“M”のマークを生かして「ラプレ・モンド・ポッシブル」と書かれた看板。「(なにごとも)可能な世界のその先」を彼らは目指している(写真:ラプレ・エム提供)

フランス南部、地中海を望む港湾都市として栄えてきたマルセイユの北部に、サン・バルテレミという地区がある。ここの貧困率は35%。日々の食品や日用品を買うことすら難しい生活者が多い。

フランスで話題のファストフード

この困窮を極めるエリアに、2022年12月にオープンしたある店が今、フランスの全国版ニュースでも取り上げられるほど話題を集めている。その店の名は「ラプレ・エム(L’Après M)」。

意味は「Mのその後」。ちょっと変わった名前だ。


ラプレ・エムの店舗前(写真:ラプレ・エム提供)

店のウェブサイトをのぞいてみると、客とも店員ともとれない私服の人たちの笑顔が印象的だ。壁には「ファストフード」と書かれた文字。そう、ここはハンバーガーやフライドポテト、シェイクなどのイートイン、テイクアウトを専門とする飲食店なのだ。


「ラプレ・エム」の単品メニュー(写真:ラプレ・エム提供)


こちらはセットメニュー(写真:ラプレ・エム提供)

メニューをぱっと見た感じは、ほかのファストフードのチェーン店とさほど変わらない。バーガー類、ポテトやナゲットなどの単品商品があり、ドリンクとのセットメニューも並ぶ。値段も、ほかと比べて高くもなければ安くもない。ハッキリ言って、このような店は筆者の住むパリでもよく見かける。

しかし、なぜこの店がフランス全土で注目を集めているのだろうか。世界100カ国以上の現地在住日本人ライターの集まり「海外書き人クラブ」の会員が店の仕掛け人に聞いてみた。

超貧困地区にとある異変が…

その答えを紹介する前に、今のマルセイユについて触れておきたい。

実は多国籍な風情を残す街の治安が、昨今著しく悪化している。その理由は、港からフランスに持ち込まれる麻薬や武器の数々と、それを売り買いする闇取引の横行だ。

2023年にマルセイユの麻薬密売に関わり犠牲になった人の数は、11月の時点ですでに45人と過去最多を記録。マルセイユが昨年のヨーロッパの都市のなかで「最も危険な街」に位置付けられた。

さらにこの街の貧困問題も深刻さを極める。マルセイユ市の人口約85万人のうち、貧困層と呼ばれる生活水準の人は24万人以上もいる。貧困率は約30%だ。

そんな街に誕生したファストフード店。筆者が店に問い合わせると、同店の創設者カメル・ゲマリさん(42)が取材に応じてくれた。

カメルさんは開口一番、「ここは地域住民のための店ではない」と言う。そして「この店は地域住民のためではなく、“地域住民とともに”存在するのです」と説明した。

店では近隣住民を積極的に採用している。周辺エリアの失業率は60%。働き先が見つかりにくいシングルマザーなどを中心に、地元の人たちに就労のチャンスを与えている。

それだけではない。毎週月曜日には700世帯分の食品を地元住民に配給している。一般的にファストフードといえば、「安い・早い・美味い」が売りだろう。しかし、この地域ではそれすら買えない人が大勢いるのだ。

「彼らは社会的に非常に不安定な状況にあり、(非常に不安定な状況や、深刻な生活苦に直面していることによる)深い悲しみの中にいます。そんな彼らに対して『助ける側』と『助けられる側』という上下関係のようなものを決して作ってはいけません」(カメルさん)


食料の配給日に店を訪れる近隣住民(写真:ラプレ・エム提供)


店の周りをぐるりと囲むように並ぶ列。これだけ多くの人が援助を必要とする状況下にあるサン・バルテレミ地区(写真:ラプレ・エム提供)

「Mのその後」の「M」の由来

そもそも、「Mのその後」の「M」とはなんだろう。

実は、かつてこの場所には世界最大のファストフードチェーン「マクドナルド」のサン・バルテレミ店があった。店のすぐ隣で麻薬の取引が恒常的に行われるような立地だが、地域で唯一安定した雇用を促し、住民の憩う数少ない場所としても機能していた。

ところが、経営は年々悪化の一途をたどる。その背景には、言わずもがなこの土地の特殊性があることは明らかだ。

2019年にはついに撤退を決められた。そのとき立ち上がったのが、マクドナルド・サン・バルテレミ店の従業員組合の代表だったカメルさんとその仲間たちだ。


元マクドナルドの店員たちとともに映るカメルさん(中央の背の高い男性)。組合の代表として従業員を守るべく、企業との死闘を繰り広げていた(写真:ラプレ・エム提供)

彼らは「自分たちの雇用」を守ろうとしたのではない。ここを拠点にして、地域の住民たちに食料を配給するためだ。折しも時代はコロナ禍に突入。人々は感染だけでなく、飢餓の恐怖とも戦っていた。

そしてカメルさんらは最終手段に出た。なんと閉店したマクドナルドの店舗を不法占拠。違法と知りながら、決死の覚悟で自分たちの活動拠点を保持した。

元マクドナルド、起死回生プロジェクト


建物の造りも、看板の“M”も、日本で馴染みの巨大チェーンそのもの。グローバリゼーションの片鱗とも見て取れる(写真:ラプレ・エム提供)


ハッピー感はこちらに軍配が上がりそうなキッズメニューのボックス(写真:ラプレ・エム提供)

「Mのその後」という、不思議な店のネーミングの由来はここにある。「マクドナルドのその後」というわけだ。 

この不法占拠と住民への支援は地元メディアに取り上げられ、大きな反響を呼ぶ。徐々に地域のNPOなどの賛同を得て、同じ場所でファストフード店を再開するというプロジェクトが動き出した。

2020年にはマルセイユ市がこの店舗を買い取り、カメルさんらに貸し出すことに。こうして「〈地域住民のため〉ではなく〈地域住民とともに〉存在する店」ができあがった。

「お客様は神様」という概念はこの店には存在しない。経営者、従業員、ボランティア、客、そして貧困により客にはなれない地域住民も含めて、すべての人たちが平等だ。すべての人たちが団結し、助け合う世界がこの店の目標なのだ。

今後は「レストランを改装して、より多くの文化イベントを開催できるスペースにしたい。地球環境にも配慮した農法などで育てられた食材を使って、健康的な食生活を促進したい」(カメルさん)とのこと。

「とにかく空っぽの冷蔵庫を満たして、子どもたちのお腹をいっぱいにして学校で学べるようにしたい。いつも空腹では学ぶ意欲もなくなります」


マクドナルド元従業員で、現在は「Mのその後」を指揮するカメル・ゲマリさん(左)(写真:ラプレ・エム提供)


店の駐車場でプロのミュージシャンを招待し、800人以上が参加するラップコンサートを開催。みんなが楽しめるイベントを企画・実行することも主要な業務の1つ(写真:ラプレ・エム提供)

もう次のステップに移っている

最後に「この事業に関して、マクドナルド本社から何らかの反応はあったのか?」と聞いてみると、「ページはめくられた」という答えが返ってきた。それは「もう次のステップに移っている」という意味のフランス特有の言い回しだ。

かつて世界的巨大企業と闘った。だがそれはもはや敵ではない。彼が闘う相手はさらに大きなものになっている。たとえば「貧困」や「格差」、さらには「人々の自己中心的な心」などだ。

カメルさんを中心にして貧困地域でつづられる「Mのその後」のストーリーは、始まったばかり。「その後のその後」や「その後のその後のその後」にどんな展開が待っているのか楽しみでならない。


社会福祉はもちろん、文化・環境まで。「Mのその後」の取り組む多様なテーマもまたボーダレスそのもの(写真:ラプレ・エム提供)

(盛 真理子 : 海外書き人クラブ/フランス在住ライター)