悩みを手放す「禅」の心(写真:Fast&Slow/PIXTA)

6月に入り雨が多く気分がどんよりしたり、新生活に慣れてきたものの新たな壁に戸惑ったりイライラしたりの毎日という方が多いのではないでしょうか。

「そんな心を支えてくれるのが「禅」の考え方です」と言うのは、禅僧である枡野俊明さんです。禅というと、坐禅を組むことが思い浮かびますが、歩く、立ち止まる、座る、横になる。そんな日常の立ち居振る舞いすべてが修行になるそうです。同氏の新著『悩みを手放す21の方法』より一部抜粋し再構成のうえ、生活の中に禅的なものを取り入れる方法を2つご紹介します。

呼吸と姿勢を整える。それが「心を磨く」第一歩

1、息を吐く

感情に振り回されない人になりたい、どんなときにも落ち着いていたい、自分らしくありたい……そう思う人は多いことでしょう。でも現実には、誰かの言葉や行動にカッとしたり、緊張してうまく話せなくなって実力が出しきれなかったりするものです。

「落ち着け」「冷静に」と脳がどれだけ命令しても、バクバク動く心臓を、手のひらににじむ冷や汗を、私たちは止めることができないのです。

そんなとき、まず確認してほしいのが呼吸です。怒りや驚き、緊張などに心が支配されているとき、呼吸は必ず浅くなっているものです。胸だけでハッハッハと短い呼吸をしているはずです。呼吸はそのときの心の状態と結びついているものなのです。

心の状態で呼吸は変わり、呼吸の状態で心が変わります。心をコントロールできないときこそ、呼吸をコントロールしましょう。

禅には「調身、調息、調心」という言葉があります。姿勢を整え(調身)、呼吸を整え(調息)れば、心も整う(調心)という意味です。この3つは不可分のもので、どれかひとつ欠けてもうまくいかないという意味です。

後述しますが、正しい姿勢をとらなければ正しく呼吸することはできません。心が乱れているとき、たいてい肩や背中に力が入っているはずです。胸がギュッと縮こまっているから浅い呼吸しかできないのです。

まずは「ふぅ〜〜」と息を吐きましょう。呼吸という言葉は、呼(はく)吸(すう)の順番になっていますね。同じように、深呼吸するときも息を吐くことが先です。体の内側にある息を全部出しきるつもりでゆっくりとすべて吐きだしましょう。おなかの中にいた邪気を、すべて体の外に吐き出すイメージです。

全部出しきったら、今度は新鮮な霊気を取り込むような気持ちでゆっくりと息を吸い込みます。吸い込んだ息は胸のあたりでとどめず、おなかまで落としていきましょう。

体に力が入りすぎていると、呼吸はおなかまで落ちていきません。その場合はもう一度、ゆっくりと息を吐きます。そのうち、じょじょに体の力が抜けていくのがわかるのではないでしょうか。

行動の切り替えのたびに、いったん息を吐く習慣を

禅的生活をおこなううえで大切なことは日常の立ち居振る舞いです。それはマナーがよい、見た目がいいというだけのことではありません。所作は、その人のすべてを物語るといっても過言ではないのです。

その人が今どんな精神状態なのか、どんな生活を送っているのか、何に価値を置いているのか、どんな経験をして生きてきたのか、そのすべてが所作に表れているのです。

ドアをバタンと閉める、食器をガチャンと置く、脱いだ服をソファに放り投げる、人に声をかけられてもぞんざいな返事をする……。そのような行為は、あなたを「物も人も尊重できない人間だ」と証明することになりかねません。

心を整えるためには、まず立ち居振る舞いを整える必要があります。そのために大切なことも、呼吸なのです。

感情にまかせた雑な振る舞いをしているとき、呼吸は必ず浅くなっています。食器をテーブルに置くときにも、人に物を手渡すときにも、パッと衝動的に動きそうになったら一瞬立ち止まって、ゆっくり息を吐きましょう。呼吸が整うだけで、動作そのものがおのずから変わっていきます。

不愉快なメールに返事を書くときにも、家族の発言にムッとしたときにも、ゆっくりと息を吐きましょう。せわしない気持ちがすっと落ち着き、地に足がついたような心持ちになるはずです。

最近は科学的なデータでも、呼吸の重要性が証明されているようです。呼吸が整うと、全身の血流が25%アップするというデータがあります。逆に呼吸が乱れると、血流が悪くなることもわかっています。脳に酸素を運ぶのも血流ですから、冷静な思考力も呼吸と大きくかかわってくるはずです。もちろん健康のためにも、深い呼吸は重要な役割を果たすことは間違いありません。

私たちが生きる社会は、どうしてもストレスフルになりがちです。自分だけ巻き込まれないでいるのは難しいものです。

だからこそ、イラっとしたら息を吐く。そんな習慣をつけましょう。

2、姿勢を正す

同じ年齢にもかかわらず、見るからに若々しく感じられる人とそうでない人がいます。その違いはどこにあるのでしょう。

いちばんの違いは姿勢です。姿勢はその人の全体的な印象を形づくるのです。

年齢とともに筋力が衰えると、少しずつ背中が曲がり、骨盤が傾き、顔や首がうつむきがちになります。その姿が「老い」をイメージさせてしまうのかもしれません。

若さだけではありません。「美しさ」もまた、正しい姿勢の中に感じられます。立つとき、歩くとき、食事するとき、正しい姿勢を保っていると動きにムダがなく、見た目にも軽やかで美しい印象を与えます。

正しい姿勢は、健康を保つうえでも重要なことです。ねこ背の姿勢になると、首が前に出て頭が下がってしまいます。頭は重いので、本来は背骨全体で支えるものです。しかし首が前に倒れると頭の重さを支えるのが首や肩になるため、肩こりや頭痛を引き起こします。また、ねこ背になると胸や腹部が圧迫され、内臓の働きも悪くなります。

「正しい姿勢」とは?

なかでも大きな問題は、呼吸が通りにくくなることです。試しに背中を丸め、うつむいた状態で呼吸してみましょう。吸い込んだ息が胸のあたりでつかえてしまい、おなかまで吸い込むことができなくなるはずです。

呼吸と姿勢は、車の両輪のようなもの。姿勢が正しくなければ深い呼吸はできませんし、呼吸が浅い人は姿勢も悪いと思って間違いありません。

では、「正しい姿勢」とはどのようなものでしょうか。ひと言で言えば、頭のてっぺんと尾てい骨が一直線上にあるような立ち方です。

人間の背骨はS字形にゆるやかにカーブしていて、頭頂部と尾てい骨は、床から垂直に伸びる直線上に位置するのが本来の形です。その姿勢で立つと、体のどこにも無理な力が入りません。頭の重さは背骨で負担なく支えられますし、左右の足に均等に体重がのるはずです。肩に余計な力が入らないので、胸も開きます。

どうすればそのような姿勢を作れるのかというと、下腹に力を入れることです。へその二寸五分の場所を「丹田」といいますが、ここに力を入れることで自然に骨盤が立ち、背骨がまっすぐ伸びるのです。

いすに座るときの姿勢も同じです。背もたれの少し手前に腰を下ろし、骨盤を立てて頭が背骨の真上にくるように座ります。背もたれに寄りかかるのはラクな姿勢に思えますが、そうではありません。背骨が頭をしっかり支えることができなくなるため、その負担が首や肩、背中や腰にかかってきます。ねこ背の人と同じように、肩こりの原因になったり、胸やおなかが圧迫されて内臓の働きが悪くなったりするのです。

座るときにも丹田に力を入れて、背すじを伸ばすことが大切です。いすの座面はやわらかすぎない方が正しい姿勢を保ちやすく、体にはやさしいのです。

立っているときには六尺前、坐っているときには三尺先

自分の姿勢が正しいかどうかは、丹田呼吸をしてみるとよくわかります。まずは丹田から息を吐き、次に吸い込んだ息を丹田にまっすぐに落とすのです。胸のあたりで息が止まるような感覚があれば、姿勢は正しくありません。丹田まで自然にストンと息が落ちるまで、姿勢を整えながら何度でも繰り返してみましょう。


外を歩くときにも、この姿勢を維持しながら歩きたいものです。最初は姿勢を正していても、気がつけば背中が丸くなってトボトボ歩いている、ということがあるかもしれません。その場合、目線の位置を意識して変えてみましょう。

禅では、立っているときには六尺前(1.8m先)、坐っているときには三尺(91cm)先に視線を落とすよう教えられます。六尺とは、畳の縦一枚分。三尺とは半畳分です。歩いているときにも、そのくらい先に視線を置きながら歩くと自然に背すじが伸びていくはずです。

電車やバスに乗っているときにも、ドアに体を預けたりせず、背すじを伸ばしてつり革につかまりましょう。正しい姿勢を維持しながら、体幹も鍛えられます。

テレビに映る高齢の俳優さんたちは、いつも見事なほどに若々しく見えます。それはお顔のシワとは無関係。しゃんと伸びた背中が、オーラを放っているのです。

(枡野 俊明 : 「禅の庭」庭園デザイナー、僧侶)