インボイス制度は、個人事業主ばかりか会社員、国民全体に影響を及ぼす

10月1日から消費税の「インボイス制度」が始まる。およそ90日後と迫る中、『週刊東洋経済』6月26日(月)発売号では「インボイス完全マニュアル」を特集。インボイスの基本から個人事業主の対処法、免税事業者と付き合う方法まで解説。さらに2024年から本格開始となる改正電子帳簿保存法のポイントにも触れる。(この記事は本特集内にも掲載しています)


「インボイス増税反対!」

6月14日、国会議事堂の正門前では1500人余りの人たちが拳を上げながら叫んでいた。

集まったのは漫画家をはじめ、声優やイラストレーター、ウーバーイーツの配達員などさまざまな職種の個人事業主たち。10月1日から始まるインボイス制度(正式名称は「適格請求書等保存方式」という)に反対していたのだ。

「インボイス全国一揆」と名付けられたこのイベントに参加していた30代男性は、「インボイスを発行できないなら取引をやめると言われた。負担が増えたら生活できなくなる。すでに廃業した仲間もいる。絶対に反対だ」と声を荒らげた。

大半の企業にも影響が及ぶ大改正

彼らが怒るのには理由がある。インボイス制度が始まると、これまで納税を免除されていた小規模事業者たちに納税負担が発生。負担を拒めば値下げを要求されたり、契約を打ち切られたりする可能性があるのだ。


国会前に集まった個人事業主たち。インボイス反対のシュプレヒコールが起きた(撮影:尾形文繁)

インボイスを簡単に表現すれば、「売り手が買い手に発行する消費税の納税額の証明書」のこと。それを発行するだけなら大したことではないと思いきや、そうではない。消費税の計算方法が根底から変わり、個人事業主をはじめとする小規模事業者はもちろん、大半の企業にも影響が及ぶ大改正なのだ。

この制度を理解するために、まずは消費税の仕組みを説明することから始めよう。

消費税は、商品・製品の販売やサービスの提供などの取引に対して課せられる税。商品などを購入するたびに消費者が国に納税するのは困難なことから、事業者が商品価格に消費税分を上乗せして消費者から受け取り、代わってまとめて納税している。


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商品は、生産業者から完成品製造業者、卸売業者、小売業者などを経て消費者の手に渡る。そのたびに消費税を上乗せしていると、同一の商品に何度も消費税がかかってしまうことになる。

そのため、各事業者は「受け取った消費税(売上消費税)」から、「支払った消費税(仕入消費税)」を差し引いた金額を納税する。「税の累積」が起きないようにするためで、「仕入税額控除」と呼ばれる制度だ。


軽減税率とセットで導入

ところが2019年10月1日に消費税率が10%に引き上げられたのに伴って、低所得者に配慮する観点から、酒類や外食を除く飲食料品などについて8%の軽減税率が適用された。複数の税率が併存したことで、経理処理が複雑化。そのため、正確に納税させるためにセットで導入されたのがインボイスだった。

だが、そもそも軽減税率は低所得者を救済するのが目的だったはず。にもかかわらずインボイスによって、逆に小規模事業者たちに大きな負担を強いかねない事態になっているのだ。

消費税導入は、もともと世論の反発が強かった。そのため国は、課税売上高が1000万円以下の小規模事業者については、消費税の納税を免除するという「免税事業者制度」を設けた。

しかし、これが軽減税率とともに、もう1つの火種となる。というのも免税事業者であれば、取引先に対して消費税を請求しているにもかかわらず、受け取った消費税分は納税することなく懐に入れられる「益税」が発生するからだ。インボイスはそんな「益税」を潰すことから大騒動になっているのだ。なお「益税」に関して国は、「消費税は物価の一部」として「益税はない」との見解だが、実質的な観点から見てこの特集では益税と表現している。

インボイスが始まると、支払う相手が登録されたインボイス発行事業者(適格事業者)でなければ、いくら課税仕入れでも仕入税額控除ができなくなってしまう。

しかも適格事業者の登録ができるのは、消費税を納めている課税事業者のみ。つまり免税事業者は適格事業者になれず、インボイスを発行できないため、免税事業者からの仕入れについては仕入税額控除が認められなくなってしまうというわけだ。

これを商品やサービスを受け取る買い手サイドから見ると、インボイスが導入されると、免税事業者と同じ金額で取引すれば、仕入税額控除ができない分、買い手のコストアップになってしまう。

買い手にしてみれば、そうした免税事業者とわざわざ付き合うメリットは乏しい。となれば負担が増えた分の値下げを求めるか、さもなければ取引先の変更を考えたとしても仕方がない。

個人も企業も対応を決めかねている

こうした事態に、企業側も決断を迫られる。ある大手生命保険会社では、営業職員約3万人のうち半数以上が免税事業者。会社は負担増の十数億円を国に支払うことに。「一人ひとりと交渉する手間を考え、負担増の分を会社がかぶることにした」(担当者)という。

しかしこれは大企業だからできること。中小企業の場合は増えた負担が経営に大きな影響を与えかねず、免税事業者との付き合い方を見直すとの判断に傾いてもおかしくはない。

そうした事態はインボイス導入前からあちらこちらで起きているとみられ、冒頭で紹介したように免税事業者が「一揆」まで起こして導入に反対しているのだ。

現状では、インボイス制度への理解が進んでいるとはいえない。

下図は、オンラインの人材マッチングプラットフォームの開発・運営を手がけ、個人事業主が多く登録するクラウドワークスが取ったアンケートの結果だ。

これを見て明らかなとおり、ワーカー側も発注者側も、対応を決めているのはほんのわずかで、制度が始まってから判断するとの回答が大半だ。国税庁が広報活動をしているにもかかわらずだ。


国税庁の試算によれば、個人事業主の約75%を占め、法人を含めると約424万人に上る免税事業者のうち、370万人超が課税事業者となりインボイスが適用される。

ほとんどの企業は個人事業主と何らかの取引をしており対応を急ぐ必要がある。副業をしている会社員も、どうするか決めないといけない。

さらには電気料金が上がるとの観測まである。一般家庭から電気を買い取る電気の買い取り制度において、電力会社は消費税相当額込みで一般家庭から電気を買い取っている。だが、一般家庭は事業として発電(売電)をしているわけではなくインボイスは発行できないため、電力会社がその分を負担しなければならないからだ。

この消費税相当分を誰が負担するか決まっているわけではないが、経済産業省は電気料金の値上げで補填してもよいとの見解を示している。こうなると国民全体に影響が及ぶことになる。

インボイス制度のスタートまであと90日ほど。残された時間は少ない。しっかりと理論武装して賢く対応しよう。


(田島 靖久 : 東洋経済 記者)