日本製鉄東日本製鉄所鹿島地区(写真:Toru Hanai/Bloomberg)

2月26日、日本製鉄によるUSスチール買収をめぐる日米間の決裂を避けたい人々にとって待望の朗報が届いた。

全米USWは、これまで公の場では、いかなる条件でも買収に反対するかのように振る舞っていたが、ようやく日本製鉄と秘密保持契約(NDA)を結んだ。つまり、USWが買収を支持できるような合意に達することを期待して、これから真剣かつ秘密裏に交渉に臨むということだ。しかも、事情をよく知る関係者によると、両者は11月の選挙前にこのような合意に達しようとしている。

そうなれば、バイデン政権がつねに望んできたこと、つまり、対米外国投資委員会(CFIUS)のルールに基づき、この取引は国家安全保障を脅かすものではないとする道を開くことになる。

トランプ前大統領は「大反対」

政治的な観点から見ると、これはけっして普通の国境を越えた買収ではなかった。昨年12月に買収が初めて発表されたとき、USスチールは外国企業が同社を買収するという概念、そして特に日本製鉄を非難した。

USスチールが本社を構え、アメリカ大統領選において重要な州であるペンシルベニア州とオハイオ州の上院議員4人も同様に日本製鉄による買収案に異議を唱えた。ドナルド・トランプ前大統領は、「恐ろしい 」合併を 「即座に」阻止すると宣言し、選挙戦を盛り上げた。

この政治的騒動に直面し、バイデン政権は公然と、「国家安全保障とサプライチェーンの信頼性への潜在的影響」を理由に買収の見直しを命じた。しかし実際には、バイデン政権はこの合併を阻止する気など毛頭なく、国家安全保障に対する侮蔑的な理由でもなかった。

すでに、これによって日米関係や太平洋全域の安全保障がどれほど損なわれるかを理解していた。中国を刺激することにもなるし、トランプが政権に返り咲けば太平洋の安全保障は一気に悪化しかねない。

それでも、すでに不人気だったバイデンと民主党は、民主・共和両党の有権者の間でナショナリズムと保護主義が高まる中で多くの政治的圧力に直面していた。このジレンマから抜け出す唯一の確実な方法は、日本製鉄がUSスチールから受け入れられることだった。

実は対話を続けていた日鉄と労組

ほとんどの人が知らないことだが、日本製鉄とUSWは「昨年12月に取引が発表されて以来、対話を続けてきた」と、日本製鉄の広報担当者は東洋経済に書面で回答した。「我々はUSWと共通の基盤を見つけることに全力を尽くしている」。

これまでは、NDAなど交渉の基本ルールに関する弁護士同士の話し合いが中心だった。今、期待されているのは、今後数週間のうちに実質的な協議を開始できることだ。NDAにつながるこの対話はほぼ報道されていないが、その理由の1つは、USWが外国人による買収をけっして受け入れないかのように話しているからである。

合意に達するのは容易ではない。だが、双方は真剣に取り組み、大統領選前に合意に達しようと努力はしている。

今回の騒動はすべて、選挙期間中の政治的背景から生じている。ジョー・バイデン大統領はおそらく、ペンシルベニア州で勝利しない限り再選は無理だろう。

また、シェロッド・ブラウンがオハイオ州で再選を果たさない限り、民主党が上院議員を維持するのは非常に難しい。一方、USWが満足したと宣言すれば、バイデン政権とペンシルベニア州などの民主党上院議員は合併を支持するだろう。

バイデン自身はこの買収に反対だとは一言も言っていない。実際、CFIUSは数え切れないほどの日本企業の買収を審査してきたが、阻止された例はない。日本製鉄が中国での資産を手放さざるを得なくなる可能性もあるが、CFIUSは厳密には法的なプロセスではなく、政治的なものである。

仮にCFIUSの技術スタッフが国家安全保障上の脅威がないと判断したとしても、内閣レベルの組織と大統領は取引を禁止することができ、国民はスタッフの報告書の内容を知ることすらできないだろう。

朗報は、議会にこの取引に反対する勢力がないことだ。民主党の上院議員4人と共和党の上院議員3人、それに下院議員435人のうち両党の53人しか合併を非難していない。さらに、重要な州で再選を目指す民主党のブラウン上院議員(オハイオ州)とボブ・ケーシー上院議員(ペンシルベニア州)は、12月の最初の発言以来、選挙演説でこの問題についてあまり触れていない。

成功のカギは「大統領選前」に合意できるか

従って、合併を確実にする最も有効な方法は、11月の大統領選前に日本製鉄と鉄鋼組合が合意に達することである。公の場では、日本製鉄は時より、自己満足的な発言をしている。

実際、日本製鉄に対してUSWとの取引が政治的に必要なのではないか、と質問したところ、広報担当者は法律的な建前論の枠を出ない答えをメールで送ってきた。

「我々は、CFIUSのプロセスによって、我々の取引が国家安全保障に脅威を与えるものではないと判断されると信じている」。とはいえ、水面下では日本製鉄首脳陣はUSWとの何らかの取引の必要性を十分に認識していたと言われている。NDAの設立はこれを裏付けている。

表面的には、鉄鋼組合はこれまで、日本製鉄が外国の企業であること、そして最初の入札者であるクリーブランド・クリフズという労働組合に非常に友好的な企業による買収を優先したことだけを理由に、日本製鉄に反対しているかのように語ってきた。

しかし、クリーブランド・クリフズによる買収は、新会社が鉄鋼生産、特に自動車工場で使用される鉄鋼生産を独占することになるため、独占禁止法規制当局から承認されることはなかっただろう。

実際、デトロイト3社やトヨタ、フォルクスワーゲンなどの外資系企業を含む連合体である自動車技術革新同盟は、直ちに議会、連邦取引委員会(FTC)、司法省反トラスト局に抗議文を送付した。

USWの不満の根底には2つの問題があるようだ。アメリカ市場で収益を上げれば、日本製鉄はこれらの問題を解決するために必要な費用を支払うことができる。

1つはUSスチール経営陣と同様に、日本製鉄も組合員の高炉を閉鎖するか売却しようとするのではないかという組合側の懸念である。その代わりに、非組合州にある電気アーク炉に完全に依存することになる。

実際、最初の取り組みでは、日本製鉄は電気アーク炉だけを入札した。が、USスチールが「オール・オア・ナッシング」であるとして高炉も購入した。しかし現在、日本製鉄は、「合併によってUSスチールの高炉を閉鎖するつもりはない。我々は、USスチールの既存の高炉に新たな投資と技術革新をもたらし、我々の脱炭素化の努力と全体的な効率化を促進することを楽しみにしている」としている。

バイデンが再選すれば、高炉の脱炭素化作業の資金調達にインフレ削減法を充てることで、取引を有利にする可能性さえある。

組合が納得できる「保証」を提示できるか

2つ目は、組合と現在のUSスチール経営陣との関係は非常に険悪であり、日本製鉄は組合傘下の工場の円滑な操業を保証するためだけに組合と和解する必要があることだ。USWはUSスチールの経営陣に完全に不信感を抱いており、日本製鉄が現経営陣を使って施設を運営することを恐れていた。

日本製鉄は新しい経営陣を起用し、USスチールとはまったく異なる態度をとることで組合を納得させる必要がある。日本製鉄は高炉、人員削減の禁止、組合との契約条件の維持など、茨の道である問題について多くの正しい言葉を述べてきている。

一方、組合側は日本製鉄が 「我々を信頼せよ」という態度をとっていると不満を表明している。保証を求めているのだ。問題は、日本製鉄が組合側を満足させるだけの保証を、トランプによる妨害を回避する時間内に提供する用意があるかどうかだ。

(リチャード・カッツ : 東洋経済 特約記者(在ニューヨーク))