潜水艦じゃ周囲よく見えない? ならば「飛べ」 独Uボートが積んだ伝説の珍装置とは『ラピュタ』の元ネタか
第2次世界大戦中のドイツ潜水艦「Uボート」には、人が乗る凧が搭載されていました。一見するとヘリコプターにも見えますが、無動力。それでも飛ぶことができたそうです。どういう目的で生産・搭載されたのでしょうか。
潜水艦に「凧」搭載する意義は?
第2次世界大戦中、ドイツ海軍が「Uボート」の名で知られる潜水艦を多用して、米英を中心とした連合軍を苦しめたことはよく知られています。しかし、そんなUボートにも弱点がありました。そこで、それを埋める手段として考え出されたのは、なんと「凧」。
お正月に馴染みのある凧あげの凧ではありませんが、ドイツ海軍御用達の「凧」とは、いったいどんなものだったのでしょうか。
イギリス空軍博物館に保存・展示されているFa330「バッハシュテルツェ」(パブリックドメイン)。
そもそも、Uボートに限らず各国の潜水艦とも、艦橋が低いうえに、水上艦のように立派なマストも備えていません。そのため、見張り員が目視で監視可能な距離に関して、どうしても水上戦闘艦より劣るのは否めませんでした。
つまり、これは潜水艦にとっての強敵である駆逐艦に、先に発見されてしまう可能性が高いということでもあります。そして、もし見つかってしまえば、いくら急速潜航しても捕捉されて爆雷攻撃を受ける危険が増すのは間違いありません。
加えて、監視できる距離が短いということは、Uボートにとって主な「獲物」である商船やタンカーなどを発見できる距離も短くなってしまうということであり、ゆえに商船が先に接近するUボートを見つけて、いち早く逃走してしまうといった事態も幾度となく生じていました。
そこで、ドイツ海軍Uボート部隊は、この状況に対処できる、なにかよい手段はないものかと検討しました。
120m上から周囲を見張る「鳥」
第2次世界大戦中のドイツは、世界屈指の技術先進国でした。しかしレーダーにかんしては連合国に遅れをとっており、連合国が、より小型の物体を正確に捉えられる、波長の小さなセンチメートル波のレーダーを実戦配備していたのに対して、ドイツの主要レーダーは、波長が大きなメートル波でした。しかも、サイズの問題から初期のUボートにはレーダーの搭載は無理でした。
そこで考えられたのが、「凧」の利用です。もっとも、凧といってもヘリコプターのようなローターを備えており、これに風を受けて浮揚する、いわゆる「ローターカイト」や「ジャイロカイト」と呼ばれるものになります。
ドイツ海軍は当時、まだ黎明期だったヘリコプターの研究開発を主に行っていたフォッケ・アハゲリス社に、この“Uボート用ローターカイト” の開発を依頼します。ちなみに、同社は、Fw190戦闘機などで知られるフォッケウルフ社の創設者のひとりであるハインリヒ・フォッケと、テストパイロットのゲルト・アハゲリスが共同で創設したものです。
アメリカで調査されるFa330「バッハシュテルツェ」(サンディエゴ航空宇宙博物館)。
ドイツ海軍から開発を頼まれたフォッケ・アハゲリス社は、フレームワークを駆使した組み立て式のローターカイトを開発します。なお、組み立てと分解は、いずれも2名で行われ、どちらの作業もだいたい15〜20分かかりました。
ローターは3枚羽で直径7.32m。機体の空虚重量は68kg。乗員は1名。最低離艦速度は約30km/h。飛翔曳航速度は40km/hで、およそ高度120mのあたりを飛ぶようになっていました。母艦のUボートとは全長150mのケーブルで繋がっており、このケーブルに電話線も敷設されていて、乗員は母艦と双方向で通話できました。
ここまで高いところから周囲を見渡せたため、飛行中は約45kmの視程があったそうです。Uボートの艦橋からの視程が10kmほどだったことを考えると、確かに有効な「空飛ぶ目」だったといえるでしょう。
なお、似たような用途の滑空機は、人気映画『天空の城ラピュタ』に出てくる飛行船「タイガーモス号」のグライダーで見ることができます。それをイメージするとわかりやすいでしょう。
200機も生産された無動力機
着艦時には、Uボートが徐々に速度を落としながらケーブルを巻き取って甲板上に降ろします。また緊急事態が生じてUボートが急速潜航をしなければならない場合は、ケーブルを切り離して自由飛行状態となることで、ローターの回転により海上にゆっくりと降りることができたとか。しかし、このようなケースでは、乗員の収容は不可能なことが多かったといいます。
このローターカイトは1942(昭和17)年8月に初飛行すると、のちに制式採用され、フォッケ・アハゲリスFa330という型式が振られます。また愛称として、ドイツ語でセキレイを意味する「バッハシュテルツェ」という名が付けられました。
イギリス空軍博物館に保存・展示されているFa330「バッハシュテルツェ」(パブリックドメイン)。
Fa330は約200機が生産されてUボートに搭載されましたが、Uボートには専属の航空要員を乗せるスペースがなかったので、一般の乗組員が操縦や組み立て分解を行いました。ちなみに、Uボートへ搭載する際は、司令塔後部に設けられた気密倉庫に分解して格納されましたが、操縦が容易で構造も単純なためUボート乗組員からは好評を博したといいます。
なお、連合軍がFa330の存在を初めて知ったのは、1944(昭和19)年5月に東アフリカのソマリア沿岸でU-852を鹵獲(ろかく)した際です。このとき、同艦に搭載されていた機体を同時に手に入れたことで、このような「凧」をUボートが搭載していることを認識しました。
ただ、「海の忍者」たるUボートの「空飛ぶ目」であるFa330は、好評だった割には、さほど多くの商船を発見することはなかったようです。
結局、レーダーやヘリコプターの発達によって、この種の兵器はその後登場していません。