人類の進化の歴史を踏まえると、現代の核家族による子育ては理想的とは言えないようです(写真:kapinon/PIXTA)

私たち人類が過酷な環境を生き延び、さまざまな問題を解決し、世界中で繁栄することができたのは、「協力」という能力のおかげだ。

だが、人間のみならず、多くの生物が協力し合って生きている。そもそも多細胞生物は、個々の細胞が協力し合うことから誕生したものであり、生命の歴史は協力の歴史ともいえるのだ。

一方で、協力には詐欺や汚職、身内びいきなどの負の側面もある。それでは、私たちはどうすればより良い形で協力し合うことができるのだろうか?

今回、日本語版が6月に刊行された『「協力」の生命全史』より、一部抜粋、編集のうえ、お届けする。

実は珍しい協力的繁殖をする種

他者と協力することの利点を考えれば、協力的繁殖を行なう種の割合が比較的小さいのは意外に思えるかもしれない。


たとえば、協力的繁殖を行なう両生類や爬虫類は知られていない。昆虫類、クモ類、哺乳類、魚類の場合はすべての種の1%以下、鳥類の場合は8%前後だ。

協力行動を習得するのは難しく、そうした種が繁栄するためには、条件が整わなければならない。繁殖を助ける「ヘルパー」が最も出現しやすいのは、雌が一夫一妻制をとり、1回の繁殖で複数の子を産める種だ。

一夫一妻制でヘルパーが有利になるのは、ヘルパーは異父(異母)きょうだいではなく、実のきょうだいの誕生を手助けすることになるからである。同様に、雌が1回に1匹ではなく複数の子を産むほうが、ヘルパーが母親の繁殖の成果を高める余地が大きい。

この点で言うと、ヒトは例外的な存在だ。ヒトは1度に1人しか産まないことが多いし、ヒトの繁殖スケジュールは子の数よりも質を優先しているように思える。

前述したように、1人の子を身ごもるだけでもヒトの女性には代謝上の重荷がのしかかるから、(協力的繁殖を行なうほかの霊長類のように)双子を産む確率を高める変異を受ければ、それぞれの胎児が受け取る栄養分が減るか、胎児は妊娠した母親が与えきれないほどの大きな栄養や労力を要求するだろう。

私たちは助けを利用するうえで異なるルートを選択した。1度に産む子の数を増やすのではなく、単に出産の間隔を短くしたのだ。

現代の狩猟採集社会では、出産時に助力が得られる母親は、子どもが離乳したらすぐに次の子を妊娠することができる。ヒトに近縁の類人猿よりおよそ2倍も速く繁殖できるということだ。

チンパンジーの場合、出産の間隔は6年ほどあるが、狩猟採集民の女性は3年ほどの間隔で出産(および子育て)することができる。

したがって、協力的繁殖を行なうことにより、ヒトの母親はきわめて質の高い子どもを比較的多く産めるようになり、子どもの質と数のどちらかを犠牲にしなければならないという問題を解決することができた。

複数の保護者による子育て

協力的繁殖を行なうというヒトの性質は、人間の社会と子育ての規範を理解するうえで重要な点を伝えている。

社会的な生活様式をもっているということは、ヒトが地球上に出現してからほとんどの期間、母親は広大な社会的ネットワークに組み込まれ、子どもは父親、年長のきょうだい、おば、おじ、祖父母といった複数の保護者に育てられてきたことを意味する。

現代でも多くの人間社会ではこのような暮らしが見られるものの、多くの工業化社会では、大規模な拡大家族の役割は、学校や保育所といったより公的な施設が(ある程度)担うようになった。

育児を担う公的な施設は協力的繁殖を行なうヒトの性質を論理上拡大したものであり、そもそもこうした施設が存在するのは、ヒトが協力的繁殖を行なうという事実があるからだろう。

子が常に母親のそばにいるほかの大型類人猿とは異なり、ヒトの子どもは母親よりもほかの保護者と多くの時間を過ごすことがよくあり、1人の保護者とだけ絆を形成する必要はなく、複数の個人に面倒を見てもらうこともできる。面倒を見る個人のなかには、ほかの子どももいることがある。

こうした見方は、核家族という欧米人の理想とは対極をなす。

核家族では、両親が拡大家族からの助力をほとんど受けずに子どもを育てる。子どもの数が少なく、子どもどうしの年の差も小さい傾向があるため、年長のきょうだいはまだ親に依存していることが多く、下の子の面倒を見られない。

ヒトの進化史を無視した「愛着理論」

この点に関しては、ヒトの進化史にきちんと目を向けなければ、有害な結果を招きかねない。欧米のモデルは模範的な事例の基準として使われることが多く、育児をどのように行なうべきかについての方針決定や、その方針に従わなかった場合にどのような害を子どもに及ぼすかを伝えるのによく使われる。

この分野でもよく知られている考えの一つが「愛着理論」だ。

この理論では、子どもの健全な発育は、主要な養育者(たいていは母親)と親密な関係を築けるかどうかにかかっているとされる。

この理論に従うと、子どもに無関心あるいは鈍感な母親(または子どもを保育所に預ける母親)は子どもの発育の過程を変える可能性があり、「不安定な愛着スタイル」として知られるものを子どもに植えつけて、広範囲に悪影響を及ぼすおそれがあるという。

これが暗に導き出すのは、子どもを社会に順応しやすく育て、成人してからまっとうな関係を築くことができ、社会の役に立つ一員に成長させるのは母親の責任だという結論だ。したがって、子育てがうまくいかないと、母親が責められることになる。

愛着理論で問題なのは、核家族は親の1人が育児を担当してもう1人が働くことに重点を置いているが、これはさまざまな文化のなかでも、広い視点で歴史や進化を考えた場合にもきわめて珍しいということだ。

母親は子どもにとってかけがえのない唯一の養育者であるという考えは、現代の欧米の文化的なイデオロギーであり、科学的な根拠のある義務ではないのである。

調査が明らかにしたこと

この見解を裏づける確かなデータがある。1991年から2007年にかけて、アメリカの国立小児保健発達研究所が1000人を超える子どもを対象に調査した。

調査はそれぞれの子どもが生後1カ月の頃から9年生〔日本の中学3年生〕になるまで続けられた。そのなかには保育所に通った子もいれば、母親にだけ育てられた子もいる。

この調査の主な結論ははっきりしている。保育所に通った子どもと、家で一方の親に育てられた子どもとで、発育に差は認められなかったのだ。

同様に、2003年から2006年にかけて1400人を超すフランスの子どもを対象に行なわれた研究では、優れた保育所に通った子どもは、母親だけに育てられた子どもよりも感情と品行に関する問題が少ないことがわかった。

これはひょっとしたら、保育所に通った子どもは同年代の子どもやほかの大人と交流する機会が多かったからかもしれない。

これらの研究は母と子の絆の重要性を軽視するものではないし、子どもの健全な情緒的発達を確実にするうえで母親が何の役割も果たしていないと言っているわけでもない。

これらの研究は育児をもっと広い視点でとらえ、複数の養育者や関係を取り入れるように促すものだ。

それは、ヒトがきわめて社会的かつ協力的な種として進化してきた長い歴史をもっと踏まえて考えるということである。

(翻訳:藤原多伽夫)

(ニコラ・ライハニ : 進化生物学者)