大学院生は減少の一途をたどっている(写真:Pangaea / PIXTA)

日本の研究力低下が指摘されて久しい。国が大学の研究力の強化に向けた事業を次々と打ち出す一方で、将来研究を担う存在である大学院生は減少傾向にある。特に、修士課程から博士課程への進学率は、毎年1割程度しかない。研究力向上のために国は大学院を増設したものの、大学院生が増えるのかどうかは見通せていないのが現状だ。

大学院生はなぜ減少しているのか。どのような問題を抱えているのか。この連載では、人文系、社会科学系、理工系など、さまざま分野の修士課程や博士課程で学ぶ大学院生に取材して、大学院生の現状を明らかにしていく。1回目は、大学院生が抱える問題を複数の調査結果から概観する。

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大学4年生の62.3%が大学院への進学を希望している――。

これは文部科学省が2022年7月から8月にかけて実施した、「大学院進学の動向及び経済的な支援に関する意識調査」の結果だ。

調査では国内15大学の4年生3000人を対象に、Webアンケートを実施した。15大学は北海道大学、東北大学、東京大学、東京工業大学、名古屋大学、京都大学、大阪大学、神戸大学、九州大学、筑波大学、東京都立大学、慶應義塾大学、東京理科大学、早稲田大学、立命館大学で、比較的大学院の在籍者が多い大学だ。

大学院で学びたい学生は多い


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大学院への進学希望者の割合は、理系と文系で大きく異なる。全体では62.3%だったものの、理工・農学系では84.5%と高く、人文・社会系は25.8%と低い。

その一方で大学院への進学を希望しない学生のうち、「これまで一度でも大学院への進学を考えたことがある」と答えた割合は54.6%に及ぶ。最終的には大学院進学を選ばなかったものの、大学院で学びたいと考える学生が多いことがわかる。

では、全国で大学院に進学している割合はどれくらいなのか。文部科学省が実施した2022年の学校基本調査によると、大学の学部から大学院等への進学率は12.4%だった。前年よりも0.6ポイント上昇しているものの、2010年度の15.9%をピークに減少傾向が続いている。

※外部配信先では図表を全部閲覧できない場合があります。その際は東洋経済オンライン内でお読みください


また、修士課程から博士課程に進学する割合は10.3%。16.9%だった1994年度以降、長期的に減少傾向が続いており、近年は10%前後で推移している。


修士課程や博士課程に進学する学生数が低迷していることは間違いない。

大学院重点化政策の失敗

日本では1990年代から国の研究力を一段と高めるため、大学院重点化政策が実施されたことで、大学院が増設され、大学院生は急増した。博士課程の入学者(修士からの進学と社会人の進学)は、1992年度まで1万人以下だったのが急増して、2003年度には1万8000人を超えた。

ところが、博士課程で学ぶ大学院生の増加は、結果的に博士号取得者の”供給過剰”につながった。就職先がない、もしくは正規の教員になれない人が続出し、任期付きの研究職で働くポスドクが増えて、いわゆる「高学歴ワーキングプア」を生み出した。政策によって大学院生を増やしたにもかかわらず、受け皿が用意されなかったのだ。

しかも、他の先進国が大学の論文数を増やす中で、日本の論文数は増えなかった。国際的なシェアが低下し、研究力が低下したと言われるようになった。大学院重点化政策は「失敗した」と指摘されることが一般的だ。博士課程に進む人は2003年度をピークに減少し、現在の博士課程入学者は毎年1万4000人程度で推移している。

政府は現在、国の成長とイノベーションの創出を目的に「大学の研究力強化」を掲げている。目玉政策の1つが、10兆円に及ぶ大学ファンドの運用益を数大学に配分する「国際卓越研究大学」の選定だ。10大学が応募して、現在東京大学・京都大学・東北大学に絞られている。

このほかにも研究力の強化につながる事業や、若手研究者の支援策について検討されている。しかし、現在進めている政策が、大学院生の増加につながるかどうかは見通せていない。

ここで、大学院生の実情にスポットを当てた調査を見ていきたい。2023年3月に「全国院生生活実態調査」の結果が発表された。これは全国大学生協連が2年に1回実施しているもので、今回の調査は2022年秋に行われ、全国の院生4645人から回答を得た。

調査は研究活動に関することから、就職活動、経済事情まで多岐にわたる。この中で、悩みやストレスの原因についての質問では、「生活費や授業料などお金に関すること」の割合が、前回調査に比べて大幅に増えていた。


(出所)全国大学生協連 院生生活実態調査2022年調べ (単位 %)

「お金に関すること」には、いくつかの要素がある。1点目は生活費の確保だ。修士課程の学生の収入では、前回と比較して「仕送り・こづかい」が減少し、「アルバイト収入」が増加している。研究活動と両立させるために、苦心している学生が少なくないようだ。

学生側の自己負担が多い

2点目は、研究費の自己負担が増加していること。専門書や参考文献などの書籍代、学会費、調査費用など全ての項目で自己負担は増えている。

もちろん、新型コロナの影響が薄まったことで、研究活動が通常に戻りつつあったことは要因の1つだろう。ただ、大学や学部、研究室によって格差が生じているのも事実だ。


(出所)全国大学生協連 院生生活実態調査2022年調べ (単位 円)

3点目は奨学金の返済負担。返済が必要な貸与型と、返済がいらない給付型を含めた受給率は38.7%と4割近い。貸与型奨学金を受給している割合は、自宅生よりも下宿生や寮生の方が高くなっている。

また、別の調査では、大学院生が多額の借入金を抱えている実態も明らかになった。文部科学省科学技術・学術政策研究所による「博士人材追跡調査」では、2021年度に修士課程を修了した人を調べたところ、返済義務のある奨学金や借入金を抱えている人の割合は33.7%と、全体の約3分の1を占めた。

さらに、借入金がある人のうち、総額が「300万円以上」と答えた人が45.2%にのぼった。高額な借入金を抱えている人が、一定数存在しているのだ。

実は、返済不要である給付型の奨学金を受給できる大学院生はもともと少ない。なぜなら、大学院生の大半が利用する日本学生支援機構の大学院生向け奨学金には給付型がないからだ。また、家庭の所得金額に応じて授業料の減免などを行う高等教育の修学支援制度も、大学院生は対象になっていない。学部から大学院にかけて多額の学費が必要になるにもかかわらず、大学院生への経済的支援は乏しいのが現状だ。

次に、修士課程の大学院生が考えている進路について見ていきたい。「全国院生生活実態調査」では文科系、理工系、医歯薬系それぞれの進路を調査している。


(出所)全国大学生協連 院生生活実態調査2022年調べ

文科系では就職が69.4%、進学が14.1%だった。進学を選ぶ割合は文科系が最も高い。理工系は就職が91.5%を占めていて、進学は5.5%と割合は低い。医歯薬系は就職が80.2%、進学が13.0%だった。

就職に関しては、就職活動が長期化していることがわかった。活動期間が6〜12カ月と答えた人は28.0%で、前回調査よりも3.6ポイント、前々回より7.1ポイント増加した。さらに、12〜18カ月が5.0%、18カ月以上も0.7%いる。


(出所)全国大学生協連 院生生活実態調査2022年調べ (単位 %)

就職活動をめぐる状況は自由記述の回答から読み取ることができる。

「研究と就職活動の両立が難しく、どちらとも中途半端になってしまうのではという不安はある」(理工系修士1年・男性)

「インターンの実施時期が平日の企業が多い。ただでさえ、理系院生は学位取得のため、研究に追われているのに、インターンが平日にあり学業を圧迫するのは理不尽である。近年、優秀学生の囲い込みのため徐々に就職選考が早期化されていて、インターンに行かなければ内定が出ない企業もある。理系院生も公平に選考が受けられるようなシステムにしてほしい」(医歯薬系修士1年・男性)

回答にもあるように、インターンや就職選考の早期化が、研究活動など学業を圧迫している傾向が強まっているようだ。また、文科系については、大学院への進学が就職に有利になると答えた人が少なかったという。

修士号や博士号が企業で評価されない

全国大学生協連全国院生委員会で調査の分析を担当した、長崎県立大学大学院修士課程2年に在籍する松田あすかさんは、次のように指摘する。

「海外は文科系の大学院進学にとても大きな価値づけがされているが、日本の企業は残念ながらそうではない。一般企業の多くは大学院の教育に対する認識があまりされておらず、修士号もしくは博士号を取得している学生を特別に評価することがあまりない。そのうえ、博士号を取得していた学生は、年齢や賃金の差別化などの理由からイメージがマイナスになってしまうこともあるようだ」

博士号を取得した院生には、本来であれば新卒であっても学部卒よりも高い賃金が支払われるべきだが、それを嫌がる企業や賃金体系を作っていない企業などが、採用を避けるケースもあるようだ。

日本の場合、企業だけでなく、社会全体が大学院生に対する理解に乏しいとも言える。松田さんは「社会に対しても、文科系に限らずだが大学院生の地位向上については今以上に働きかけていく必要がある」と話している。

複数の調査結果から、大学院生を取り巻く環境の厳しさが伝わってくる。博士課程に進学し、修了した場合は、研究者の道に進んで大学への就職を目指す人も多い。しかし、前述の通り正規採用の教員になる道は険しい。

研究者の「使い捨て」も問題に

最近は研究者の「使い捨て」も問題になっている。非常勤講師については5年、研究者については10年を超えて勤務することで、無期雇用に転換できる権利を得られることが法律で定められている。にもかかわらず、大学によっては5年や10年を迎える前に雇い止めされる事態が起きているのだ。

また、大学院生が抱える悩みに、パワーハラスメントやアカデミックハラスメントがある。上下関係が絶対で、閉鎖された空間とも言える大学の研究室では、ハラスメントが起きやすいとされている。

ハラスメントを行った教授に対して懲戒処分が下されていることは、全国の大学で頻繁に報道もされている。それでも、ハラスメントを公表していない大学が多いため、実態がわからないのが現状だ。

さらに、ハラスメントの被害に遭って大学の窓口に相談しても、適切に調査が行われないことも多い。「全国院生生活実態調査」でも、次のような声が寄せられている。

「教授のパワハラ、アカハラ、モラハラがあまりにひどく、不登校気味やうつになる人が後をたたないため、風通しを良くしてほしい。大学の相談センターは学生ではなく教授を守るので第三者的な機関を設置してほしい」(理工系修士2年・女性)

このように、大学院生は研究活動にも、将来にも大きな不安を抱えている。研究力の強化を掲げる国の政策は、大学院生が抱える不安を解消し、減少傾向にある大学院生を増やし、多くの研究者を育てることにつながるのか。大学院生1人ひとりに話を聞きながら、問題点を探っていきたい。

(田中 圭太郎 : ジャーナリスト・ライター)