地球の衛星「月」は、内部が冷えることで徐々に収縮しています。月の表面は硬くて脆い岩石でできているため、収縮によって表面には断層や崖が形成されます。


スミソニアン博物館のThomas R. Watters氏などの研究チームは、月の南極地域の地形の形状から、月の表面を覆うレゴリスの斜面における崩れやすさを推定し、過去に南極地域で発生したことが推定されているマグニチュード5.3の月震 (月の地震) の影響を調べました(※)。その結果、中程度から弱い揺れは震源から50kmを越える距離まで到達し、そのような弱い揺れでも容易に地すべり(地辷り)が発生する恐れがあることを示しました。


重要なことに、特定された断層帯や地すべり発生のリスクが高い位置は、アメリカ合衆国政府が出資する有人月探査計画「アルテミス」の着陸候補地の近くにあります。月の南極は月探査計画で注目されている地域の1つですが、この研究結果は将来的な探査計画では月震や地すべりのリスクを考慮しなければならないことを示唆しています。


【▲図1: 今回の研究で推定された、いくつかの斜面の地すべりのリスク (赤・緑・青の丸点) 。赤い点であるほど斜面の角度 (内部摩擦角) が高く、月震の際に崩れやすいことを示しています。水色の四角はアルテミス計画での着陸候補地を示しています(Credit: Thomas R. Watters, et al.)】

※…マグニチュードには複数の定義があります。後述するN9事象の規模は、リヒタースケールで約5、実体波マグニチュードで5.5以上と測定されています。今回の解説記事では、揺れの強さを推定した時に使用したモーメントマグニチュード5.3を代表値としています。


■月の南極地域は興味深い探査対象

地球の衛星「月」は恒久的に地球の近くに存在する天体であるため、宇宙開発の初期から現在に至るまで探査対象として注目されています。特に近年の月探査計画は、月の科学的調査をより重点的に行うものや、将来的に恒久的な有人月面基地を建設するための訓練や準備を兼ねたものが多くなっています。


科学的調査でも有人探査計画でも注目されているのが月の南極地域です。月の極地にはクレーターの内部に日光が一切当たらない「永久影」が生じる場所があります。そのような場所は真空の月面で蒸発しやすい水などの揮発性物質が豊富に残っている可能性があります。これは人々の生存に必須な飲み水や、農業を行うために必要な水を現地で確保できるという有人月面基地のメリットだけでなく、月の表面で蒸発して消えやすい物質が残っている “化石” であるという点で科学的にも重要です。また、南極地域には金属資源が豊富に存在すると考えられており、この点でも月面基地建設や科学的調査で有利となります。


2023年8月23日、ISRO(インド宇宙研究機関)の「チャンドラヤーン3号」が史上初めて南極地域への着陸に成功しています。また、アメリカ合衆国で連邦政府が出資して計画されている有人月探査計画「アルテミス計画」は、史上初となる有人での南極地域への着陸と探査を予定しています。


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■月の長期滞在と月震のリスクは不明瞭

一方で、月面に着陸した無人探査機や有人月面基地が、将来的にどのようなリスクにさらされるのかはあまり良く分かっていません。分厚い大気による気象現象や、プレートテクトニクスによる火山・地震活動が常に起こっている地球とは異なり、月はほぼ真空で、地質学的にも “死んでいる” 天体であると見なされ、短期的なリスクはほとんどないものと考えられているためです。


しかし、実際には地球ほど激しくはないものの、月にも固有の地震である「月震」が存在します。その原因には天体衝突のような外的要因もありますが、月の構造変化による内的要因もあります。


特に発生原因として挙げられるのは、月そのものの縮小です。月の内部は少しずつ冷えていくため、過去数億年で直径が15m程度小さくなったと考えられます。この収縮の影響は表面に “しわ寄せ” が来ます。と言っても、月の表面は干しブドウのように柔軟ではないため、表面には多数の断層や崖が生じます。その大きさは最大で高低差150m、長さ数十kmにもなります。


断層がずれれば、地球の地震と同じく月震の原因となります。アポロ計画で設置された月震計は、表面の断層のずれによって生じたと思われるいくつかの月震を記録しています。ただし、地震計の少なさに加えて観測期間が1969年〜1977年と限られたことなどが理由で総合的にデータが不足しているため、どこで発生しているかなど月震の正確な状況がよく分かっていませんでした。


■過去の大きな月震の震源は南極地域

今回新たな研究を行ったWatters氏らの研究チームは、過去にも2019年に、月の南極付近にある断層地形とアポロ計画で記録された月震との関連を調べるための研究を行いました。月の表面はNASA (アメリカ航空宇宙局) の「ルナー・リコネサンス・オービター」によって非常に高精細な画像が得られています。そしてアポロ計画で1973年3月13日に記録されたマグニチュード5程度の月震「N9事象(N9 event)」は、南極地域で発生したことが1979年に推定されています。しかし、データの性質からその精度には限界があり、推定された震源域はかなり広くなりました。そして最も可能性の高いポイントには、月震の規模に対してかなり小さな断層崖しかありませんでした。


【▲図2: 2019年の研究で示されたN9事象の推定震源地 (紫に中黒の点) 。青色の点は1979年に推定された、最も可能性の高い震源地 (実際にはもっと広い領域が推定されています) 。水色の四角はアルテミス計画の着陸候補地です(Credit: Thomas R. Watters, et al.)】

2019年の研究では、Watters氏らは南極地域にある「ド・ジェラルーシ葉状衝上断層崖(de Gerlache lobate thrust fault scarp)」にN9事象の原因となった活断層が含まれていると考えました。これは1979年に推定された断層崖よりもずっと規模が大きいものです。Watters氏らは、複数の震源が推定されてしまうものの1つ1つのポイントにおいては精度が高くなるアルゴリズムを使って震源を推定したところ、震源がド・ジェラルーシ葉状衝上断層崖に強く関連づいていることが示されました。


■南極地域には地すべりの高リスク地域があることが判明

Watters氏らは2019年の研究の続きとして、月の表面を覆う「レゴリス」が大規模な月震で崩れる可能性を推定しました。レゴリスは微小隕石や太陽風によって細かく砕かれた鋭い形状の砂状物質で、お互いの結合力が弱く、レゴリスに覆われた月の表面はとても崩れやすいものとなっています。


【▲図3: 今回の研究で推定された、マグニチュード5.3の月震による揺れの強さの推定値。震源から50kmを越える距離でも、中程度から弱い揺れが推定されています(Credit: Thomas R. Watters, et al.)】

Watters氏らはN9事象の規模をマグニチュード5.3と仮定し、月の表面地形や斜面の角度、レゴリスの結合力を元に、N9事象と同じ月震が起きた際の揺れと地すべりの評価を行いました。その結果、震源からの距離が40km以内では強い揺れに襲われる一方、50kmを越える場所でも中程度から弱い揺れに襲われることが分かりました。そしてそのような弱い揺れであっても、レゴリスで覆われた斜面は容易に地すべりを起こすことが分かりました。


これは、南極地域を調査する将来的な探査計画において懸念事項となるかもしれません。例えば、アルテミス計画の着陸候補地は今回推定された震源域や崩れやすい斜面に対して近い位置にあります。また、地球の地震の揺れは長くても数分しか持続しないのに対し、月の表面で起こる月震の揺れは数時間を超えて続くことが珍しくありません。そして永久影のように科学調査や資源採掘が予定される場所は、地すべりを起こしやすい斜面に位置しています。マグニチュード5程度という規模の大きさ、長時間にわたる月震の揺れの長さ、そして地すべり発生の恐れは、長期間または恒久的に月面に滞在する人々や機材にとってリスクとなり得ます。


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ド・ジェラルーシ葉状衝上断層崖と似たような断層崖や地形は、月面のあちこちに存在します。また、短期間に月震が複数記録されたことや、断層崖の地形的な新しさは、大きな月震がかなり頻繁に起きていることを示しています。長期間の運用が計画される将来的な月探査計画では、地震や地すべりが計画を妨げる負の事象として検討されるようになるかもしれません。


 


Source


T. R. Watters, et al. “Tectonics and Seismicity of the Lunar South Polar Region”. (The Planetary Science Journal)Thomas R. Watters, et al. “Shallow seismic activity and young thrust faults on the Moon”. (Nature Geoscience)Georgia Jiang. “The Moon is Shrinking, Causing Landslides and Instability in Lunar South Pole”. (The University of Maryland)

文/彩恵りり