2022年6月のフィリピン大統領選で当選を決めた時のマルコス大統領(中央)とサラ副大統領(左から2番目、写真・Bloomberg)

2024年1月28日は後年、マルコス・ドゥテルテ戦争の幕が切って落とされた夜と記憶されるだろう。2年前、二人三脚でフィリピン正副大統領選挙を制したフェルディナンド・マルコス・ジュニア(通称ボンボン)氏とサラ・ドゥテルテ氏の蜜月が終わり、「ワンチーム」の瓦解が誰の目にも明らかになったからだ。

ボンボン氏は、20年にわたり独裁体制を敷いた元大統領の長男。サラ氏は暴言と剛腕で名を馳せたロドリゴ・ドゥテルテ前大統領の長女。2028年の次期大統領選の最有力候補であるサラ氏が政権ナンバー2の座を辞すと示唆したのに続き、弟のダバオ市長がボンボン氏に公然と辞任を要求した。父の前大統領も参戦し、家族や支持者を巻き込む抗争に発展している。いったい何が起きているのか。

両陣営が集会を同時開催

1月28日夜、ボンボン陣営はマニラ市で「新フィリピン運動」の開始式典を開いた。父のフェルディナンド・マルコス(シニア)大統領が展開した「新社会運動」を模したイベントだ。

一方同じころ、南部ミンダナオ島ダバオ市で開かれた護憲集会に前大統領が登壇し、ボンボン氏を「麻薬中毒者だ。大統領になる前も今も」と放送禁止用語で罵った。そのうえで、「このまま(憲法改正に)突き進むと、親父と同じ運命をたどることになる」と警告した。38年前、「ピープルパワー」によってシニアの政権が崩壊、ボンボン氏を含むマルコス家がアメリカへ追放された政変になぞらえた発言だ。

フィリピンでは、2023年末から憲法改正をめぐる動きが加速している。政変後の1987年に制定された現憲法は厳しい外資規制を定めている。これが外国企業誘致の障害になっているとして、これまでもたびたび改憲が俎上に上ってきた。

しかし大統領や議員の任期延長などが同時に盛り込まれて独裁復活の引き金になるのではないかと反対する声がそのたびに持ち上がり、手が付けられたことはなかった。

今回は、ボンボン氏のいとこで最側近であるマーティン・ロムアルデス氏が議長を務める下院が主導する形で議論が進んでいる。国民発議の署名運動も始まった。

ボンボン氏は就任以来、改憲には慎重な態度を示してきたが、1月23日のテレビ番組で「現憲法はグローバル化を想定しておらず、外資を呼び込むためには調整の必要がある」と一転して前向きな姿勢を示した。

これに対して前大統領らが「改憲によりボンボン・ロムアルデス一派は権力に居座ろうとしている」と一斉に反発の声を上げているのだが、現政権に対するドゥテルテ陣営の不満は、改憲の動きにとどまらない。

むしろ改憲阻止は現政権を批判するネタにすぎないともいえる。ドゥテルテ政権も連邦制を掲げて憲法改正を試みていたのだから。

ダバオ市長が公然と辞任要求

ドゥテルテ陣営の本音は、同じ1月28日にダバオ市で開かれたフォーラムに登壇したセバスチャン・ドゥテルテ市長の演説に凝縮されていた。前大統領の次男である。

セバスチャン氏は、シニアの遺体を英雄墓地に埋葬するというマルコス家の長年の悲願を前大統領(父)がかなえたにもかかわらず、現政権はその父を牢獄に入れたがっていると憤った。

さらに政権交代後、麻薬汚染が再び蔓延していると不満をぶちまけ、「大統領、あなたは怠惰で国民への思いやりに欠けている。国を愛せないなら辞任すべきだ」と言い放った。

マルコス、ドゥテルテ両家の蜜月は、シニアの英雄墓地埋葬がきっかけだった。シニアは1989年に亡命先のアメリカ・ハワイ州で客死し、遺体はその後、故郷の北イロコス州に運ばれた。

マルコス家はマニラ首都圏にある英雄墓地への埋葬を希望していたが、戒厳令下で拷問などの人権侵害にあった被害者らが反対し、歴代政権も認めてこなかった。ところがドゥテルテ前政権誕生した2016年、前大統領が埋葬を認めた。その後、両家は急接近した。

2022年の正副大統領選が始まる前の世論調査でサラ氏は一貫して大統領候補の首位に立っていた。にもかかわらずボンボン氏に大統領候補の座を譲る形で「ユニチーム」として副大統領選に回った。

南部ミンダナオのドゥテルテ家と、北部ルソン島イロコス地域、中部ビサヤ地区レイテ島を地盤とするマルコス家という「地域割り」が功を奏したこともあり、両者の圧勝につながった。

大統領に三行半?

サラ氏は2024年1月22日、ダバオで集会に参加し、2025年5月に予定されている中間選挙に立候補すると発言した。副大統領の任期は6年。出馬のためには任期半ばで職を辞す必要がある。

中間選挙は正副大統領を除く、上院の半数と下院の全議席、知事、市長らのポストが一斉に争われる。サラ氏が出馬するとすれば上下院か、前職のダバオ市長である。

鞍替えの理由として、サラ氏は兄の下院議員パオロ氏、弟のダバオ市長セバスチャン氏がともに再選をめざさないようだからだと説明した。しかし額面通りに受け取る向きはまずいなかった。

選挙にまつわる食言はドゥテルテ親子のお家芸だ。前大統領は選挙前、「大統領選に出るなら死んだほうがマシ」と語ったり、前回の大統領選では娘に対抗して副大統領選に出馬すると表明したりした。サラ氏も副大統領選に立候補する前にいったんダバオ市長への立候補を届け出ていた。

実際、今回も発言2日後の1月24日に「発言が断片的に解釈された」と副大統領職の辞任を否定した。発言の意図は「なんなら辞めてやる」というボンボン氏へ牽制が目的だったと推測される。

ボンボン氏は「水の流れを読む(観測気球をあげる)ためでは」と論評したが、実際は大統領への三行半、あるいは決裂宣言だった可能性もある。

フィリピンの正副大統領はアメリカと違ってペアで選ばれるわけではなく、別々の選挙で選ばれる。このため過去ほとんどの場合、就任後の正副大統領は対立し、副大統領は重要な役割を与えられなかった。

しかしボンボン氏とサラ氏の場合、選挙戦の経緯や両家の関係から結束は固いとみられていた。ところが蜜月の終わりは予想より早く訪れた。就任から1年足らずで、両者の関係に暗雲が漂い出す。

サラ氏からすれば、ボンボン氏の変節がゆえだ。裏切りと受け止めているのかもしれない。ボンボン氏は選挙中、具体的な政策はほとんど語らず、「ドゥテルテ政権の継承」を連呼した。

サラ氏が譲ったからこそ大統領の座にたどり着いたボンボン氏の立場を考えると、ドゥテルテ陣営に配慮しながら政権運営を進めるとみられていた。

なぜ不協和音が広がったのか

ところがふたを開けると、新政権はさまざまな分野で前政権の政策を覆した。経緯はともあれ、いったん権力を握った側は強い。主導権はボンボン氏に移り、遠慮は消えてゆく。

最も明確な政策変更は、外交・安全保障分野だ。ドゥテルテ政権の嫌米親中路線に対し、現政権は親米路線を徹底させ、中国に対して南シナ海領有権問題で一歩も引かない立場を明確にした。

アキノ政権が2013年、国際海洋法条約に基づき、南シナ海の領有権をめぐる中国の主張を「国際法違反」としてオランダ・ハーグの常設仲裁裁判所に提訴し、2016年7月にフィリピン側の勝訴となった裁定について、ボンボン氏は選挙中、「片方の当事者しか参加しない以上、仲裁の意味をなさない」と発言していた。

ところが就任後はアメリカ政権と歩調を合わせ、ことあるごとに国際海洋法を持ち出して中国を批判している。そのせいもあって南シナ海における中国のフィリピン艦船への嫌がらせはエスカレートしている。

政権発足時、副大統領兼務の国防相ポストを希望しているとささやかれていたサラ氏はボンボン氏の意向で教育相に回った。国防相であったなら対中政策は違った展開になっていた可能性がある。

亀裂が初めて公となったのは選挙1年後の2023年5月だった。下院の上級副議長だったグロリア・アロヨ元大統領が一般の副議長に降格された。

アロヨ氏は、ロムアルデス議長を追い落とす院内クーデターを企てたことが露見し返り討ちにあったとの見方が広がるなか、アロヨ氏と親しいサラ氏は所属政党ラカス−CMDを離党した。同党のトップはロムアルデス議長。アロヨ氏の処遇に反発しての離党だった。

ボンボン+下院議長VSドゥテルテ陣営の構図

ロムアルデス氏はサラ氏に対抗して次期大統領の座を狙っているとされ、ドゥテルテ陣営との対立があらわになっている。ボンボン氏自身はサラ氏やアロヨ氏らとあからさまに敵対する姿を見せてはいないが、サラ氏よりロムアルデス氏との連携に重きを置き、政権運営の中軸に据えていることは明らかだ。

ドゥテルテ対ロムアルデスとの確執は、2024年度政府予算案からサラ氏率いる副大統領府と教育省が要求した計6億5000万ペソ(約17億円)の機密費を下院が削除したことで隠せぬものとなった。

安全保障に関係のない副大統領府や教育省が過去、機密費を受け取ったことがないことや、サラ氏が前年、大統領府の予算から割譲された1億2500億ペソ(約3億3000万円)の機密費をわずか11日間で費消したことが明らかになり、野党やメディアから批判が高まったことを受けた措置だった。

しかし、サラ氏は「平和と秩序のために割り当てられた資金(機密費)を攻撃する者は陰湿な動機を持っている。国民の敵だ」などと反発した。父のドゥテルテ氏もテレビで「下院は腐っている。ロムアルデスを監査しろ」と吠えたことで、さらに世間の注目が集まった。

サラ氏は政権運営でさまざまな不満をためていたとみられるが、自らが参加する政権への表立った批判は避けていた。ところが政府が2023年11月28日、フィリピン共産党(CPP)の統一戦線組織、民族民主戦線(NDF)との間で和平交渉を再開すると決めたことで、怒りが爆発した。

「大統領、これは悪魔の合意だ」との公式声明を出し、その後もCPPとNDFを「裏切り者」「欺く者」「暴力的な敵」と罵倒し、地域社会に大混乱をもたらすと警告した。和平交渉は大統領だった父が2017年11月に打ち切っていた。

ICC対応で堪忍袋の緒が切れた

不協和音が響くなか、国際刑事裁判所(ICC)をめぐるボンボン氏の発言でドゥテルテ陣営の堪忍袋の緒が切れた。ICCは前政権の「麻薬撲滅戦争」が「人道に対する罪」などにあたるとの告発を受け、捜査を続けている。

政府発表だけでも「戦争」にからんで6000人以上が殺され、その多くは司法の手続きを経ない超法規的殺人だった。ICCは前大統領や側近だったデラロサ国家警察長官(現上院議員)らが「大量虐殺」に関与した疑いをもち、逮捕状の発布も検討しているとされる。

前政権は捜査に反発し、2018年にICCに脱退を通告、1年後に正式に脱退した。ところがボンボン氏は2023年11月、ICCへの再加入を「検討する」と発言したのだ。

大統領選でサラ氏が候補の座をボンボン氏に譲った裏には、ICCへの非協力が最低限の合意だったとみられ、ボンボン氏はICCの国内捜査には協力しないとの姿勢を崩してはいない。

それでもサラ氏の「中間選挙立候補発言」の翌1月23日、「国内捜査は主権侵害となる」として協力しないと話したものの、捜査員の入国自体に関しては「一般人としてフィリピンを訪れることは可能だ」との見解を示した。

デラロサ議員が記者会見し、ボンボン氏から2週間前にICCの捜査員は入国させないと伝えられたとしたうえで、「男らしく本当のことを言ってくれ。私たちを収監させたいと思っているなら直接言うべきだ」と訴えた。

麻薬戦争に対し、現政権は明らかに姿勢を変化させている。レムリア司法相は2024年1月、共同通信の取材に対し、麻薬戦争について「摘発のノルマを割り当てられた警察が証拠をでっち上げ、多くの無実の人が逮捕された」と批判し、「過ち」と断じた。

ボンボン・ロムアルデス陣営は、ICC捜査をドゥテルテ陣営牽制のカードとしているのではないかという疑心暗鬼がドゥテルテ側で強くなっている。

セバスチャン氏の「父を牢獄に入れたがっている」という発言とあわせ、ドゥテルテ陣営がICCの捜査の行方と現政権の対応に神経をとがらせていることは間違いない。

退役軍人らの不穏な動き

ボンボン氏は1月29日、ベトナムを公式訪問するため専用機に乗り込む前に報道陣に囲まれ、前大統領から前夜、麻薬中毒者と名指しされたことについて聞かれた。「前大統領は鎮痛剤フェンタニルを使用している。言動はその影響だろう。主治医がきちんとケアすることを願う」と答えた。

「ユニチーム」の亀裂が深まるなか、2023年後半からドゥテルテ親子を支持する退役軍人らの不穏な動きが表面化している。

現政権に不満を持つ軍や警察の元高官らが会合を持ったとの情報が流れたり、元軍人が「私の大統領はサラ」と発言する動画が投稿されたり。

国軍トップのロメオ・ブラウナー参謀総長は「国軍の現政権支持は揺るがない」と繰り返し、前大統領も「なぜ私が現政権の不安定化を画策しなければならないのか」と否定している。

しかしながらフィリピンには過去、軍人らが武力で政権を転覆しようと試みる事件が繰り返された歴史がある。2028年の次の大統領選へ向けて長い駆け引きが続きそうだ。

(柴田 直治 : ジャーナリスト、アジア政経社会フォーラム(APES)共同代表)