(左)ドイツ国旗(写真: gi05 / PIXTA)(右)西岡さん(写真:西岡さん提供)

浪人という選択を取る人間が20年前と比べて1/2になっている現在。「浪人してでもこういう大学に行きたい」という人が減っている中で、浪人はどう人を変えるのでしょうか?また、浪人したことによってどんなことが起こるのでしょうか? 自身も9年の浪人生活を経て早稲田大学に合格した経験のある濱井正吾氏が、いろんな浪人経験者にインタビューをし、その道を選んでよかったことや頑張れた理由などを追求していきます。

今回は、2浪して東大に進学し、『東大読書』『東大思考』などシリーズ累計40万部超のベストセラーの数々を生み出した現役東大生作家の西岡壱誠さんにお話を伺いました。

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突然ですが、みなさんは『ドラゴン桜2』の藤井くんを知っていますか?

このキャラクターは優等生である一方で、人の話を聞かず、自分より成績の悪い人間を見下す「性格の悪い」学生です。そう言うと、あの「憎まれ役か!」と思い出す人もいるかもしれません。


藤井くん(漫画:©︎三田紀房/コルク)

恩師にドイツに連れて行かれて、価値観変わる


実はこのモデルになっているのが、今回お話をお聞きした西岡壱誠さんです。西岡さんは、漫画「ドラゴン桜2」の編集担当であり、チームドラゴン桜のリーダーでもあります。実は藤井くんの人物像は、かつての性格の悪かった西岡さんが投影されて作られたキャラクターなのです。

そんな「リアル藤井くん」だった彼自身は、2浪を決断するか迷っている時期に恩師からドイツへ連れて行かれたことで、物の考え方や人生観が劇的に変わり、人間的に大きな成長をすることができたそうです。

性格が悪かった彼を変えた、浪人時代の異国での経験とは? 

『ドラゴン桜2』の藤井くんはどうやって生まれたのか? 今回は現役東大生作家の知られざる一面に迫ります。

西岡さんは自他ともに認める劣等生でした。

当時の偏差値50の中高一貫校に、数学1科目だけの受験で入学した後、中学2年生で成績がビリになり、自主退学勧告寸前となりました。三者面談を3時間して、「なんでそんなに勉強しないんだ!」と母親の前で怒られたほどだったと言います。中学3年生のときもビリから2番目で高校に上がるのもギリギリだったそうです。

また、自分のことを「舐められそうな雰囲気だった」と言う彼は、中学から高校に入るまでずっといじめられっ子だったそうです。(詳しくはこちらを参照:『母が「2浪で東大志望」の僕にキレた意外すぎる訳』)

そんな人生を変えたかった彼は、高校2年生のときに担任だった音楽の先生の勧めもあり(詳しくはこちらを参照:『2浪、偏差値35」それでも僕が東大を目指したワケ』)、東大受験を決め、1日12時間の猛勉強をするようになります。

「とにかく無茶な勉強をしていました。しかも自分一人で殻にこもって勉強するタイプで。先生に質問に行ったりすることはなく、徹夜で勉強をして学校に行き、授業内容を後から聞くために録音して寝ていたこともあります。また、体育の授業を無断で休んで、勉強したりしていたことも、体育祭や文化祭などのイベントの最中にサボって勉強をしていて怒られたこともあります。

今思うと、とんでもない生徒ですよね。だから学校の先生からは『お前は、成績よりも先に、その性格をどうにかしないと東大には行けないぞ』と言われていました。

そのときのことをドラゴン桜の三田先生に話したら、藤井くんというキャラが生まれました。でも、そこまでやってでも、どうしても東大に行きたかったんですよね」

必死に1人で勉強していたが…

人に頼ったり、先生に質問したりせず、自分1人で必死になって勉強していた西岡さん。しかし初年度はその願いが通じず、落ちてしまいました。

「誰よりも努力している自信はあったのですが、蓋を開けてみたら話になりませんでした」と語る西岡さんは、合格していた大学こそあったものの、「東大に固執して、引っ込みがつかなくなった」という理由で浪人を決断しました。

しかし、1浪目の西岡さんがやることは現役と変わらなかったそうで、とにかく必死に勉強していたようです。やはり東大の壁は厚いもので、2次試験が終わってから彼は2度目の不合格を突きつけられることになります。

「茫然自失でした。落ちたらこの世からいなくなるんだと本気で思っていたので、気分はもう、どん底でした。自分は卵アレルギーなんですけど、卵入りのお菓子でも食べてやろうかな、と思って、ショートケーキとかシュークリームとか、たくさん買ったりしました。さすがに食べなかったですけど、そこまで追い詰められていた記憶があります」

しかし、彼は結局この絶望を乗り越えて、再び浪人という選択をすることになります。

どうしてこのような絶望的な精神状態から2浪をする決断ができたのでしょうか。実はその理由は、東大に行くことを勧めた音楽の先生にドイツに連れて行かれたことがきっかけでした。

「ある日突然、僕に東大に行くようにそそのかした音楽の先生が、僕をドイツに連れて行ったんです。浪人中ですよ? 信じられます? しかも現地の空港に着いてすぐ、先生は『俺は仕事があって明日まで家にいないから、勝手に宿に行って勝手に飯を食え!』と去っていったんです。

浪人生を海外に連れて行って、そのうえで放っておくなんて、むちゃくちゃな話ですが、今思えばそれは、大学受験で結果を出せない自分の意識を変える作戦だったんです」

視野が狭くて自分の殻にこもってばかりだった西岡さん。このドイツ旅行は、その価値観を壊さなければ東大に合格することができない、と考えていた先生の作戦だったのです。


ドイツ旅行中の西岡さん(写真:西岡さん提供)

そして空港に置き去りにするだけではなく、レストランで会った外国人に先生が勝手に話しかけて西岡さんも話さざるをえない状況になったり、そこで出会った韓国人の男性と1日一緒に行動させられたりしたそうです。泳げない生徒をいきなり水に突き落とすような荒療治ですね。

印象に残っている2つの出来事

その刺激的なドイツの日々の中でも、特に印象に残っている経験が2つあるそうです。

1つ目は、先生にドイツの夜の店の近くに連れて行かれたことでした。

「風俗店の近くに連れて行かれて、『なんでこんなところ連れてきたんですか!?』って驚いていたら、先生にこう言われたんです。『西岡、EUとはなんだ?』と。それに僕は『え?提携を組んでいるヨーロッパの国々で、ヒト・モノ・カネが自由化する仕組みのことですよね?』と、今までの勉強で覚えていたことを堂々と答えました。

すると、先生が近くにいた女の子に『どこ出身?』って話しかけ始めたんです。ポーランドやハンガリーから来ていることがわかって、その理由を聞いたら『地元に息子がいるの。ここに来たらすごく稼げて、半年働いたら1年は暮らすことができる。EUがあるから移動にお金もかからない、すごくラッキーなのよね』って話してくれたんです。

彼女たちの話を聞いたあと、先生はこう言いました。『おい、西岡。お前は教科書に書いてある知識はしっかり覚えているけど、そのまま覚えるだけでは東大に受からないからな。この人たちにとってのEUの利点はこうなんだぞ』と。

僕はそこで初めて、今までの受験で落ちた理由がわかったんです。先生は、丸暗記ばかりではなくて、視野を広げて応用を利かせないといけないことを僕に伝えてくれたんです」

とにかく効率を考えず、必死に教科書を書き写して丸暗記をしていた西岡さんは、そこで初めて自分のやり方に固執し、「独りよがりで勉強していた」ことに気づいたと言います。

そして先生のその教えをさらに自分で深めたのが、2つ目のナチスが設置したダッハウ強制収容所に行ったときの経験だったと言います。

「もともとこの収容所の存在は、世界史の教科書で勉強して知っていました。でもそこのガス室に入って、すごく無機質・機械的なふつうの部屋だったことに衝撃を受けたんです。淡々と人を殺して埋めるためにどうすれば効率がいいかだけが考えられていて、人情のかけらも考慮されていない仕組みが、あまりにも残酷でした。

でも、それとは対照的に、この施設から見えた野原に太陽がさんさんと降り注ぐ景色がものすごく綺麗だったことも印象に残ったんです。きっと強制収容所の人たちも、つらい日々の中でこの風景を見て心を穏やかにしていた日もあったのではないかと、当時の人々の生活に思いをはせることができました。

自分は世界史の勉強をしているつもりだったのですが、年号と事件を記号的に覚えていただけで、本当は何もわかっていなかったんだと痛感したんです

東大に合格した人達から勉強方法を学ぶ

こうしてドイツの日々で自身の勉強の方法や姿勢を反省し、大きな学びを得た西岡さんは、2浪目に入ってから自身のやり方を大きく変えます。

「自分の殻を壊して、東大に合格した友達や、頭のよかった知り合い、先輩に片っ端から話をして、『お願いだからノートを見せてください』『恥を忍んで聞くけど、どうやって勉強しているの?』と聞きまくりました。そうやって教えてくれた50人分の勉強法を全部試したんです。

今までは自分がやっていることがどれくらい正しいかわからなかったのですが、お願いすることで、頭がいい人がどうやって勉強しているかがわかってきました。人の話を聞いたり、頭を下げてお願いをしたりできるようになったのも、ドイツの日々で応用が大事だと気づけたおかげです」

また、2浪目に河合塾に通うようになったことで、東大志望の友達ができたのも、受験勉強にいい影響を与えたそうです。

「友達ができたおかげで、自分だけではなくてほかの人がどう考えるかも聞けるようになりました。たとえば、入試で『物語やSFが世界に与える影響は?』という国語の文章が出題されたのですが、そういう文を読んでいるとき、人によって思いつく作品が全然違うことが勉強になりました。たとえば僕はアニメ作品の『PSYCHO-PASS サイコパス』を想像するのですが、友達に聞いたらジョージ・オーウェルの小説『1984』を想像したそうです。

また、自分では批判的にしか考えられなかった意見に対して、賛成する視点を持っている友達もいました。賛否両論の視点で物事を見るという水平思考ができるようになったのは、ドイツ旅行で自分の知らない視点を知ること、複数の目線で物事を考える重要性を教わったおかげだと思います」

こうして複数の視点から物事を捉えられるようになった彼は、メキメキ成績を伸ばし、東大模試で4位になるまでに成績をあげます。そしてこの年、ついに彼は無事東京大学文科II類に合格することができました。

受験は人間性で決まる


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東大に入学してからの彼は、『ドラゴン桜2』に情報提供を行う東大生チーム「東龍門」を立ち上げ、監修として作品に携わりました。

藤井くんが生まれたのは、先にも述べたように、かつて自身が人の話を聞かず、自分のやり方に固執していた「性格の悪い」経験が大きかったと言います。

そんな「リアル藤井くん」だった彼は、現在、同じような逆転合格を経験した東大生たちと株式会社カルペ・ディエムを立ち上げ、全国の学校に行って講演したり、その内容を出版したりする、まさにリアルでドラゴン桜の世界を普及する活動に魂を燃やしています。

僕は独りよがりでは何もできないことを浪人生活で学びました。今も東大生と一緒に会社を作って頑張っていますが、衝突することもあります。でも、それはそれでいいと思うんです。2浪していたときと同じように、さまざまな人から多様な話を聞いて、自分の考えもアップデートして、人間として成長していきたいと思います」

受験は人間性で決まる 自らの人格を磨くことが合格の礎だ

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(漫画:©︎三田紀房/コルク)

『ドラゴン桜2』で桜木先生が藤井くんに投げかけた名ゼリフを体現している彼の人生はまさに、2年の浪人生活がもたらした結晶なのだと思いました。

(濱井 正吾 : 教育系ライター)