いまの50代が先駆者となって、後進にロールモデルを示すために必要なこととは(写真:jessie/PIXTA)

「定年」と聞いて、明るいイメージを持てる人は少ないのではないでしょうか。昭和の日本では、年金をもらいながら悠々自適が、定年後の標準モデルでした。しかし、令和の現在は年金不安とともに、「働き続ける」ことを国から求められています。

そんな不安が募る定年を控えた40〜50代は残りのキャリアをどう過ごしていったらいいのか。本稿では博報堂シニアビジネスフォースのメンバーで、キャリアコンサルタントの資格を持つコピーライターの三嶋(原)浩子さんの新著『未定年図鑑〜定年までの生き方コレクション』の一部を引用しながら、「未定年」世代が今からできることを解説します。

「未定年」とはどの世代を指すのか?

♪そして僕は途方に暮れる……という歌が1980年代にヒットしましたが、いま日本の50代はそんな気持ちではないでしょうか。我が国ではついに人口の半分が50歳以上の中高年層となり、人生100年時代を迎えました。企業には65歳までの雇用義務が課せられるようになりました。

しかし、40代後半〜50代は終身雇用制度に守られ、信じてきた世代。それなのに65歳まで働いて、年金受給をできるだけ先へ延ばすようにと、国から言われる。現実にしっかり向き合って、計画し、準備する人は、まだまだ少数派ではないでしょうか。

長寿国・日本のマーケットにおいて、シニアたちのインサイトを探り、ビジネスを生み出している博報堂シニアビジネスフォースは、40〜50代の定年を意識し始める世代を「未定年」と名付けました。

定年後の生活を意識し始めるものの、自分の将来を考える時は、自由な生活への期待と見えにくい未来への不安に心揺れています。まさに未成年のように不安定な心情で未来を探る世代である。それが「未定年」というネーミングの由来です。

2017年に博報堂シニアビジネスフォースが、調査・分析した50代男性「未定年」層(1950年代後半〜1960年代生まれ)においても、定年後(60歳以降)の生活に対して「期待と不安が入り交じる、でも老後の準備は進めていない」という結果が多数を占めました。

1950年代後半〜1960年代生まれといえば、親が定年後、さほど困ることなく国から手厚い保護を受けてきた子ども世代。親が困っていない姿を見てきたため、定年後に対する切迫感が薄いようです。日々の仕事や、子どもの教育、早ければ親の介護も始まる。だから、老後をイメージした準備まで手が回っていません。

50代は自らが「先駆者」となる立場に

しかし、もはや親世代と同じように老後を国の庇護の下、のんびり暮らすことはできなくなりました。2021年4月1日には高齢者雇用安定法の改正が施行され、70歳までの継続雇用制度が努力義務として加わりました。いよいよ70歳まで働く人生を作り上げなければならない時代がやってきた、と解釈できる法改正です。

そんな厳しい時代の潮目にもかかわらず、いまの「未定年」にはロールモデルが見当たらない。それどころか超高齢化社会において、いまの50代は自らが先駆者となって、後進にロールモデルを示す立場となりました。

では、「未定年」は厳しい潮目に立ちすくみ、途方に暮れるしかないのでしょうか。「未定年」の背中を押し、希望の光となる社会現象も生まれています。

希望の光・その1は、副業解禁の流れ。今まで企業の多くは副業禁止を服務規程に定めていました。しかし、2018年1月、厚生労働省は「副業・兼業の促進に関するガイドライン」を作成し、それまで記載していた「許可なく他の会社等の業務に従事しないこと」という規定を削除。

さらに、新たに「第67条 労働者は、勤務時間外において、他の会社等の業務に従事することができる」という副業を認める条文を加えました。働き方の多様化や人材の流動化を推し進めたい国の意図が見える動きです。さらに少子高齢化が進む日本の労働力不足の一助となる可能性もあるでしょう。

副業が認められれば、ネクストキャリアに向けた「準備としての副業」も可能になります。ゆるやかに始めて、60歳または65歳以降に本格的に取り組む。そんな働き方も計画・実践できるのです。

盛り上がる「学び直し」「リスキリング」

希望の光・その2は、「学び直し」や「リスキリング」に対する国や企業の支援が盛り上がりはじめたこと。2022年10月3日の第210臨時国会では、岸田文雄首相が所信表明演説において「個人のリスキリング(学び直し)の支援に5年で1兆円を投じる」と表明しました。

このリスキリングは、単純な学び直しとは若干異なり、年功序列的な職能給からジョブ型の職務給への移行にひもづく能力支援であり「企業間、産業間での労働移動の円滑化に向けた指針を2023年6月までに取りまとめる」という表明とセットになっていました。

労働移動がスムーズになる、ということは、個人が現在持っているスキルを別の成長領域で活用しやすくする、ということです。違う言い方をすると、ネクストキャリアの可能性が広がっていくということですが、そのためには学び直しが必要。その支援として投入される1兆円がどのような形で個人に降りてくるのかは、まだわかりません。しかし、気運として新しい働き方を国が支援しようとしていることは間違いないでしょう。

さらに、まだまだ知らない人も多いようですが、厚生労働省は能力開発、キャリアアップを支援するための「教育訓練給付制度」を設けています。厚生労働大臣の指定した教育訓練講座を受講した際の費用の一部が給付される制度です。

教育訓練講座のメニューの中に、自分がやりたいことがあるかどうかですが、検討の余地はあるでしょう。70歳まで働くための準備、ネクストキャリアを築くためのスキルアップ。そのために国の支援を使わない手はありません。

一歩踏み出した「未定年」の存在

途方に暮れがちな「未定年」世代ですが、定年後も働き続けるためのアクションを起こしている「未定年」は存在します。

藤本慎也さん(仮名・54歳)は「勉強型」未定年。藤本さんは、ある放送局の管理職ですが、50歳になった時、「今の仕事の延長では、人生100年時代を生き延びることはできない」と一念発起し、社会人大学院の修士課程に進みました。並行して、「次の博士課程に合格するには、英語が必要」と、TOEICの勉強を始めて、730点のスコアを獲得。エリートである現状に甘んじることなく、学び直しを実践しています。


水森良江さん(仮名・54歳)は、「転職型」未定年。この年齢には珍しく、一社に骨を埋める発想を持たずにキャリアを重ねました。「Withネクスト」つまり、「次に行く会社で何が出来るか、意識しながら日々働く」ことで、見事54歳で正社員としての転職に成功。70歳まで働けるメドがついたそうです。

佐藤徹さん(仮名・57歳)は、「早期退職型」未定年。広告会社を55歳で早期退職し、現在はスタートアップ企業を支援する会社に転職、マルチコネクトプロデューサーとして活躍しています。佐藤さんは広告会社時代の「未定年」期に、「辞めたら連絡して」という人脈を、いつしか築いていました。

60歳・65歳の定年後を視野に入れて、動き出した「未定年」を3名紹介しました。50代の「未定年」は、いまの立場を失うこと、収入が下がる事実を恐れるばかりではいけない。輝く未来をめざした自分なりのアクションを起こすことが大切だと、3人は教えています。「未定年」の「未」は、未来の「未」。そして「未だやれる」の「未」。悩める40〜50代へのエールを込めた言葉が「未定年」なのです。

(三嶋(原)浩子 : 博報堂 関西支社CMプラナー、ディレクター、コピーライター、動画ディレクター)