エッセンシャル分野への再分配などにより、「ラディカルな改良主義」を推し進めれば、市場が縮小している日本は、世界でいちばん先行した脱成長のロールモデルになる可能性があります(写真:maruco/PIXTA)

環境破壊、不平等、貧困……今、世界中で多くの人々が、資本主義が抱える問題に気づき始めている。経済人類学者のジェイソン・ヒッケル氏によれば、資本主義は自然や身体をモノと見なして「外部化」し、搾取することで成立している、「ニーズを満たさないことを目的としたシステム」であるという。そしてヒッケル氏は、「アニミズム対二元論」というユニークな視点で、資本主義の歴史とそれが内包する問題を白日の下にさらし、今後、私たちが目指すべき「成長に依存しない世界」を提示する。今回、日本語版が昨年4月に刊行された『資本主義の次に来る世界』について、東京大学大学院准教授で、『人新世の「資本論」』の著者の斎藤幸平氏に話を聞いた。前編に引き続いてお届けする。

GDP神話と人々の幸福


私たちの経済成長を計るGDPは、商品にどれくらいの付加価値がつき、市場でやり取りされたかを表す指標です。

しかし、戦争でミサイルを打って街を壊してもGDPは増えますし、人に必要ないものを買わせても増えます。公共サービスとして無償で提供されていた教育や医療を値上げしても、増えるのです。

アメリカは、GDP世界一ですが、日本や韓国よりも平均寿命が短く、ひどい格差があります。アメリカのGDPの多くは「無駄に」なっているとヒッケル氏は指摘します。実際、私たちの生活や幸福にとって重要なものは、健康寿命が長いこと、近くに公園や緑があることなど、決して貨幣で計られる一面的なものではありません。

人々の生活や幸福にとって役に立つものだからこそ、人間は、便利なものを作ろうとし、技術を発展させてきました。

技術は、本来の「使用価値」を持っているのです。これを使えば遠くの人とコミュニケーションができる、これを使えば洋服がもっと綺麗になるなど、使用価値が人々を幸せにし、そこに経済活動が生まれるから、GDPも増えていく。

しかし、いつからか、価値が増えてお金も増えていくのに、必ずしもその使用価値が増えないものが、たくさん出てきました。

無駄な再開発もそうですし、最近ではiPhoneも、12になろうが13になろうが、新しい機能はあるものの、iPhoneの持つ使用価値そのものは大して変わっていない。つまり、私たちは新しいiPhoneを買っても、GDPを増やすことはできても、幸せにならないのです。

にもかかわらず、お金持ちがお金をたくさん持っているという理由で、それによって幸福になれるわけでもないのに、無駄な大量消費をして、環境を破壊している。前回見た、外部化のせいで、そのツケは貧しい人が払うことになります。

もっと平等な社会にしていくことが環境にとってもいいですし、そのほうが人々の幸福度も全体的には高くなる。ところが、資本主義は成長を追い求め続け、格差を拡大し、環境を破壊する。だから、ヒッケル氏はそのような成長主義から脱却すべきだと言うのです。

エッセンシャル分野への再分配

今の社会で高級取りと言えば、広告、マーケティング、コンサルタントなどです。そこに使用価値はなく、いかにコストカットをするか、いかに余計なもの買わせるかというものが社会で力を持つ、その象徴と言えるでしょう。

一方で誰もが必要とするエッセンシャルワークは待遇が低い。もっと、教育、医療、介護などエッセンシャルな分野に再分配していくべきです。

ところが、「再分配」という問題は隠蔽されてきました。成長すればいいという中では、パイが大きくなり続ければ、再分配しなくてもみなが豊かになっていくという夢を与えてきた。いわゆる、トリクルダウンですね。「成長すればみんな豊かになりますよ」というナラティブは、再分配したくない側にとって、非常に都合がいいわけです。

地球の限界を前に気がつくべきなのは、多くの人の生活が苦しいのは、社会が十分に成長していないからではなく、その果実を一部の人があまりにも独占しているからだということです。この事実に気がつくことが難しい理由には、成長を止めると貧しくなって、ひどい生活になるという思い込みがあります。

GDPを増やし続けるのか、地球環境のために貧しい暮らしするのかという二項対立は常に煽られていますが、それがもたらしたものは、労働運動と、環境保全主義の間の深刻な分断です。

労働運動と環境保全主義の分断は、資本主義にとっては都合がいい。どちらも資本主義のもとで苦しんでいるのに、その両者が分断されるのですから。

ヒッケル氏の脱成長論が重要なのは、この分断を乗り越えるビジョンを出しているからです。本当の幸福で豊かな生活は、必ずしも経済成長に依存しているわけではないということに、彼の本を読めば気がつくことができるでしょう。もっと平等で、健康で、持続可能な社会を作ることは、GDPの成長ばかりを追い求めなくとも可能なのです。

日本こそ脱成長のロールモデルになれる

少子高齢化によって経済成長が減速している日本は、脱成長への新しい社会のロールモデルになるチャンスと言えます。


日本の経済成長の減速には、イノベーションも停滞しているという問題もありますが、アメリカと比較すれば寿命は長く、治安もいい。義務教育のレベルも高い。自然環境も豊かで、食べ物も美味しく、温泉が湧き、都市部では公共交通機関もしっかり発達しています。

ジェンダー平等や脱炭素化など改善していくべき課題もありますが、GDPで計れない豊かさはある。今後急速に人口が減っていくなかで、これをどう継承・発展させながら、軟着陸させていくかです。日本がうまくいけば、今後少子高齢化が進んでいく先進国に対して、いちばん先行した脱成長のロールモデルになれる可能性があると考えています。

もちろん、そのためには、いろいろなイノベーションが必要です。けれども、イノベーションといっても、自動運転とか、AIだけがイノベーションでない。たとえば、ヒッケル氏は自転車だって、環境に優しい技術としてもっと再評価できると指摘しています。

ポイントは、社会的インフラの整備です。自動車中心の社会から、自転車や公共交通機関で生活できるコンパクトシティや交通網の整備が必要になる。これこそ、スマートシティよりも、必要なイノベーションではないでしょうか。

そうした改革を行っても、一気に市場のない世界になるわけではありません。けれども、資本主義の内部での改良から始めたとしても、脱炭素税の導入、累進課税の強化、広告削減などを積み重ねた先は、もはや資本主義とは呼べない社会に移行しているでしょう。私はこれを「ラディカルな改良主義」と呼んでいます。

私は、お金や資本、商品の論理によって囚われていない空間を「コモン」と呼んでいます。資本主義の論理から少し半身になって暮らし、考え、行動できるような「コモンの自治」の領域を、今の世界の自分たちの暮らしの中に取り戻していくことができれば、人々の発想や行動も変わっていくのではないかと期待しているのです。

(構成:泉美木蘭)

(斎藤 幸平 : 東京大学大学院准教授)