「30平米築50年」の家が億ションより快適な理由
「チェーン店最強のモーニングを探して」の大木奈ハル子さんのエッセイ連載がスタートします!テーマは「小さく暮らす」です(筆者撮影)
ロスジェネ世代で職歴ほぼなし。29歳で交通事故にあい、晩婚した夫はスキルス性胃がん(ステージ4)で闘病中。でも、私の人生はこんなにも楽しい。なぜなら、小さく暮らすコツを知っているから。
先が見えない時代でも、毎日を機嫌よく、好きなものにだけ囲まれたコンパクトライフを送る筆者の徒然日記。
「港区築50年超のワンルーム」で小さく暮らす夫婦
今回、新たに連載を始めさせていただくことになりました、大木奈ハル子と申します。連載のタイトルは「小さく暮らす」。これは私の生活、いや人生の方針です。
「チェーン店最強のモーニングを探して」の大木奈ハル子さんの短期集中連載(予定)です。連載一覧はこちら
現在、私は東京都港区に住んでいます。港区と言うと華やかなイメージを持つ方も多いかもしれませんが、私はその真逆。住んでいるのは、約30平米、築50年以上のワンルームマンションです。中古で買ったこの部屋をDIYで整えながら、夫婦と保護猫と預かり犬の、2人と2匹で暮らしています。
還暦の夫と2人で、マッチ箱のような小さな部屋を、住みやすいようにあれこれ工夫しながら、自分たちにとって必要なものと、大好きなものだけに囲まれて過ごす日々は、「狭いながらも楽しい我が家」という言葉がドンピシャの、幸せそのもので、狭さから来る不便さすらも、生活のスパイスに感じるほど。
犬の散歩をして、近所のスーパーに買い物に行っただけの日でも、夜寝る前に「ああ、今日も楽しかった」と、心から思える日々を過ごしています。
リフォーム時はこんな感じ。1Kだった部屋の、間仕切りと押し入れをぶち抜いて、12畳ほどの箱みたいな空間にして暮らしています(筆者撮影)
そんなふうに、今では「家は狭いほうがいい」「モノは、とっておきを少しだけ」と信じて疑わない私ですが、広い家に住んで、ものに溢れた生活を送っていた時期もありました。
ロスジェネ世代で職歴なしのお気楽者
私は今年で47歳。ロスジェネ世代ど真ん中で、大学を卒業して20年間、ろくな職歴もないまま、ほとんどの期間を年収200万円以下のフリーターとして暮らしてきました。
あ、ロスジェネ世代といっても、「かわいそうに。さぞや時代を恨んできたんだろうな……」などと、思っていただかなくても結構ですよ!
たしかに我らの世代は就職氷河期でしたが、私は自分の不遇にすら気づくことなく、「会社員は向かないし、月収が15万円ぐらいあれば食べていけるから、フリーターでもまあいいや」と、少ない収入なりに楽しく暮らしていた、それはもうお気楽な人間でした。
そもそも、給料日直後はベロベロになるまで飲み歩き、給料日前には食事にすうどんが出てくるような、無計画でその日暮らしのヒッピー世代の両親に育てられたため、貧乏がデフォルトでしたし、金融リテラシーは皆無。
「持ち家を買うような人間はバカだ」と教えられて育ったこともあり、家は賃貸以外の選択肢を考えたことはなく、貯蓄という観念そのものがなかったため、「お給料ほぼイコール生活費」であり、今月の給料で来月の給料日まで暮らせれば、それでいいという認識しかなかったのです。
女友達が相次いで結婚した際も、恋愛に縁遠かったため、完全に他人事でした。しかし、30代半ばで彼女たちが、出産して家を買うという、ダイナミックな出費に踏み切ったときに、気づいたのです。
「周りの友達が結婚したり出産したり家も買ってる一方で、私はお金もなければ将来設計もない。ひょっとしたら、このままでは『人生詰む』のでは……?」
当時の筆者の家です。CDはもっとも多い時期で2000枚ほどありました(筆者撮影)
女子会の議題は、バンドと洋服とコスメという「今の自分が興味のある話」から、子供のお稽古ごとや、住宅ローン、新居のシステムキッチンなど、「家族の未来を見据えた内容」に変化していきました。
そして、焦燥感に襲われた私は、決心します。
「結婚して、誰ぞに養ってもらおう!」
そう、なんとも他力本願な決心をしたのです。
結婚したはいいけれど…
40歳を目前に、ヨコシマな動機で婚活に取り組んだ私。それでも行動力というのは侮れないようで、出会い系サイトで大阪在住のサラリーマンと知り合いました。それが今の夫です。
夫の当時の愛車メルセデス・ベンツのオープンカーと、当時暮らしていたマンションの間取り図。4LDKで85平米と、「一見広い」部屋でした(筆者撮影)
夫はひとまわり以上年上の、当時すでに50代半ば。付き合いはじめは、デートにはメルセデス・ベンツのオープンカーで乗り付け、誕生日にはMacBook Proをぽーんとプレゼントしてくれる、しかも4LDK(85平米)のマンションを所有している……そんな彼に、当初は「玉の輿だ」と浮かれたのも束の間、蓋を開けると、なんと貯金が1円もないことが判明したのです。
しかも貯金はないくせに、離婚歴と1000万円の住宅ローンと200万円のカーローンはある。左うちわの生活を夢見ていたのに、実態は全然違っていたのでした。
結婚当初は、ローンの残ったマンションで暮らしながら貯金しようとがんばったものの、住宅ローンが毎月13万円、ボーナス時には30万円の返済が必要で、貯金にまで手がまわりません。
「家は広い。今まで住んだ家の中で一番広い。でも、ものにあふれてて全然広く感じないし、何より私が好きじゃないものがほとんど……」
購入から20年近く経ったマンションは、あちこちガタがきているうえに、前の嫁の婚礼家具や、通販カタログで買ったと思しき、チープな収納家具が部屋を占拠しています。
不満だらけの家で我慢を強いられ、不機嫌に暮らす私に対して、夫はにこやかに「キッチンをリフォームしよう」とか「家具を買い替えよう」とか、提案はしてくれるものの、先立つお金は持っていません。
「私はどうして、こんな甲斐性のない男に惚れてしまったのか……」
と、自分がかわいそうになり枕を濡らす日々。今となれば私自身も「おいっ、わかってて結婚したのはお前だろっ!」と突っ込みたくなるほどの被害者意識ですが、夫婦仲はどんどん険悪になっていきました。
一念発起し、「事故物件」に夫婦で引っ越し
最初は自分の所有しているマンションで一緒に暮らしたいと言っていた夫ですが、枕を濡らす妻の姿を見たのか、ついに、マンションの売却を決断。
売却益で住宅ローンを完済して残ったお金で、大阪市内にある50平米で750万円という超破格の、事故物件マンションを購入。夫婦で人生を立て直すべく、小さな家への引っ越しを決めたのでした。
事故物件で、民泊として使用されていた部屋を購入。残置物としてついてきた家電と、カラーボックス数個で新しい暮らしをはじめました(筆者撮影)
そして、85平米から50平米に引っ越しして驚いたのが、暮らしを楽しめるようになったことです。理由は、引っ越しの際にいろんなものを捨てたことにありました。
捨てるという行為は罪悪感をともなうので、家が広いと、「いつか使うかもしれないから残しておこう」「まだ使えるから捨てなくていいかな」と、処分を先送りにしてしまいがちです。でも、家が狭くなると、それに比例して収納スペースが減るので、強制的に断捨離がすすむワケです。
いつも使ってるハサミが見つからないときに使うかもしれないからと、何年も使わないまま、えんぴつ立てに挿しっぱなしになっていた切れ味のにぶったハサミも捨てられるし、炊飯器を買い替えるたびについてきた、10年以上引き出しの奥にいる、しゃもじも捨てられる。
お気に入りだけが残るので、使うときも気分がよく、自然と日々機嫌よく過ごせるようになっていきました。
半年ほど住んでから部屋をリフォーム。こちらがリフォーム前の様子で…(筆者撮影)
こちらがリフォーム後の様子。キッチンは安い業務用キッチンに入れ替えて、壁は自分たちでタイルを貼りました(筆者撮影)
ものが減って、生活にゆとりが生じた
さらに、ものの数が減ることで、どこに何があるか把握しやすくなって、生活にゆとりができました。
「あれどこにあるっけ?」と探す時間って、結構多いじゃないですか? そういう無駄な数分がなくなるだけでも、ストレスはぐんと減るものなんですよね。
減ったものと言えば、夫の服にも触れないといけません。
85平米のマンションに住んでいた当時、5畳の部屋は夫の衣装部屋になっていました。部屋の両サイドに洋服タンスがぎっしりと並び、夫が20代のときに買ったDCブランドの服や、もう着なくなったスーツ、バーゲンで買って1度か2度着ただけの奇妙な色の売れ残り服などが詰まっていました。夫はバブル世代なので、まさに我が家における「バブルの遺産」でした。
もちろん、私は何度も捨てるようにお願いしたのですが、夫は、
「でもこれ高かったから」
「まだ着られるから」
「思い出があるから」
そんなふうに、数百枚あった服の半分以上を残したまま引っ越しをしたのですが、新居で暮らして1カ月ほど経ったある日、「全部もう着ないから捨てる!」と、必要最低限の服を残して全部処分しました。
小さな部屋で暮らすうちに、夫の価値観にも変化が生じたのです。
こちらがリフォーム前の様子で…(筆者撮影)
こちらがリフォーム後の様子。押し入れは、中板を抜いて壁紙を貼りました。床はフローリングの上からクッションフロアを重ね貼りしています。洋服も、2人ならこの程度で十分でした(筆者撮影)
妻も妻で考えた「なぜ私はCDをこんなに持っている…」
私は私で、CDを2000枚近く所有していました。このコレクションのうち、頻繁に聴くのは30枚ほどしかありません。
「なぜ、私はこんなにもCDをたくさん持っているんだろう……」
そして、気づきました。このCDの存在意義は、誰かが家に来たときに「音楽詳しいんだね」と、言ってもらうためだけにあったのです。CD以外にも、レコード、バンドTシャツ、マンガ、DVDなど、たくさん持っていることを自分の価値だと感じて、増やし続けていたのです。
そう気づくと、もはやCDを大量に所持する必要はありません。ごく一部を残して、周囲のバンドマンたちにあげることにしました。
こうして、引っ越しでたくさんの不必要な荷物を処分したことで、しがらみも一緒に手放し、夫婦ともに心も身軽になりました。
「借金のない状態」「2人で選んだ部屋」というだけで、すでに気分はルンルンだったのですが、服やCDを処分することは「他者からどう見られるか?」という、自分が持っていた見栄も捨てることに繋がったのです。これが大きかったように思います。
事故物件を100万円でリフォーム
その後、事故物件を100万円で最低限のリフォームをして、残置物の家電と、カラーボックスで暮らし始めた私たちは、ようやく借金もなくなり、ゼロからのスタートを切ることができました。
毎月20万円を貯金にまわし、残りの2人の収入でやりくりするというルールを設け、貯金も開始しました。節約ゲームのようで、それ自体が楽しく、通帳に増えていく預金額をみると、さらに達成感を感じることができました。
私たちの収入は結婚前から増えもしていなければ、減りもしていないのに、小さな家に2人で引っ越ししただけで、質素な暮らしではあるものの、経済状況が大幅に改善したのです。
……と、ここまで書いて結構いいボリュームになってしまいました。ということで、次回は今住んでいる東京の家(タイトルにある「30平米築50年の家」です)にいかにして引っ越したのかを書いてみようと思います。
(大木奈 ハル子 : ブロガー・ライター)