主人公・千尋とカオナシが並ぶ印象的なシーン。このカオナシは当初はメインキャラではなかったという(©2001 Studio Ghibli・NDDTM)

いよいよ2023年7月14日より、宮粼駿監督の新作映画『君たちはどう生きるか』が公開されます。これまで数々の名作映画を生み出してきたスタジオジブリ。同社史上、最大のヒットを飛ばしたのが『千と千尋の神隠し』です。同作で印象的なキャラ「カオナシ」を覚えているでしょうか。

その知られざる誕生秘話を、スタジオジブリ代表取締役でプロデューサーの鈴木敏夫氏が責任編集した新著『スタジオジブリ物語』より一部抜粋、編集のうえ、お届けします。

「山のオジチャン」と呼ばれた宮粼駿

2001年3月26日、東京都小金井市にある「江戸東京たてもの園」で宮粼駿監督の最新作『千と千尋の神隠し』の製作報告会が行われた。宮粼は、主人公千尋役の柊瑠美とともに記者会見に出席、次のように作品制作のきっかけを語った。

実は僕には、丁度柊さん(13歳)くらいの、赤ん坊の頃からよく知っているガールフレンドが5人ほどいまして、毎年夏に、山小屋で2、3日一緒に過ごすんですが、その子たちを見ていて、この子たちのための映画が無いなと思いまして、その子たちが本当に楽しめる映画を作ろうと思ったのが、狙いというかきっかけです。実際には、その子たちが10歳くらいのときに思いついたのですけど、もたもたしているうちに大きくなってしまったんです。(略)山のオジチャンと呼ばれているんですが、その、山のオジチャンが作った映画を喜んでくれるかどうか、それを自分の目標にしています。(『「千と千尋の神隠し」千尋の大冒険』)

しかし『もののけ姫』から4年ぶりとなる新作『千と千尋の神隠し』は、このような形に固まるまで、いくつかの紆余曲折を経ている。

宮粼は『もののけ姫』完成後にスタジオ近くに設けたアトリエを拠点に、「東小金井村塾2」の塾頭として半年間アニメーションを志す若手の指導を行うほか、ジブリ美術館建設のために設立された事業会社ムゼオ・ダルテ・ジブリとともに美術館計画を進めていた。

一方、1998年3月26日には、『もののけ姫』制作中の1996年5月以来の企画検討会を開催。企画提案者とレポーターとして宮粼自身が立ち、以前取り上げられたことのある柏葉幸子の児童文学『霧のむこうのふしぎな町』を再度提出した。この検討会は、いろいろな小説やマンガなどを題材に「どうやったら映画になるか」をスタッフで話し合うことを目的とした会合で、スタジオジブリのウェブサイトで連載されている制作日誌では、当日の様子を次のように記している。

前回この企画を取り上げたのが3年10カ月前のため、どんな結論を出したのか、そもそも企画提案者が誰だったかすら覚えていない。こんな状態なので、参加者は初めてこの企画に向かう気持ちで意見を出し合う。宮粼監督もみんなと話すのが久しぶりなので異様に元気である。そのため検討会は予定時間を超え、2時間半以上にも及ぶ。

同書は1975年に発表された和製ファンタジー。小学6年生の少女リナが、父の知り合いを探して「霧の谷」を訪ねると、そこには不思議なお店が集まった商店街があった……という内容である。

「踊る大捜査線」がきっかけになった

宮粼自身は同書のどこが魅力かあまりピンとこなかったというが、同書を好きで子供の頃何度も繰り返し読んだというスタッフの声を手がかりにして、検討会後から同書の映画化が可能かどうかを検討し始める。

宮粼は『ゴチャガチャ通りのリナ』というタイトルで、同書の魅力を探りつつさまざまなイメージボードを描いた。しかし、最終的にはこの作品は映画化できないという判断が下された。

その後、宮粼は改めて、大震災後の東京を舞台に、お風呂屋さんの煙突に絵を描く20歳の女の子を主人公にしたオリジナル企画『煙突描きのリン』の企画をスタート。リンの行く手を阻む中年の男率いる集団とのぶつかり合いを描く予定だった。

しかし、1999年1月、約1年間、宮粼が温めてきた『煙突描きのリン』に対して、鈴木敏夫プロデューサーから意見が出された。

きっかけとなったのはヒット映画『踊る大捜査線 THE MOVIE』(1998年、本広克行監督)。これを見て、そこに現代の若者の特性が等身大で描かれていたことに感心していた鈴木は、宮粼に「我々が作るべきはやはり、子供のための映画ではないか」と提案した。若者のための映画は等身大の若者を描ける人に任せるべきだろう、自分たちが作るべき作品はそれとは違うものなのでは、というのが鈴木の意図だった。

鈴木の一言で、宮粼は『煙突描きのリン』の企画をストップすることを決意。そして続けて、次の企画を切り出した。鈴木はその時の様子を次のように振り返っている。

僕と宮さんの共通の友人の娘を出してきて、その子のための映画をやるって。舞台は、江戸東京たてもの園で。僕は、その女の子もたてもの園も大好きだったんで、賛成せざるをえない。宮さんによって、絶対反対できない状況に置かれたんです(笑)。(『ロマンアルバム 千と千尋の神隠し』)

そして1999年11月2日、宮粼は企画書を脱稿。6日には演出覚書を書き上げた。そして11月8日には、メインスタッフに向けた説明会を行い、本格的に制作準備がスタートすることになった。

世間の縮図としての「湯屋」

企画書は、『千と千尋の神隠し』のコンセプトが明確に書かれているため、スタッフ向けだけでなくマスコミ向け資料などにもさまざまに掲載された。 

ここで宮粼は『千と千尋の神隠し』のテーマについて「今日、あいまいになってしまった世の中というもの、あいまいなくせに、侵食し喰い尽くそうとする世の中を、ファンタジーの形を借りて、くっきりと描き出すことが、この映画の主要な課題である」と明確に打ち出している。

そしてその上で「千尋が主人公である資格は、実は喰い尽くされない力にあるといえる。決して、美少女であったり、類まれな心の持ち主だから主人公になるのではない。その点が、この作品の特長であり、だからまた、十歳の女の子達のための映画でもあり得るのである」と記している。

こうして「世の中」の縮図として登場するのが、神々が通う湯屋「油屋」だ。神々が疲れを癒やす湯屋には、湯女や蛙男たちが大勢働いている。

宮粼は湯屋について「いまの世界として描くには何がいちばんふさわしいかといえば、それは風俗営業だと思うんですよ。日本はすべて風俗営業みたいな社会になっているじゃないですか」(『プレミア日本版』2001年9月号)と語っている。また湯屋で働くカエルたちについても「背広を着ている日本のオジサンたちにソックリでしょう」(『「千と千尋の神隠し」千尋の大冒険』)と説明している。

この湯屋の支配者が湯婆婆。恐ろしい魔女であり、従業員には厳しい経営者であり、かつ息子の「坊」を溺愛する母親でもある。そしてこの世界に紛れ込み両親がブタになってしまった少女、千尋は湯婆婆に名前を奪われ「千」となって、湯屋で働くことになる。


両親が豚になってしまうという衝撃的なシーンが切り取られた『千と千尋の神隠し』の映画ポスター(©2001 Studio Ghibli・NDDTM)

こうした概略を見ていくと「不思議な世界で働くことになる少女」「おっかないお婆さん」「お風呂屋さんが舞台」など、『ゴチャガチャ通りのリナ』や『煙突描きのリン』の企画を練る際に、宮粼が重要な要素と考えていたであろう部分の影響が感じられる。

また宮粼が舞台にすると語った「江戸東京たてもの園」は、江戸から昭和にかけての民家・商家などを移築している屋外施設。こちらは湯屋周辺にある街並みのモデルとして登場することになった。

「カオナシ」誕生秘話

『千と千尋の神隠し』は、宮粼が当初考えていたストーリーと大幅に違う形で完成している。その転機となったのは2000年5月のことだった。

鈴木によると、宮粼の当初のストーリー構想は次のようだった。

銭婆は最初から出そうと思っていたようですが、宮さんが最初に喋っていた内容はまるで違っていました。去年のゴールデンウィークの頃、僕と作画監督の安藤(雅司)君、美術の武重(洋二)さんと宮さんの4人で話し合いをやったんです。その時の構想では、湯婆婆をやっつけた後、背後に彼女のお姉さんの銭婆という、すごいヤツがいたことが分かる。こいつをやっつけなきゃ明日は来ないと。それを巡ってのアクション映画にしようと言っていました。(『「千と千尋の神隠し」千尋の大冒険』)

それはおもしろそうではあるものの、盛りだくさんすぎて3時間はかかる内容だった。そしてあと1年という制作期間では到底、3時間の作品など完成不可能なのも事実だった。そこで鈴木は、制作期間を1年延長することを提案。しかし、それに対し宮粼と安藤は反対した。そこで宮粼は、大きな決断をする。

その構想の転換について、宮粼はこう説明する。

だから、当初考えていた展開部分を全部切り捨てて、それ以外でまとめることにしたんです。これが大きな転換点だったですね。その中で、突然カオナシというキャラクターが浮上したんです。(『千尋と不思議の町 千と千尋の神隠し 徹底攻略ガイド』)

カオナシは、千尋が初めて湯屋に入る時にそのほかの神々などに交じって、橋のたもとに立っていた名もないキャラクターである。

本当に単なる脇役だったんです。(略)それは何の予定もなくてただ立たせていただけなんです。(略)でも、映像になって見たら妙に気になるヤツだったんですよね。そうなるとこっちも「アイツはなんであそこに立っているんだろう」って考え始めるんですよね。(略)そうするうちに「あれ、使えるかもしれないな」となったわけです。極端な話、突然に役割を与えて「あなたは何者ですか? ちょっと出てきて、この映画をまとめてください」ってお願いした感じですよ。(同前)


宮粼はカオナシを中盤以降の重要キャラとし、優しくしてくれた千尋を慕い湯屋に入り込み、やがては欲望のままに暴走する役割を担わせた。こうして映画の内容は、千尋と湯婆婆の関係だけでなく、千尋とカオナシの関係も大きな要素としてクローズアップされることになった。

この宮粼の提案による大方針転換は、その打ち合わせの最中に決まったという。

「(編注/宮粼が)『これなら2時間で収まる』と新しい構想を語ってくれたんです。それで、中盤からカオナシの話になったんですが、そこは宮さんという人のすごさで、カオナシの話も入れるし、湯婆婆の話も入れるし、銭婆の話も入れるし、結局全部入れてしまった」(『「千と千尋の神隠し」千尋の大冒険』)というのは、完成したストーリーについての鈴木の感想である。

「カオナシ」にこだわった理由

宮粼のこうした方針転換の一方で、鈴木も、このカオナシというキャラクターに興味を持ち、本予告ではカオナシを大きく取り扱うことに決めていた。

カオナシの存在が膨らんできた時は面白いなと思ったんです。宮さんの中から、またひとつのオリジナリティが出てきたし、最終的に映画の大きな柱になった。フィルムを全部通して見た時、宮さんが言ったんです。「これはカオナシの映画だ」って。僕はそんなこととうに気づいていたので、「当たり前じゃないですか」と。(『ロマンアルバム 千と千尋の神隠し』)

最初に制作された特報は、千尋が不思議の町に入っていき、湯婆婆と出会うまでを中心にまとめられた内容。得体の知れない世界に足を踏み入れてしまった怖さをまず印象づけるテイストだった。それに対し、本予告はカオナシと千尋の絡みを中心に編集された。

あの本予告は、作ろうと思ってからフィルムにするまでに、かなりの時間をかけました。何故かと言うと「カオナシと千尋で予告篇を作る」と言ったら、宣伝の人たちがみんな大反対するに決まっている。(略)とにかく時間をかけました。最初にカオナシと千尋のシーンだけつないだものを作って、とりあえず宣伝関係者に見せて、反応を見てみたんです。僕としては、一ヵ月ぐらい毎日見せてりゃ慣れるだろうと思ったんです。(略)一ヵ月後、最終的に「これを予告にしたい」と言った時、やっぱりみんな反対でした。でも、僕としてはどうしてもやり抜きたかった。(『「千と千尋の神隠し」千尋の大冒険』)

鈴木がこれほどまでにカオナシにこだわったのには、もちろん理由がある。

僕が見たところ、どうもカオナシというのは、人間の心の底にある闇、心理学でいうところの“無意識”を象徴している。そいつがあらゆる欲望を飲み込みながら暴走する。千尋はそれを鎮め、海の上を走る列車に乗って銭婆に会いに行く。そして、戦うことなく名前を取り戻します。不思議なお話ですよね。物語の類型からはかけ離れています。でも、僕はこれこそが現代の映画だと思った。

一見、最初のストーリーのほうが分かりやすいし、そのほうがヒットすると考える人もいるかもしれません。それはそれで、宮さんが作ればおもしろい映画にはなるでしょう。でも、大ヒットする映画にはならない。なぜなら、そこには犖渋紊箸粒米瓩ないからです。(『ジブリの仲間たち』)

鈴木はこうした考えのもと、カオナシをメインに据えた宣伝方針を打ち出し、予告だけでなく、新聞広告にもカオナシは大きく取り扱われることになった。当初は、不思議な街並みの前に千尋とブタがいるメインポスターの絵柄を公開まで使用する予定だったが、急遽、カオナシと千尋が向かい合っている場面の絵柄を使うことになった。たとえば公開1週間前の7月13日に『読売新聞』に掲載されたカラーの全面広告の絵柄にもこれが使われている(この広告は、読売新聞広告賞優秀賞に選ばれた)。

人気キャラ「ハク」が登場したのは…

東宝映画調整部の市川南は、この新聞広告について次のように振り返っている。

この映画をヒットさせるカギは、「生きること」に関するテーマだというコンセプトに行き着いて、それを象徴するビジュアルがこの千尋とカオナシの絵柄だったからですね。普通の考え方でいくと、全ページ広告で使う絵柄ではないと思います。もっとロングで、全体がわかるような絵の方が収まりがいいですから。現に社内では「これでいいのかな」という意見もあったんです。でも、あえてこの絵を使ったことで、よりインパクトが強まりましたね。(『ナウシカの「新聞広告」って見たことありますか。』)

一方でヒーローであるハクと千尋との絡みは「恋愛映画ではないから」という方針で、予告や広告には登場しなかった。ハクが広告に登場するのは公開後5カ月経った12月になる。

(集英社新書編集部)