フィリピンのマルコス大統領。20年にわたって独裁を強いた父とは裏腹に、穏健な政権運営で高支持率が続く(写真・ 2022 Bloomberg Finance LP)

フェルディナンド・マルコス・ジュニア(ボンボン・マルコス)氏が、フィリピンの第17代大統領に就任してから2023年6月30日で丸1年になる。物価高騰に直面しながらも、20年にわたって独裁体制を敷いた父の強権ぶりとは裏腹の、ソフトな立ち回りで高い支持率を維持している。

外交・安全保障面で、前任ロドリゴ・ドゥテルテ氏の親中反米路線を大きく転換したことはこれまでに書いてきた(「アメリカが中国に圧勝したフィリピン争い」)が、内政面ではまずは無難な滑り出しの1年だったといえる。

一方で上下院の勢力図が変わる2年後の中間選挙、5年後の次期大統領選をめぐって政権内部から不協和音も聞こえ始めており、安定軌道が続くかどうか、予断を許さない。

インフレ下でも高成長続く

前任のドゥテルテ氏は就任早々、最大公約の「麻薬撲滅戦争」に乗り出し、超法規的殺人により多数の死者を出して内外の批判を浴びた。前々任のノイノイ・アキノ氏も公約の汚職追放キャンペーンの一環として、アロヨ元大統領の選挙不正や汚職疑惑を追及、アロヨ氏が退任直前に指名した最高裁長官を弾劾する道筋をつけるなど世間の耳目を集めた。

それに比べ、マルコス氏は親米回帰こそ国際的な注目を集めたものの、前政権の路線継続を掲げた選挙公約もあり、内政面で派手な動きはなかった。

経済政策では2023年1月に消費者物価指数(CPI)が前年同月比8.7%の上昇を記録。なかでもコメや玉ねぎの高騰が庶民の台所を直撃した。農相を兼務するマルコス氏にも批判が寄せられた。

中央銀行は2022年5月から政策金利を9期連続引き上げ、現在は6.25%と高い水準にある。それでも5月のCPIは6.1%と落ち着きを取り戻してきた。政府の目標である2~4%に比べて依然高いものの、中銀も利上げをいったん据え置いた。

コロナ禍が収束に向かい、海外出稼ぎ労働者の送金も増えて、国内総生産(GDP)の7割を占める個人消費は活性化している。2023年1〜3月期のGDPの伸びは前年同期比6.4%。世界銀行は6月7日、2023年の成長率予測をそれまでの5.6%から6%に引き上げた。アジアでも最高レベルの数字である。フィッチ・レーティングスは先月、フィリピンの格付け見通しを「ネガティブ」から「ステーブル」に引き上げた。

経済政策では、上・下院で承認され、近く創設される政府系の「マハルリカ投資ファンド(MIF)」が物議を醸している。政府のほか、国営のフィリピン土地銀行やフィリピン開発銀行などが5000億ペソ(約1兆2500億円)規模で出資し、インフラ整備の財源に充てるという。

適切に運用されれば、シンガポール政府系ファンドのように財政に寄与する可能性はあるが、マレーシアでは政府系ファンド「1MDB」をめぐり、ナジブ首相(当時)の私的口座に巨額の資金が流れる汚職が発覚した。

運用にともなうリスクに鑑み、当初案にあった中央銀行や政府系年金基金、社会保険機関などによる出資は見送られたものの、父のマルコス元大統領を始め、過去多くの政権幹部が汚職にまみれたこの国で適正な運用が担保されるか、不安の声は尽きない。

「マハルリカ」とは高貴、気高いといった意味で、父マルコス氏が国名をフィリピンから変更しようとしたり、道路や放送局など息のかかった施設に軒並み被せたりした言葉である。今回の法案の提出者には、現大統領の長男のサンドロ・マルコス下院議員や、いとこのマーチン・ロムアルデス下院議長らが名を連ね、いやおうなくマルコス印を想起させる点もきな臭い。

政府債務が過去最大の14兆ペソ(約35兆円)に迫るなか、新ファンドは投資を呼び込む起爆剤となるか、はたまた汚職のネタとなるか。結果が判明するのは数年後になりそうだ。

元大統領の院内クーデター未遂

マルコス氏は大統領選で過去最多の票を獲得し、支持率も高止まりしている。政治コンサルタント会社パブリカス・アジアが2023年6月8日から12にかけて実施した調査では、マルコス氏を信頼すると答えた割合は62%と、3カ月前に比べ2ポイント上昇した。サラ氏は67%と同様だった。いずれも高い水準を維持している。

ところが盤石な体制と見られた政権与党内部の不一致が5月17日、あらわになった。

元大統領で、前政権時には下院議長を務めたアロヨ氏が、下院の筆頭副議長からヒラの副議長に降格されたのだ。その2日後の19日、サラ副大統領が所属政党ラカスCMDの名誉総裁職を辞し、離党すると発表した。

アロヨ氏が下院議長返り咲きをねらって、ロムアルデス議長に対するクーデターを仕掛けたが返り討ちにあい、アロヨ氏に近いサラ氏が、ロムアルデス議長が党首を務めるラカスCMDを離れたという説が一斉に流れた。

アロヨ氏は現政権樹立の立役者だ。マルコス氏が大統領選出馬を宣言する前、世論調査ではサラ氏が一貫して大統領候補の人気トップを走っていた。サラ氏が立てば当選の確率は高いとみられていたが、アロヨ氏の仲介でサラ氏は副大統領選に回り、マルコス氏と「ワンチーム」を組んだ経緯がある。

アロヨ氏はクーデター説を強く否定し、ロムアルデス氏も「下院の秩序は保たれている」というだけで真相はやぶの中だが、はっきりしたのは「ワンチーム」が必ずしも一枚岩ではないということだ。5年後の次期大統領選をめぐり、ロムアルデス議長とサラ副大統領の思惑がぶつかっているとの臆測もある。

前政権の時代からマルコス家とドゥテルテ家は蜜月とされ、支持層も重なるとみられてきた。しかしここにきてドゥテルテ系のメディアやインフルエンサーの一部が大統領の批判を始めている。

ドゥテルテ氏とアロヨ氏は大統領時代、中国と密接な関係を持っていた。マルコス氏がアメリカ寄りに大きく舵を切ったことが、ドゥテルテ家とアロヨ氏との間で亀裂を生んでいると指摘する声もある。

年初早々にも政権内の抗争に関係するとみられる重要な人事の変更があった。

2023年1月6日、政府報道官室は、大統領がアンドレス・センティノ氏を国軍トップの参謀総長に任命したと発表した。同氏は2022年8月まで同じポストを務めたあと、陸軍士官学校で同期のバルトロメ・バカロ中将にその座を譲っていた。つまりわずか5カ月で国軍トップに返り咲いたわけだ。

ドゥテルテ前政権は任期切れ直前の2022年5月、参謀総長が定年の56歳を迎えても任期を3年間務めることができるとする法を制定した。バカロ氏は最初の適用例として同年9月に定年を迎えた後も参謀総長にとどまっていた。

にもかかわらず、バカロ氏を外した人事を知らされなかったとされるホセ・ファウスティノ国防相代行が1月9日に辞表を提出し、多数の国軍幹部が一斉にこれに続いた。一時とはいえ「クーデターか」とのうわさまで流れた。

大統領府は「ファウスティノ氏は人事を知らされていた」とわざわざ声明を出し、国防次官が「大臣交代の際の幹部の辞表提出は慣例。国軍の士気は高く、職務を遂行している」と火消しに追われた。

続いて2023年1月14日にはクラリタ・カルロス国家安全保障補佐官が退任し、エドアルド・アニョ前内務・自治相が後任に就いた。つまり10日足らずの間に国家安全保障のチームを総取り換えしたのだ。

ちらつくファーストレディーの影

ファウスティノ氏が辞表を出した1月9日、大統領警護班からメディアに1本の奇妙な動画が送られた。

散歩中だというルイーズ(リザ)・マルコス大統領夫人がカメラに向かって「今回の国軍人事に私は関係していない。私の名前を使う人に警告する。あなたを任命しないよう夫に伝える」と一方的に話していた。

ファーストレディーの名前は、5月の「下院クーデター未遂」の際にも登場する。アロヨ氏はクーデター説を否定する声明のなかで、クーデターをリザ氏が祝福するというデマをある女性議員が流し、これにアロヨ氏が乗せられたとの噂を取り上げ、「哀れな噂は大統領夫人に失礼だ」とわざわざ言及した。

安全保障チームの人事にしろ、下院クーデター説にしろ真偽は不明ながら、リザ氏の名前がさまざまな局面で取りざたされていることは間違いない。

私はマルコス大統領就任前の2022年5月、政権運営のカギを握るのは4人の女性と書いた(「復活したマルコス一族によるフィリピンの将来」)。サラ氏、アロヨ氏、大統領の姉のアイミー・マルコス上院議員、それにリザ夫人だ。

ボンボン・サラのチーム結成ではアロヨ氏とアイミー氏のお膳立てが功を奏したとされるが、この1年の政権運営を見ていると、リザ氏の影響力が強くなっている気配がする。

当の大統領は報道陣の取材に対し、安全保障関連の人事について「センティノ氏のほうがバカロ氏より階級が上なので序列に従った」、下院のクーデター未遂には「議会ではよくあること」と答えにならない答えに終始しており、夫人の影を払拭するには至っていない。

父の時代、ファーストレディーを務めたイメルダ夫人(大統領の母)の影響力が政権内外で絶大だっただけに、リザ氏の言動は今後も注目を集めるだろう。

マルコス氏はこの1年、ドゥテルテ前大統領がたびたび行ってきた丁々発止の問答を繰り広げるような記者会見は開いていない。簡単な囲み取材や外遊時の機内でのやりとり、政権寄りのメディアや質問を事前に提出する外国メディアのインタビューには応じているが説明責任という点では物足りない。

他方、意外だったのは、多くの行事に気軽に出向く腰の軽さである。

2023年2月22日にマニラ首都圏のホテルで催された日本大使館主催の天皇誕生日のセレモニーに出席、スピーチを行った。他国の国王らの誕生日パーティーに大統領が駆けつけた例は聞いたことがない。

2月6日、中国との領有権争いを抱える南シナ海でフィリピン沿岸警備隊の巡視艇が中国の公船からレーザーを照射される事案があり、マルコス氏は同14日、大統領執務室に中国大使を呼び、ただちに懸念を伝えた。これまでなら外務省が対応していたケース。大統領自らの直接抗議は異例中の異例といえる。

民間も含めて各種のイベントにも頻繁に足を運んでいる。前任、前々任を明らかに上回る身の軽さ、マメさも支持率の高さにつながっているようだ。

目指すは一家の名誉復活?

独裁者の代名詞のような存在だった父の記憶から、反マルコス派や外国メディアには「新大統領はドゥテルテ氏以上の権威主義に傾くのではないか」という警戒感があった。

ところがふたを開けてみると、違法薬物摘発が緩くなり、覚醒剤の値段が下がったとか治安が悪化したなどの世評があり、ドゥテルテ氏を麻薬対策の特別職に起用するよう求める声まで上がるほどだ。政権に異を唱えるメディアを弾圧したり、反対派を拘束したりといったドゥテルテ氏や父のような強権もいまのところ振るっていない。

それでもかつての政変で追放され、失われたマルコス家の名誉を取り戻そうとする意思は明らかだ。

2月25日はフィリピンの祝日である。1986年、首都圏エドサ通りを埋め尽くした「ピープルパワー」によって父の政権が崩壊し、マルコス家がアメリカへ追放された「革命記念日」。大統領になって初めての記念日への対応が注目されるなか、マルコス氏は前々日の23日夕方になって突然、祝日を24日に1日前倒しすると宣言した。25日は土曜日なので連休を増やすためとの理由だったが、発表が急だっただめ教育現場や職場は混乱した。

当の25日、政変の舞台となったエドサ通りで、催された恒例の公式式典に大統領の姿はなかった。代わりに「国民を分断した歴史を振り返る時、国家としていかに団結して強くなったかを国民とともに私は記憶している。進歩と平和、全国民により良い生活を提供する社会を築くため、政治的立場の異なる人々にも和解の手を差し伸べたい」との声明を出した。37年前の政変は「国民を分断した」という認識だ。

これに対して、政変の主役となったコラソン・アキノ氏の家族は「エドサ革命は、勇敢で真に連帯した人々が独裁政権から自由を取り戻すことができることを証明した。この精神は民主主義を守り、われわれをだまして権利と自由を侵食しようとする者たちと立ち向かう精神と同じであり、今も生きている」との声明を出した。

この1年、マルコス氏を観察していると、何事があっても柳に風、激することもなく、しれっとしているところがこの人の強さだろうと感じる。

6月19日、マニラ首都圏で催された情報関連の国際会議でマルコス氏は「フェイクニュースは現代社会から追放されるべきだ。メディアと情報リテラシーのキャンペーンを始める」と演説した。大統領選以前から、マルコス陣営の偽情報流布やSNSによる組織的相手陣営攻撃を繰り返し報道してきたネットメディア・ラップラーは、「偽情報の最大受益者が反フェイクニュースキャンペーンを始める」と皮肉る記事を掲載した。

(柴田 直治 : ジャーナリスト、アジア政経社会フォーラム(APES)共同代表)