(写真:takeuchi masato/ PIXTA)

「就活で内定が取れたら、このバイトは辞めるつもりです」と公言していた大学生のAさんがバイトを辞めていたことを知った知人が、「あのAさん、内定取れたんだね」と発言することもあるだろう。しかし、これは怪しい発言で、就活で内定が取れていなくてもバイトを辞めることもあるはずだ。

この種の発言で困るものとして、たまに「逆に言うと…」という発言を聞く。たとえば、Aさんが「選挙権は18歳以上です」と言ったとする。それを聞いたBさんが、「逆に言うと、この前の選挙にCさんは行ったでしょ。だから、Cさんは幼い表情をしているけど、18歳以上なんだ」と言うことはあるだろう。

論理の問題がわからない大学生

このように「逆」という言葉は、本当は注意して使いたいものである。そして昔から、「逆は必ずしも真ならず」ということわざがある。15年ぐらい前の文系理系を問わない一般教養的な筆者の授業では、大概の大学生は知っていた。ところが現在は、ごく一部の大学を除くと、知っている大学生はあまりいない。

前回の東洋経済オンラインの記事「大学生が食塩水の濃度を計算できない驚く現実」で取り上げた「食塩水の濃度の問題」よりも顕著で深刻であると考える。

背景には、「数学に関する論理の問題は大学受験には無関係」、「数学は計算して答えを出すもの」という困った迷信があるのではないか。この迷信を過去のものにしたいために、数学関係者もそれなりに努力している。

たとえば、筆者が東京理科大学に在籍中に、理学部数学科の入学試験で「(結論を否定して矛盾を導く証明の)背理法はどのようなものであるかを説明せよ」という内容の記述式試験や、工学部の入学試験で本質的には「すべてのxについてP(x)が成り立つ」の否定文を述べさせる記述式試験が出題されたことを思い出す(「あるxについてP(x)は成り立たない」が正解)。

それは、対象が有限個の離散数学などの世界ではとくに背理法がよく用いられることや、「すべて」と「ある」の使い方をよく理解することが大学で学ぶ微分積分や線形代数の理解の重要なカギになること、等々の背景がある(拙著『新体系・大学数学入門の教科書(上下)』(講談社ブルーバックス)参照)。

だからこそ、「(計算問題を主とする)やり方の暗記だけの教育」以外にも目を向けてほしいのである。

しかし現実には相当厳しいものがあって、この種の内容の授業では教える側が「手抜き」をしているケースが少なくない。上述の迷信以外にも、最近明るみになってきた教員の多忙問題がある。これに関連して筆者は、いち早く免許更新講習制度の問題点などを示してきた。

だからといって、理解無視の行きすぎた「(計算問題を主とする)やり方の暗記だけの教育」が横行している現実は真っ先に改善すべきと考える。それが前回記事の趣旨である。

やり方の暗記だけを教える数学教育が広がっている

その記事に対しては多様な意見が筆者のもとに届けられたが、「最近の日本の青少年はチャレンジ精神もないし、知的好奇心も弱い。だからこそ、やり方の暗記だけの教育が蔓延していると思います」という意見がいくつかあった。

実際、「高校生の勉強と生活に関する意識調査報告書−日本・米国・中国・韓国の比較−」(国立青少年教育振興機構 2017年)によると、「授業中、きちんとノートをとる」に関してはトップであるが、「グループワークの時には積極的に参加する」や「授業中、積極的に発言する」に関しては極端に低い。

また、「ウチの生徒にはわからないから、教科書準拠の(計算問題を主とする)ドリルの答えをそのまま覚えさせるか、やり方を暗記させるだけ」という教員が増えていることも、全国で教鞭をとっている教え子たちから聞かされた(教え子の教員は全国で約200人)。

上の問題に関しては「鶏が先か、卵が先か」の面もあるだろう。しかし、チャレンジ精神や知的好奇心というものは、マッチした環境や刺激によって大きく変わるものではないだろうか。

生徒の好奇心を引き出し、積極的に授業に参加させるのに成功している事例を紹介しよう。

筆者は、神奈川県の自修館中等教育学校(中学高校一貫校)の探求学習の指導を担当しており、中学3年生の生徒と対話する運びとなった。面白い点は、課題は生徒自身が考え出したものである。それに答える形で、次の3点を語り合うことになっている。

・わかりやすい授業(数学教育):個人個人のレベルに応じた授業展開の必要性
・素数:無限に存在することの2つの証明、および未解決問題
・統計データ:人間の癖とベンフォードの法則

生徒諸君が考えた素朴な関心事というものを、従来はあまり大切にしていなかったのではないか、という筆者自身の反省の気持ちをもった次第である。ちなみに、当校では過去に生徒の数学に関する疑問を筆者に尋ねるために、数学の教員が生徒を連れて筆者の大学研究室を訪れたこともあるほど、生徒の疑問を大切にしている。

「誕生日当てクイズ」の参加する楽しさ

人数が多い授業では、一般的に冷めた反応を示す生徒が少なからずいるものだが、筆者の「誕生日当てクイズ」は生徒からの評判が良い。

これは、生まれた誕生日の「月」と「日」を使って簡単な計算をしてもらい、その1つの答えから「月」と「日」の2つの数字を当てるものである。ちなみに、「(日×10+月)×2+月」を尋ねるのであるが、要点はこの式を20で割った余りである。

盈進中学高等学校(広島県福山市)に昨年末に出前授業で訪れたときの、生徒諸君の本音の感想から、「ハイ、ハイ、ハイ」と多くの生徒が声を出して「参加」する楽しさが受けていたことを理解した。これは、とかく一方通行になりがちな大人数の授業において参考になるだろう(数学科教員対象の講演会も実施した)。

私の授業スタイルは「なぜ数学が大切か」「なぜこの項目をここで学ぶのか」「暗記でなく理解の学びを」等々を説明する姿勢をモットーにしている。

4月から非常勤講師として1年生と2年生の授業を一部担当してきた神田女学園高校の授業は、留学する生徒からなるクラスもある。その姿勢が留学を志す生徒のチャレンジ精神や知的好奇心を刺激する面があるようだ。

1年生のそのクラスでは、「今の説明わかりましたか」という質問に対する返事はYES・NOを含めて、ほぼ全員から聞こえる。問題を考える時間には友達同士で話し合う姿がクラス全体で見受けられる。

たまたま「逆は必ずしも真ならず」を含む論理的な用語についての授業でも前述の話題を含めて話すと、クラスの生徒皆がニコニコ顔で聞き入っていた。

当初、「留学希望者が集うクラスの生徒諸君は外国語は真剣に学ぶものの、数学に対する向学心はいまひとつではないだろうか」と予想していたが、それはまったくの見当違いで、反省の気持ちを持った次第である。

生徒がのびのび学ぶ環境を

2年生のそれと同じクラスに在籍する生徒が受けている授業は、選択の数学であることから履修者は少ない。履修者の一人でユニークな発想力をもった生徒が、「先生、私はいま少し眠いです。目を覚まして授業を真剣に受けたいので、この授業はこれから立って受けていいですか」という質問をしてきた。私はとっさに、「履修者が少ないことから邪魔にもならないので、もちろんOKです」と伝えた。するとその生徒は立ち上がって、質問しながら本当に楽しく授業を受けていたこともある。

授業に対する生徒の姿勢は、文系や理系などの属性とは関係なく、授業方法などの工夫で変化するものである。

「逆は必ずしも真ならず」などの論理的事項は、「受験にはほとんど出ない」や「計算問題とは異質である」などの雑言を気にせずにのびのび学ぶ環境がふさわしいのであり、このような学校こそが注目されることを祈る次第である。

(芳沢 光雄 : 数学・数学教育者)