(右から)富士通の時田隆仁社長、筆者、一橋大学の野中郁次郎名誉教授(写真:名児耶洋)

最近、注目されている「ソーシャル・イントラプレナー」とは、「社会課題を解決する社内起業家」のこと。企業が持つリソースや社会的影響力を活用して社会変化を生み出す、新しい時代の働き方です。そんな働き方を、どうすれば実現できるのか。富士通の社員として活躍するソーシャル・イントラプレナー本多達也氏の著書『SDGs時代のソーシャル・イントラプレナーという働き方』から一部引用・再構成してお届けします。

一橋大学名誉教授・野中郁次郎先生と初めてお会いしたのは2019年のことです。当時、野中先生がある雑誌で連載をされていて、その記事でOntenna(オンテナ)プロジェクトを取り上げていただきました。そのとき、私の所属会社である富士通の時田隆仁社長が、野中先生が立ち上げた「グローバル・ナレッジ・インスティテュート」(GKI:富士通が2000年から続けている次世代リーダー育成を目指した選抜研修プログラム)の卒業生の1人であることを教えていただきました。


オンテナは、振動と光によって音の特徴を体で感じるアクセサリー型の装置。髪の毛や耳たぶ、襟元や袖口などに付けて使う。音の大きさを振動と光の強さにリアルタイムに変換し、リズムやパターン、大きさといった音の特徴をユーザーに伝達する。さらに、コントローラーを使うことにより複数のオンテナを同時に制御でき、複数のユーザーに対してリズムを伝えることが可能(画像:富士通)

時田社長とは、自社イベントなどで少し話をしたことはあったものの、まだオンテナプロジェクトについてきちんと説明したことはありませんでした。そこで、野中先生とお会いした後、時田社長に「オンテナについて説明をさせていただきたいので、その機会をください」という趣旨のメールを直接送りました。すると、時田社長からすぐに返信があり、ミーティングをアレンジしてくれました。オンテナについて説明した後、時田社長から「この話をほかの役員にもしてほしい」と言ってくださり、富士通の経営陣に対してプレゼンを行いました。なお、オンテナプロジェクトの内容は、野中先生の著書 『共感経営 「物語り戦略」で輝く現場』(日本経済新聞出版、2020年)でも紹介していただきました。

こういった関係で、この書籍をつくるに当たり野中先生をお招きし、時田社長と企業におけるソーシャル・イントラプレナーの価値とは何か、何を期待されているのかについてお話を伺うことになりました。

大企業のリソースが使えることを世の中に示す

本多達也氏(以下、本多):私自身、オンテナを事業化できたのは、富士通のビジョンと、私のやりたいことに合致する部分があったからなんです。だから、時田社長も応援してくれて、ここまで来ることができました。所属会社ではありますが、富士通にはとても感謝をしています。その一方で、企業のリソースを活用しながら自分の思いを形にする、私のような事例は日本では少ないですよね。

野中郁次郎氏(以下、野中):少ないね。

本多:オンテナがめちゃくちゃもうかるかといえば、正直そうではなくて……。それでも挑戦させてくれるのは、とてもありがたいです。

野中:大企業には多様な知が蓄積されていますからね。本多さんのオンテナは中小企業では事業化は難しかったはず。僕が初めてオンテナを知ったのは2019年ごろ。すごく面白い取り組みだと感心したのを覚えています。その後、本多さんは富士通の社長である時田さんに会って、取締役会でプレゼンしたんだよね。

時田隆仁氏(以下、時田):大企業には大企業にしかない多様性があり、さまざまなつながりを生み出せる。エキマトペ(駅の音をAIによって視覚化する装置)もJR東日本や大日本印刷(DNP)と連携して取り組んでいますが、それは富士通というブランドや、富士通が持っている多様性から導かれた組み合わせだといえるかもしれません。大企業のリソースをうまく活用できることをスタートアップの方々をはじめ、世の中に示していかなきゃいけないと思っているんです。


時田隆仁氏/富士通社長。1962年東京都生まれ。東京工業大学工学部金属工学科卒業。1988年に富士通に入社。2019年に代表取締役社長に就任し現在に至る。金融業界を中心とする大規模システムのインテグレーションや、グローバルでのサービスデリバリーをリードしてきた。日本経団連の審議員会副議長を務める(写真:名児耶洋)

ユニコーン(企業価値10億ドル以上の未上場企業)を目指して個人で頑張るのも、もちろんいいんです。ただ、新規株式公開(IPO)をした後、スタートアップの方々のすばらしい技術が潰れてしまうことも少なくない。そうならないためにも、スタートアップの優れた技術を大企業の力を活用して世に広めていくのは、検討してもいい方法の1つです。まずはスケールをつくらないと、どんなにいい技術も進化させられない。テクノロジーはとくに、使われてなんぼですからね。大企業は、技術を活用する場の提供もできますし、機会に関しても圧倒的に大企業のほうが持っている。だけど、とかく二項対立になってしまいます。

野中:過去の歴史も含めて質量ともに多様な知が顕在的・潜在的に存在している大企業は知の宝庫なんです。それを活かせるかどうかが重要なんですが。

本多:大企業は多様性を生み出す、すごく最適な環境でもあるということですよね。時田社長が取締役会に来いと呼んでくれて、取締役会でオンテナの研究に取り組むことを了承してくれたような経営陣が増えたらいいな、と思っています。そして、私の富士通での経験を次の世代に伝えたいと思っています。それが今回の本の趣旨でもあるんです。

野中:本多さんは本当に社長に会いに行ったのが、やっぱりすごい。それで取締役会に参加したと聞いて、びっくりしたんですよ。知的機動力がありますね。きっと、取締役のメンバーも驚いたでしょう。

本多:驚いていました。

パーパスがあればこそできたこと

野中:富士通はパーパスを新たに策定しましたよね。パーパス経営がはやりですが、大事なのは「なぜ、社会に存在するのか」を明確にすることです。富士通では、その制定に当たってこれまでの歴史も検証して、とことんWhyを追求しました。存在目的を突き詰めるためには、社会や環境を含めたより大きな関係性を視野に入れなければなりません。Whyという存在目的を追求することは、未来に向けた自己革新の契機になるんです。

さらに、パーパスは決めたけど、その具体例、実践例がないと説得力がなく、迫力に欠けますよね。だから、本多さんの取り組みがちょうどよかったのかもしれません。

時田:まさにおっしゃるとおりなんです。企業が目的意識を持つのは、非常に大事なことだと思っています。もしパーパスがなかったら、取締役会でもステークホルダーにも、なぜ、富士通がオンテナに取り組んでいるのか説明できませんからね。ましてや、現状ではもうかっていないとなれば、なおさらのことです。パーパスがあるからこそ、認めてもらえる環境ができたんです。

オンテナのような取り組みは、富士通のパーパスで定義した価値観「挑戦」に当てはまります。大企業には多様性があり、機会もたくさん持っている。とはいえ、やっぱりそこで何かを作り、やり続けるのは難しいことです。つねにステークホルダーの目にさらされていますし、営利企業なので、もうからないものは、ふるいにかけられます。そういう意味では、非常に厳しい環境であることも間違いないです。

逆に言えば、本多が手掛けているようなプロジェクトの芽を潰すことは、すごく簡単なんですよ。続けられるような企業かどうか、もしかしたら、われわれが試されているのかもしれない。

オンテナの継続すら許さないということは、次なる新しいイノベーションや、新しいことが生まれる機会を潰しているともいえる。われわれはそう捉えるべきだと思うんですよね。そうなると、やはり何のために事業を行ったり、挑戦させたりするのか。そうしたことを考えたとき、パーパスがないと前に進めないのです。

とはいえ、パーパスに沿っているからといって何でも挑戦させられるかといえば、それも違う。例えば、もうかるか、もうからないかだけではない、多くの仲間をつくれるといった評価も必要だと思っています。エキマトペの場合、JR東日本やDNP、ろう学校と連携し、少なからず社会に一石を投じている。それがとても大きいのです。

時田:本多は、すでに「自分が好きだから取り組んでいる」という領域を超えているはずです。それが彼のすごいところでもあります。オンテナがエキマトペにつながったように、社会に何かしらの影響を与えています。そういったものを生み出せる環境を富士通がつくれていることこそが、良いことだと僕は思っています。

本多:実際にオンテナに共感し、富士通に入社したという新入社員が何人かいると人事から聞きました。富士通に入れば、新しいことにも挑戦できるんだと思ってもらえるのは、すごくうれしい。そういった形でも、より多くの仲間に影響を与えていきたいと思っています。


野中郁次郎氏/一橋大学名誉教授。1935年東京都生まれ。早稲田大学政治経済学部を卒業。富士電機製造(現富士電機)を経て、1967年にアメリカカリフォルニア大学バークレー校経営大学院に進学、1972年博士課程修了。1982年に一橋大学産業経営研究所教授。「ナレッジマネジメント」「SECIモデル」「ワイズリーダー」を広めた知識経営の世界的権威。富士通や三井物産の社外取締役を歴任。2017年にはカリフォルニア大学バークレー校最高賞の生涯功労賞を授与された(写真:名児耶洋)

野中:本多さんのすごいのは、すぐ動く機動力ですよね。考えていたって仕方ない。私も「考える」前に「感じろ」と言っていますが、皆で共有できる形式知を豊かにする源泉は、目に見えない暗黙知です。その暗黙知をいかに質量ともに充実できるか。

だから、本多さんはまずは、聴覚障害者と直接向き合った。そこから始まっている。現場・現物・現実の只中での本質を直観する実践知リーダーとしての姿は、富士通のDNAにも通底していますね。

感心したのは、抵抗勢力を回避するために、上層部に直接アプローチしたことです。より善い共通善に向かう物語りの実現に向けて、政治力を行使して何がなんでも実現する、やりきる能力も実践知リーダーの重要要件の1つです。

時田:そうですね。リアリティーですね。

野中:本多さんは、「聴覚障害者と聴者が一緒に音を楽しむ新しい未来」という理想を追求しつつ、現場の只中で何が本質か直観し、それを実現するために組織を動かす政治力も発揮しました。理想主義的プラグマティズムを体現しました。

重要なのは周りを巻き込む力

時田:オンテナは取締役も認め、執行役員たちも全員応援している。それは、彼自身のパッションもさることながら、「ナラティブ(物語り)」があることが大きい。彼は富士通に入る前からオンテナをずっと研究し、学生の頃から勉強していますからね。

彼の人生観にも通じるようなストーリーがあり、1つのナラティブができているんです。これも富士通で事業化できている理由の1つです。

野中:なるほど。

時田:ナラティブは、やはり一番強いんですよ。彼自身が大企業の中で良いリファレンスとなり、現実味のあるモデルケースになっています。本多のように、情熱を持って自分のやりたいことに挑戦したいと思える人間が富士通内で増えてくることが、彼の存在意義ともいえるんです。そして、それが浸透してくることで、本多の必要性がより強くなってくると考えています。


難しいのは、本多はちょっと飛び抜けすぎているんですよ。後に続く人からすると、少し遠い存在になりつつある。できれば、本多自身も前に進みながら、周りを巻き込んでいけるようになることが理想です。とはいえ、オンテナにあまりにも愛情をかけているので、自分の仕事だけでも精一杯で、両立は難しいかもしれません。

ただ、少なくとも、いろいろなリソースは得ているはず。富士通というブランドが本多を後押しし、さまざまな人とつながっていますよね。イントラプレナーという自覚があるならば、もう少し、富士通内で自分の経験を基に「挑戦する意義や必要性」を伝えなければいけないと思います。そういった活動によって、企業にとってのソーシャル・イントラプレナーの必要性がより明確になると思いますね。

(本多 達也 : 富士通 Ontennaプロジェクト リーダー)