「この本は私が出す」60代の彼女に起業させた絵本
「これは自分で出版するしかない」ーー。ある絵本との出会いによって60代で自ら出版社を立ち上げた戸塚貴子さん(撮影:ヒダキトモコ)
「オレさまの剣で きれないものはない!」森に住むクマの兵士が自分の剣の切れ味を試そうと、森じゅうの木を切ってしまう。すると、上流のダムから水があふれ、自分の砦が壊れてしまった。「オレさまの砦を こわしたのはだれだ!?」とクマは犯人探しを始める――。
漫画家のヤマザキマリさんが、初めてイタリア語を翻訳した絵本『だれのせい?』は、2023年2月に発売されてから、派手な宣伝はしていないものの、読者からは「長く愛される絵本になると思う」「子どもだけではなく、大人にも読んでほしい」「大きな問題にもそっと触れる内容」「心に響く絵本」との声が続き、8月にはすでに3刷となった。
60歳で一人出版社を立ち上げ
「地球温暖化を象徴するような大きなテーマがあると思いました。同時に、私が初めてこの本を読んだのは2022年春、イタリアで出版される前のPDFで、プーチンがウクライナ侵攻をスタートした直後ということもあり、クマがプーチンのようにも見えました」と話すのは、本作を出版した戸塚貴子さんだ。「現代の寓話として大きな意味を持つと感じて『これは自分で出版するしかない』と思ったんです」。
実際戸塚さんはこの絵本を出すためにゼロから出版社、green seed books(グリーンシードブックス)を起こした。60代からの挑戦だ。
「私のキャリアを振り返ると、子育てと並行して仕事をいかにつなげていくかが、ずっとテーマとなっていました」と戸塚さんは語る。
学生時代はイギリスに留学。帰国後、通訳として写真家の海外取材に同行した。その際、自分でもカメラを持ち、現地の子どもたちを撮影してみた。そこで写真に目覚め、フォトジャーナリストに憧れて写真学校に入学。卒業と同時にフリーランスに。ほどなくして偕成社の写真絵本シリーズ『世界の子どもたち』(1986年)から声をかけられて参加し、初めての自著となる、同シリーズのインドネシア編とトルコ編を出版した。
その同時期に結婚し、第1子、第2子を出産。子どもが生まれてからは国内の仕事を中心に活動しつつ、新聞記者である夫の転勤に帯同し、ワシントンDC、ハノイ、ニューヨークなどを転々とした。激務な上に日本時間に合わせて動く夫をサポートしながら、ほぼワンオペで子育て。それでもフリーランスの仕事は辞めず、細々と継続させた。
「その頃は、仕事をピタッと辞めてしまうと、その後なかなか復帰しにくい状況でした。だから、海外にいてもリサーチやちょっとした取材をしてファクスで送るといった仕事を請け負い、とにかく途切れないように細く長く必死でつなげていたんです」
ニューヨークの書店で見つけて東京に持ち帰った何冊かの絵本のうち、まだ日本語訳が出版されていないものを携え、「この本を出版しないか」と出版社に持ち込んだ。それが絵本『Zero ゼロ』と『One ワン』。この出版の成功で「自分が好きな絵本を日本に紹介することには大きな意味がある」と手応えを得た。
たまたま見た絵に一目惚れしてすぐに連絡
その後もさまざまな本の企画、出版を手がけるなかで、2018年、たまたま見た北欧アート展でエストニアの絵本画家、レジーナ・ルック-トゥーンペレの絵と出会う。ひと目見て心惹かれ、その場を去り難い思いに駆られた。迷わずギャラリーの担当者に彼女の連絡先を聞き、メールでの交流がスタート。
「レジーナの絵本を日本で出版したい」という思いを日に日に強め、さまざまな出版社に彼女の作品を提案して回るようになった。だが、なかなか実現は叶わなかった。エストニアをはじめヨーロッパの絵本は文章が比較的多い。絵柄もどことなく神秘的なタッチで、日本で好まれるタッチとは少し違った。
レジーナさんが作画を手がけた絵本をめくる戸塚さん(撮影:ヒダキトモコ)
ある1冊は20社もの出版社を回ったが成果を挙げられないまま、ドイツのエージェントに先に版権を押さえられてしまった。落胆する戸塚さんに、レジーナが「せっかくここまでがんばってくれたのだから」と新しい作品を提案。それが冒頭で紹介した絵本『だれのせい?』だ。
作を手がけたイタリアの児童文学作家のダビデ・カリは欧米では有名。テーマもタイムリーで普遍的。ぜひ日本で紹介したい。だが、出版社探しにまた時間を取られてしまう⋯⋯。 「自分で出そう」 戸塚さんの決意は固まっていた。
「夫も賛成、成人した娘たちも拍手して応援してくれました。これまで私が子育てしながらもがいてきたことを知っているから、『今こそママは好きなことをどんどんやるべき』と言ってくれています」と戸塚さん。
「若い頃フォトジャーナリストを目指したいと思ったのは、紛争や貧困などで厳しい環境に置かれている子どもたちにはずっと心を砕いてきたからでした。少しでも人々が戦わずに済む社会になってほしい。絵本はそれを伝える1つの大切なツールになる。この絵本に出会ったときに、『私にできることはある』と突き動かされました」
ラジオで聞いてピンときて、ヤマザキマリさんにメール
そして、2022年7月にgreen seed booksを立ち上げた。戸塚さんは趣味で畑仕事をしており、都会の子どもたちに農業体験をしてもらう活動も行っていた。その経験から得た屋号だ。読んでくれている子どもたち、大人たち、すべての人々の心に種をまけるような絵本を作っていきたいという思いが込められている。
(撮影:ヒダキトモコ)
出版は決まった。次なる問題は、誰に翻訳を頼むか――。ある日の早朝、ラジオを聞きながら農作業をしていると、ラジオからヤマザキマリさんの声が聞こえてきた。戸塚さんはもともとヤマザキさんのファンで、漫画はもちろんエッセイなども愛読し、その独創性や生き方に惚れ込んでいた。
「すぐに事務所宛てに、『だれのせい?』がいかに素晴らしい絵本か、熱い思いを綴ったメールを送りました。でも送ったものの、宣伝力のない1人出版社だからきっとダメだろうと思っていたんです。数日後、快諾の連絡を受けて、逆にビックリしました。
どうして引き受けていただけたのか伺ったら、この本の内容に魅力を感じ、レジーナの絵も気に入ったと言ってくださって、もう感激。夢に描いたような好スタートを切ることができました」
とはいえ、これまでのようにフリーランスで出版社に企画を持ち込み制作するのと、自ら出版社を経営するのとでは、やるべき仕事の量も違えば背負い込む重圧もまるで違う。コストはどれくらいかかるか、価格をどう設定するか、取次はどこに頼むか、書店営業やPR活動はどのように行えばいいのか。何もかも知らない世界だった。
地道にチラシを作り、製本前のプリントアウトを持って大手書店の児童コーナーの担当者にアポを取り、懸命に売り込んだ。
10年後に後悔をしながら生きたくない
60代から1人出版社の立ち上げという新しい世界に飛び込んだ戸塚さん。大きな決断をしたことに驚かされるが、戸塚さんにとっては子育てが終わり、自分の好きなことに集中し、自分のために時間を費やせる環境が整ったタイミングでもあった。
資金は、老後のための貯金の一部を「ここまでは自分のために使おう」と設定し、無理をしてそれ以上に貯金を取り崩したり、借金したりしないと決めている。また、経営や営業の経験はないが、出版業はまったく未知の分野ではなく、これまでの仕事の延長線上である。わからないことがあれば、すでにある人脈を生かして相談できる。
「60歳を過ぎると記憶力や体力が落ち、仕事の効率も落ちることを実感します。だから、起業するならもっと早くすべきかもしれないけれども、これまではなかなかジャンプ台がありませんでした。今でも不安に思うことはあります。在庫の山が売れなかったらどうしようって」と戸塚さんは吐露する。
「でもそれよりも、後悔しながら生きたくない。70代、80代になった時に、50代、60代を振り返って、あの時こうしてれば⋯⋯といった“たられば”を残したくない。やりたかったことは1つでも2つでも、やり遂げた方がいいんじゃないかと思うんですよね。
だって人生いつ終わるかわからないでしょう。人生100年と言うけれどそうじゃないかもしれないし、100歳まで自由に動けるわけじゃない。10年後の自分を後悔させたくない。その思いとレジーナの絵に背中を押されて、大きな一歩を踏みだせました」
green seed booksは、1年に1冊のペースで、10年間で10〜11冊の出版を目指しているという。戸塚さんは今後、どんな本を世に送り出していくのだろうか。
(安楽 由紀子 : フリーランスライター)