝平太知事の言動を批判的なトーンで報じており、世論の風向きが変わったようにも見えるが、流域住民に近い立場にいる首長たちはそこまでとは考えていないようだ。JR東海が先走りして直接対話に踏み切っても住民たちが拒否反応を示せば、これまでの努力は水の泡となる。拙速は禁物だ。

国交省の新たな会議がスタート

もう1つの動きは、国交省が有識者会議に続く新たな会議を立ち上げたことだ。もともと国交省は県とJR東海の意見を調整するため、水資源問題と環境問題のそれぞれについて有識者会議を設置し、水資源については2021年12月、環境保全と発生土については2023年12月に有識者会議が報告書をまとめた。これをもって国交省はこの問題に関する議論は終了したと考えている。

ただ、報告書の中で有識者会議はJR東海による環境保全措置やモニタリング等の対策が着実に実行されているか、国が継続的に監視することを検討するよう求めている。そこで2月7日に村田茂樹鉄道局長が県に出向き、川勝知事に監視体制の準備について説明した。川勝知事も賛同し、「リニア中央新幹線静岡工区モニタリング会議」が新たに設置されることになった。JR東海の宇野護副社長の言葉を借りれば、「1つステージが進んだ」ということになる。

その初会合が2月29日、国交省で開催された。座長の矢野弘典氏は公益財団法人産業雇用安定センターの会長であるが、静岡県の一般社団法人ふじのくにづくり支援センターの理事長も務める。同センターは2015年に発足し、静岡県の土地公社、道路公社、住宅公社の総務関連業務などを担う。2016年夏の県の広報誌には矢野氏、川勝知事、およびインドの元上院議員の3者による鼎談が掲載されており、矢野氏が川勝知事と親交があることがわかる。


2月29日に開かれたリニア静岡工区モニタリング会議の初会合(記者撮影)

一方で、矢野氏はNEXCO中日本の元会長として、任期中には東海北陸自動車道・飛騨トンネルの工事を完成させている。飛騨トンネルは全長10.7km。完成時点では関越トンネルに次ぐ国内2位の長さを誇った。しかも最大土被りは1000mで工事の難易度はリニアの南アルプストンネルに匹敵する。つまり、矢野氏は県とつながりが深く、トンネル掘削の実務にも長けているという点で県と国、双方が納得する絶妙な人選といえる。

矢野氏を座長に任命した理由について、国交省の担当者は「選定理由やプロセスについて答えは差し控える」としたが、「飛騨トンネルの掘削経験がある」という事実を挙げた。国は矢野氏の実務者としての手腕に期待しているようだ。森貴志副知事は矢野氏を「申し分ない。静岡をよくご存じで公平中正にやっていただける。心強い」と評価した。

会議の中で矢野氏は県とJR東海に対し「どこまで歩み寄れるか議論してほしい」と要請した。歩み寄りとは「妥協する」ということなのか。JR東海の宇野副社長はこの問いに対して「もっと“汗をかけ”という意味だと解釈している」として“妥協”という見方を否定した。「そういうご意見はしっかりと真摯に受け止め、一段と汗をかいていきたい」。森副知事も「これからも一段と汗をかいていく」と語った。

そのほかの委員は6人で、大東憲二・大同大学特任教授や徳永朋祥・東京大学教授のように過去の有識者会議に引き続いての委員もいれば、山岳トンネルの専門家として新たに招かれた小室俊二氏はNEXCO中日本の社長を務める。「高速道路の建設におけるさまざまな経験がお役に立てれば」と小室氏は話す。有識者会議では学識経験のある委員が現実には起きることが考えにくい「もしも」という仮定の質問を持ち出し、議論を長引かせたことがあったが、今後は「過去の経験」がこうした質問の歯止めになるかもしれない。

県の専門部会からは増澤武弘・静岡大学客員教授が参加した。植物生態学が専門で南アルプスは50年前から調査しているという。有識者会議では、冬季における環境に関する調査は気象条件もあり深い山中に分け入るのは難しいという理由で行わないとしたが、増澤教授は「冬の調査は決して危険ではない。どうしても危険というなら日本山岳会に頼んでもいい」。有識者会議の報告書に異を唱える発言が出てきたが、国交省の担当者も「サジェスチョンをいただいたのでできることはやっていく」とした。

事態は改善の方向へ?

川勝知事は村田鉄道局長との面談の際、モニタリング会議の議論を静岡工区以外にも広げる可能性を示唆していた。矢野氏も会議の中で「動植物の生息分布や地下水の在り方について行政区分にとらわれない」と発言し、川勝知事の意見が反映されるのかと思われた局面もあったが、これに対して国交省の担当者は「工事の進捗に関する他県の知見は静岡工区にも役立つが、他県に調査を広げるようなことはない」と明言した。

JR東海の丹羽社長は「やってみないとわからないことが多い。一刻も早く着手して、わからなかったことがわかって、それをフィードバックするということを続けて、なるべく早く不確実性を減らしたい」と話す。森副知事も「有識者会議のとりまとめはわれわれの認識と少しずれがある。われわれとJR東海が議論した内容をモニタリング会議で議論していただければ非常に有益だ」と、期待を示す。


大井川流域10市町との意見交換会終了後、報道陣の質問に答えるJR東海の丹羽俊介社長(記者撮影)

会議はモニタリングの状況に応じて随時開催し、南アルプストンネルにおける保全措置の効果について見通しが得られるまで開催を続けるという。委員たちが今春から夏頃にかけ南アルプスを視察する予定であることも発表された。今回のモニタリング会議では、事態は少しずつだがいい方向に進んでいると感じられた。あとは、せっかく議論がまとまりかけても“ゴールポスト“が動かされて、ふりだしに戻るような事態が起きないのを祈るばかりだ。


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(大坂 直樹 : 東洋経済 記者)