フェンシング・男子フルーレ団体の日本代表は現在、世界ランキング1位。7月の世界選手権団体で初優勝の実績を引っ提げて、中国・杭州で開催されているアジア大会に臨んだ。しかし、結果は準決勝で中国に惜敗して銅メダルと、不本意な結果に終わった。


アジア大会銅メダルのフルーレ団体の(左から)鈴村健太、敷根崇裕、飯村一輝、松山恭助

 団体戦より先に行なわれた個人戦では、松山恭助(JTB)と敷根崇裕(NEXUS FENCING CLUB)が準々決勝で日本人対決となり、勝ち上がった敷根は優勝したチェウン・カーロン(香港)に14対15と逆転で敗れて3位。それでも状態が悪いわけではなかった。

 団体戦は世界選手権と同じく、松山と敷根に加えて鈴村健太(大垣ケーブルテレビ)と飯村一輝(慶應大)を加えた4人で臨んだ。この大会は個人戦の成績でシード順が決まるため、日本は第3シードとなり準決勝で世界ランキング5位の中国と当たる組み合わせになった。

 日本の前半、中国に25対17と8点差をつけて勝利に向けてひた走る。だが、第6ゲームになって変則的な構えをする世界ランキング129位のウー・ビンに敷根が苦戦した。

「僕の2試合目が完全な敗因。特殊な構えになかなか対応できず、相手のペースに飲み込まれてしまった。もっと自分から思いきりアタックにいけばよかった」

 こう話した敷根はウーに7連続ポイントを含む13点を奪われ、28対30とリードを許してしまった。

 そのあとは僅差で競り合う展開になり、最後の敷根は5連続ポイントを奪って44対43とリード。このまま勝つかに思われた。だが、相手は開催国の中国ということもあり、会場の応援が中国一色になると一気にアウェー感が増した。

「(2戦目のウーに)逆転された時と同じように攻めきれなかった」という敷根は、44対44にされて残り45秒の一本勝負になり、最後は両者のランプが点灯して審判がビデオを見返す判定に持ち込まれた。

映像は、敷根のほうが先に攻めているようにも見え、鈴村曰く「最後の1本は日本の勝ちだと思った」と言うが、判定は中国のポイントになり、日本は敗れた。

「ホスト国との対戦だったので、ジャッジも含めて最後のところはちょっと厳しかった。各ポイントでは、いいパフォーマンスも出ていましたが、最初から最後まで継続して高い強度でプレーすることができなかった。そこが今日みたいな勝ちゲームを落としてしまったひとつの要因かなと思います」

 松山はこう振り返るが、表情には落胆の色はなく、その理由をこう話した。

「世界選手権に続いて、ここでも優勝して弾みをつけることを思い描いていたので、残念な気持ちはあります。世界選手権を終えてから1カ月フェンシングを離れてリフレッシュして、『また、これから』というタイミングで迎えた今大会でした。準備ができていなかったといえばできていなかったんですけど、そのなかでも強豪の中国とほぼ互角の試合だったので、そこはすごくポジティブにとらえています」

【リフレッシュを優先した影響】

 フェンジングは7月の世界選手権でシーズンがひと区切りとなり、11月下旬から次のシーズンが始まる。アジア大会の時期までシーズンを引っ張ることもできたが、今年はパリ五輪へ向けて一旦休息を入れなければ、来年4月末までの五輪出場権獲得レースを戦い抜けない。それを考慮してリフレッシュを優先した影響はあった。

「世界選手権まですごくハードなスケジュールで練習をこなして、自分たちもピークをそこに持ってきていました。ナショナルチームのルペシュ・エルワンコーチは、オンとオフの切り替えをすごく重視していて、『休む時はフェンシングをやるな』と言う人。たぶん、各々どこかで練習をやっていたとは思うけど、僕も帰省した3週間はしっかり休みました。松山選手は休み明けの集合の時、日に焼けて真っ黒だったから、いいオフのすごし方をしたのかなと思います」と飯村は話す。

 その日焼けしていた松山は、アジア大会の結果をふまえて、前向きにこう考えている。

「今回、優勝はしたかったし全員がその気持ちでしたが、大事なのは来年の重要な大会に一番いい状態で臨むこと。この負けにも意味があると思うので、今回の負けを『準備不足だからしょうがない』で片づけず、準備の仕方や、この大会の試合のなかでの取り組みも含めて見直すところはある。反省すべきところはしっかり反省して、自分のやるべきことをやれば、また必ずいい結果になると思います」

【東京五輪エペ優勝の裏で、積み重ねた実力】

 2008年北京五輪・太田雄貴の銀メダル獲得で注目されるようになった日本の男子フルーレ。2012年ロンドン五輪では、団体で銀メダルを獲得したが、その後は若手が伸び悩み、2016年リオデジャネイロ五輪は太田の個人戦出場のみとなっていた。

 しかし、2014年世界ジュニアで西藤俊哉(セプテーニ・ホールディングス)が3位になったのを機に、1996〜98年生まれの選手たちが台頭。2016年世界ジュニアでは敷根と松山、西藤、鈴村の団体で初優勝、個人でも活躍し始めた。

 さらに、2017年はシニアの世界選手権で西藤が2位、敷根が3位と一気に開花。対戦相手に研究されるようになって足踏みをした時期もあったが、東京五輪の団体は開催国枠ではなく、実力で出場権を勝ち取った。男子エペの団体優勝の陰に隠れてしまったが、フルーレ団体で4位、個人でも敷根が4位と、結果を残していた。

 昨年からは、その世代に加えて2003年生まれの飯村が団体のメンバーに食い込んできて層が厚くなり、今年の世界選手権では団体初優勝を果たすまでになった。

 今年の世界選手権個人で3位になり、現在世界ランキング10位とチームを引っ張る松山は、冷静に自分たちを見つめている。

「僕個人としては東京五輪の男子エペの優勝や、自分の世界選手権個人3位、団体優勝はもう過去のことだと思っています。一番大事なのは日々成長することと、しっかり自分のパフォーマンスに集中すること。やることは変わらないし、周りと比較することはないです」

 その言葉の奥には、自分たちが積み上げてきた実力への自信がある。

 パリ五輪団体の出場枠は、開催国枠を除いて「8」。来年4月30日終了時点の世界ランキング4位以内なら出場権を獲得する。5位以下の場合は各大陸最上位が五輪に出場できる。日本が現在世界ランク現在1位だが、5位に中国、6位には香港、8位には韓国がいて、今後の結果次第で順位が変動する厳しい戦いが控えている。しかし、今大会の敗戦で得た糧も積み重ねて、日本男子フルーレの選手たちの姿勢にブレはないようだ。