今日の富裕国が直面する5つの症状を紹介します(写真:metamorworks/PIXTA)

ソフトウェア、データ、研究開発、設計、ブランド、研修などの無形資産への投資は何十年にもわたり着実に増大し続けてきた。一方、金融危機の頃から、無形投資の長期的な成長は鈍化しているという。一体、経済のフロンティアで何が起こっているのか?

『フィナンシャル・タイムズ』ベスト経済書として話題となった『無形資産が経済を支配する』の著者による最新刊『無形資産経済 見えてきた5つの壁』から一部抜粋・編集のうえお届けする。

大いなる経済的失望とその兆候


今日の経済状況を考える時には、つい「こんなはずではなかった」と思ってしまう。世界はかつてないほど豊かで、驚異的なテクノロジーが生活のあらゆる側面を変えつつある──それなのにみんな、経済的観点からすると、何かがおかしいと確信しているようだ。

1970年代末のイギリスでは、何かがおかしいというのはあまりに明らかに思えたので、名前がついたほどだ。イギリスは「ヨーロッパの病人」と呼ばれた。今日の富裕国が直面する問題に名前をつけた人はいないが、各国で次から次へと5つの症状が見られるようになっている。停滞、格差、競争不全、脆弱性、正統性欠如だ。

こうした症状が特筆に値するのは、それが客観的に見て望ましくないばかりでなく、伝統的な経済的説明に沿わなかったり予想外のパラドックスを示したりしていて、いささか説明がつかないからだ。それらをここで簡単に紹介しよう。

1 停滞

生産性上昇は、10年以上にわたり絶望的に低い。結果として、富裕国は21世紀の成長がトレンドのまま続いていた場合に比べ、1人当たりの稼ぎが25%ほど低い。低成長期があること自体は不思議ではないが、現在のわれわれの停滞は、あまりに長く続いているし不可思議だ。

それは超低金利にも、経済を刺激するための各種の非伝統的な試みにも反応しない。そしてそれは、新技術やそれを活用する新ビジネスへの広範な熱狂と共存しているのだ。

2 格差

資産で見ても所得で見ても、格差は1980年代以来、目に見えて増大しているし、下がる様子がない。だが今日の格差は、単に持てる者と持たざる者という話ではない。むしろそれは、尊厳の格差とも言うべきもので複雑化している。つまり、ステータスの高いエリートと、文化や社会変化に取り残されたステータスの低い人々との間に、分断があると思われているのだ。

尊厳と物質的豊かさとの間にはある程度の相関はあるが、完全な相関ではない。現代に取り残されたと感じる人々の多くは資産の多い引退者だし、一方でリベラルなエリートには、無一文で負債を抱えた大卒者が大量にいる。

競争が機能していない

3 競争不全

市場経済の原動力たる競争は、あるべき形で機能していないようだ。企業の業績は見たところ、昔より固定してしまっている。アマゾンやグーグルのような、数兆ドル規模の企業は、絶えず後続企業を上回る業績をあげ、すさまじい利潤を計上する。新興企業の数は減り、人々は転職したり、仕事探しで引っ越したりしなくなった。

ここでもパラドックスが見られる。というのも多くの人は、経済生活においては熾烈でストレスまみれの、無駄な対立が高まっている気がすると不満を言っているからだ。客観的に見て豊かな人々や、金持ちですら、立場を維持するのにますます頑張って働かされる羽目に陥っているらしい。

4 脆弱性

新型コロナウイルスのパンデミックにより、世界で最も豊かな経済圏ですら自然の力には勝てないことが示された。実際、このパンデミックが引き起こした被害は経済の複雑さと高度に結びついている。

巨大で高密な都市、複雑な国際サプライチェーン、グローバル経済の空前の相互接続性のおかげで、ウイルスは国から国へと拡散し、それを抑えるために必要なロックダウンの費用を引き上げた。

わずか15年前ですら、中国僻地でのパンデミックの発生など、富裕国にとってはせいぜいが小さなニュース記事で終わっていただろう。いまやグローバル化とサプライチェーン、インターネットのおかげで、別大陸でのほんの1羽のチョウの羽ばたき程度のものが、ますます大きな影響を及ぼすようになっている。

多くの人々にとって、新型コロナウイルスが人間に与えた悲惨な影響は、気候変動が今後の年月で引き起こす災厄の前触れだ。パンデミックの実際の影響と、地球温暖化の予想される影響とが組み合わさると、経済がエコシステムレベルの巨大化した脅威に弱いことが示される。

政策がうまく機能しない問題

そしてこの2つの問題に共通する別の特徴がある。解決策はわかっているのに、実際にそれがなかなか実行できないという、奇妙なギャップだ。

台湾からタイまでさまざまな国は、正しい政策を実行すれば新型コロナウイルスの死者数や経済的損害を減らせることを示してきた。同様に、経済を脱炭素化するための詳細で信頼できる計画が存在する。だが知っていることと実行とのギャップは大きく、ほとんどの国はそのギャップを埋められずにいる。

脆弱性を示す別の兆候は、中央銀行が経済ショックを抑える能力の低下だ。新型コロナパンデミックに至るアメリカの9回の景気後退で、FRBは金利を平均で6.3ポイント切り下げた。

イギリスでは、コロナ以前の5回の不景気での金利切り下げは平均5.5ポイントだった。だが 2009年以降、米英欧の中央銀行が設定した平均金利は、それぞれ0.54%、0.48%、0.36%だ( 2021年4月までのデータ)。金利について言えば、中央銀行の持ついわゆる政策余地はきわめて限られている。

労働者や企業がヤル気を失っている問題

5 正統性欠如

21世紀経済の最後のがっかりする特徴は、経済学者が話題にするものではないが、一般人の会話には大きく登場している。それを、正統性欠如またはフェイク性と呼ぼう。労働者や企業は、かつて持っていた本来あるべきヤル気と正統性を失っているという考えだ。

人類学者デヴィッド・グレーバーの「ブルシット・ジョブ」批判を考えよう。「何やら不思議な錬金術を通じて、書類をまわすだけで月給がもらえる連中の数は究極的に増えるようで」、それなのに「クビになったりせっつかれたりするのはいつも、本当にモノをつくり、動かし、直し、維持管理している人たちなのだ」。

グレーバーの批判は、現代世界は「シミュラクラ」に支配されていると主張したジャン・ボードリヤールのようなポストモダニストの足跡をたどっている。シミュラクラとは、根底の現実から切り離された模倣やシンボルで、それがディズニーランドのように独自の命を得たものだ。

同様に、保守派の評論家ロス・ドゥザットは、現代の頽廃の特徴は、文化、メディア、エンターテインメントにおける独創性欠如と模倣の蔓延なのだという。現代世界は、過去とはちがう形でリミックスされ、ナレーションされ、キュレーションされているのだ。

この見方には世間も同意する。製造業は有権者にはきわめて評判がいいし、政府はそれをもっと促進すべきだとされる。

アメリカに製造業雇用を取り戻すというのが、2016年のドナルド・トランプの大統領選挙の公約で最も響いたものだった。歴代のイギリス政府は、世界金融危機への対応として「新たな産業、新たな雇用」や「製造業者の躍進(March of the Makers)」で対応すると約束した。

こうした約束はどれも守られなかったが、そんな約束がそもそも行われたということ自体、われわれが「モノづくり」に回帰すべきだという発想の人気と、現代経済活動の多くが正真ではないという疑念を強く示している。

ますます余裕のない労働生活

経済や社会はしばしば、不穏な時期を経験する。だがここに挙げた5つの問題が共存しているというのは、ことさら不思議でパラドックスめいている。経済停滞は昔もあった。だが今日ではそれが低金利、高い企業利潤、目のまわるような技術進歩の時代に生きているという広範な信念と共存している。

物質的な格差の拡大は低下してきたが、その影響や結果──地位の格差、政治的二極化、地理的分断、コミュニティー荒廃、自殺などの夭逝──は増え続けている。そして、新興企業は減ってトップ企業と後続企業との間の業績ギャップは固定化したため、競争は低下したように思える。だが管理職も労働者も、労働生活はますます余裕がないものになりつつある。

本書は2つの大きな問題に答える。何がこうした症状を生み出しているのか、そしてそれにどう対応すべきか?

(翻訳:山形浩生)

(ジョナサン・ハスケル : インペリアル・カレッジ・ビジネススクール経済学教授)
(スティアン・ウェストレイク : イギリス全国イノベーション財団ネスタ・シニアフェロー)