「30年間であのときだけでしたね、トシに怒られたのは」タカアンドトシの代名詞「欧米か!」は「なんでやねん!」に対抗して誕生!?…今だから言える本音
結成30周年を迎えたお笑いコンビ「タカアンドトシ」。2002年に上京して以来、「爆笑オンエアバトル」(NHK)、「M-1グランプリ」(朝日テレビ系)などの大会で活躍し続けてきた、北海道出身の人気コンビを待っていたのは……。
タカトシの代名詞「~~か!」は誰のものでもなかった
――2001年からは、一般審査員の投票によってオンエアされるか決まるネタ番組「爆笑オンエアバトル」に出場。同番組では、観客審査員の投票するボールの総数で順位が決まりますが、タカアンドトシは高得点を連発し、1位を記録することも多々ありました。連勝することもあり、順調に勝ち星を重ねていったおふたりは、2002年に満を持して活動の拠点を東京に移すことに。コンビ結成8年目の決断でした。
タカ 「オンエアバトル」って競争率が激しいから1回でも脱落したら、2年ぐらいは出番が回ってこない仕組みになっていたんですよ。で、連勝しているコンビって東京でもなかなかいなかったから、それが自信になって上京する決断ができました。
トシ 上京してからは営業も増えるし、テレビのオファーもいっぱい来るだろうからってことで、まずは「M-1グランプリ」の決勝に行くことを目指しました。そこからはもう必死に漫才の練習でしたね。
タカ 東京で漫才を披露したら、それなりにウケるし、先輩からの評価もなんだかんだよかったんで「いけるぞ!」と思っていました。なんだけども、M-1ではずっと準決勝止まりだったんです。
トシ 「M-1グランプリ」のスタッフさんにも「タカトシって面白いし、漫才も上手いんだけど、何がダメなんだろうね」とつぶやかれたこともありました。こいつ(タカ)も「漫才上手い大会じゃねーのか」って話していたけど、薄々僕らには何かが足りないと考え始めたんです。
若いころは、タカの見た目もヤンキーみたいだったんで、何となくとっつきにくさがあったんでしょうね。
タカ たしかにイカツかったな(笑)。それにぼくらは、王道のしゃべくり漫才しかやってこなかったから、インパクトに欠けていた。
だからボケの僕がこいつ(トシ)の頭を叩く逆ツッコミをやってみるとか、いろいろ工夫してみたんです。
――たしかにお若いころから逆ツッコミは、よく披露されていましたよね。ツッコミと言えば、やはり「欧米か!」がタカトシさんの代名詞。今ではもうおなじみのこのツッコミも方向性を模索するなかで編み出したものだったのでしょうか?
トシ そうですね。きっかけは、「オンエアバトル」のときに「昔か!」って入れたツッコミから。そもそも「~~か!」っていうツッコミ自体、関東では「~~かよ!」みたいなツッコミと同じでもともとあった形式だったんで、誰のものでもなかった。
タカ でもお客さんのウケはよかったんで、徐々に漫才に取り入れるようにしました。
――そして、結成10年目の参加できるラストイヤーとなった2004年の「M-1グランプリ」では、見事決勝に進出し、4位に入賞する運びとなりました。
タカ M-1の決勝戦では、トシと「~~か!」って同じ語尾のツッコミを連続して入れあったんです。そして、その仕組みをなんとか使えないかなと思い、「~~か!」っていうツッコミをネタ番組で頻繁にやるようになった。そこから「欧米か!」に派生していきましたね。
関西の「なんでやねん」に対抗したワケじゃないけども、結果的にそれがキャッチーだったんでしょ。番組のスタッフさんや先輩芸人もいじってくれて、「欧米か!」をやってほしいってオファーがたくさん来ました。木村祐一さんなんかちょいちょい「昔か!」って言ってくれて(笑)。やっぱり先輩たちがいるってすごく大事だな、って思いましたもん。
トシ いい感じにキャッチーさが生まれて親しまれたんだなあ、と。いつの間にか僕らのネタになっちゃいましたが(笑)。
「黄金伝説のロケでキツすぎて涙が出た」
――2005~2006年には「爆笑オンエアバトル」のチャンピオン大会で第7・8代チャンピオンに君臨。「欧米か!」も当時の子どもたちの間で大流行し、出演番組数も爆発的に増えました。一気にお茶の間の人気者になりましたが、その分かなりお忙しくなられたようで……。
タカ テレビの収録が1日5、6本あるなんて当たり前で、最高で9本入ったこともありました。移動中もインタビュー取材があって眠れない(笑)。
トシ 朝の番組もやっていましたから、常に寝不足で意識朦朧としていましたし。病んでいるまでとはいかないけど、当時の記憶はほとんどないんですよ。
タカ あんまりにも忙しかったから「いきなり!黄金伝説。」(テレビ朝日系)で“1週間で1000枚のせんべいを食べる”という企画をやっていたとき、ホントにしんどくて泣いていましたもん(笑)。
――まさにブレイクした芸人らしい過酷スケジュール……!
タカ でもぼくらは売れたかったし、テレビに出たかったから、忙しいのはうれしかった。
幸いぼくらは2007年から地元の北海道で「タカアンドトシのどぉーだ!」(北海道文化放送)が始まって、週末に収録があったので、「この仕事が終われば北海道に帰れる」ってモチベーションになりました。
トシ 2010年に「もしものシミュレーションバラエティー お試しかっ!」(テレビ朝日系)がゴールデンに進出したころは、嬉しかった反面、ゴールデンは視聴率が取れないとすぐに終わっちゃうっていうジンクスもあったから内心焦りもありましたね。結果出さないと次も呼ばれないし、ひたすら目の前の仕事をやるしかなかったな。
タカ 「お試しかっ!」は2015年に終わっちゃったけど、その後も特番として何回か復活しているし、今は「帰れマンデー見っけ隊!!」(テレビ朝日系)として復活も果たした。あのころのメンバーでまた仕事できているから、昔の縁がこうして今につながっているのは、素直にいいなぁって思います。
「あのときトシが怒ってくれなかったら、俺は……」
――現在は、先ほどの「帰れマンデー見っけ隊!!」をはじめ、「有吉ぃぃeeeee!~そうだ!今からお前んチでゲームしない?」(テレビ東京系)、「今夜はナゾトレ」(フジテレビ系)、地元北海道では「ジンギス談!」(HBCテレビ系)など、数々のレギュラー番組を抱える中堅芸人として活躍されています。改めてここまで来るのに30年、振り返ってみていかがでしょうか?
タカ いやホントあっという間でしたよ。
トシ 気付いたら30年経っていたんだ、というのが本音です。
タカ 昔の感覚で芸歴30年っていうと師匠クラスになりますが、今は芸人の数も増えているし全然ベテラン感はないです。今もずっと若手の気持ちで仕事していますよ。
ずっと仕事に没頭していて、楽しかった。だから「もう30年!?」って感じるんでしょうね。
ぼくらのほぼ同期で、同郷でもある錦鯉の長谷川(雅紀)は50歳を超えてM-1で優勝するまでずっとバイト漬けでしたが、芸人の仕事を続けていて楽しそうだったので、やはり楽しいから続けられるんですよね。
トシ 今は北海道芸人だけのイベントもやっているし、長谷川も呼んで打ち上げできるのは本当に楽しい。
――そういえば、おふたりはピンでは仕事をされないことで有名です。
タカ まあピンだと力不足だからね(笑)。それに、純粋にふたりで仕事したいね、っていう気持ちが強いんですよ。ピン出演を許しちゃうと、コンビのパワーバランスが崩れるとも言われているし。
トシ もともとタカのほうからお笑いを誘ってくれたんで、お互いの笑いの感性は近いんだと思います。
タカ 言うなれば、学校の友達とだべってる時間をずっと毎日続けている感じ。そうしたふざけた時間って大人になればなるほどほしくなると思うし、それができている時点でお互いが一緒じゃないとダメなんですよ。
――ふたりそろってこそのタカアンドトシなんですね! では最後に30年続けてきて、お互いに対して言いたいことがあれば、教えてください。
タカ 実は上京する直前は本当に仕事がなくて、不良芸人のようにヤケになっていたんです。毎日カラオケに行っては、歌って嫌なことを忘れる堕落した日々。ただ、あるとき歌いすぎて声がガラガラになっちゃって、漫才に支障が出ちゃいました。
そのときトシに「もうカラオケは止めなよ」って注意されたんです。30年振り返って怒られたのはそれっきり。あのときは感謝しています。
トシ あんまり覚えていないけど(笑)。
タカ でもこの間、福岡で公演があったときの打ち上げで、こいつ(トシ)がカラオケで長谷川と歌いすぎて、次の日にまったく声が出てなかったんですけどね(苦笑)。松山千春を歌うと止まらなくなるんだよ、こいつ!
トシ いやあれは、そーいうネタにして笑いにしたじゃん(笑)。そんなことを言うおまえこそもうタンクトップは着るなよ! うちの奥さんめちゃくちゃ嫌がってんだぞ!
タカ え? おじさんがあえて着るからわんぱくに見えてかわいいんじゃないの?
トシ いや、子どもか! いい年こいてから着ると嫌悪感がすごいんだよ!
取材・文/中田 涼/A4studio 撮影/下城英悟