私たちは無意識のうちに反射的に行動していることがよくあります(写真:GARAGE38/PIXTA)

かつて、感情は理性による論理的な思考を妨げるものであり、避けたり抑えたりすべきものとされていた。しかし、「感情神経科学」という注目を集める研究によって、感情や情動は人間の意思決定などに大きな役割を果たしていることが明らかになっている。感情や情動は直感的で正しい判断を下すために必要不可欠であり、それをコントロールすることは、社会的成功にとっても欠かせないものなのだ。今回、日本語版が6月に刊行されたレナード・ムロディナウ氏の著書『「感情」は最強の武器である』より、一部抜粋、編集の上、お届けする。

「ビールを急いで持ってきてほしい」

出張中のホテルでビールを1杯やりたくなったので、深夜のルームサービスを呼んだ。すると45分くらいかかるという。そんなに待てない。単純な注文なので、「急いでくれない?」と頼んだ。ところが「すみません、できません」という返事。


2日後の晩、また同じことになった。そこで今度は違う戦法を取ってみた。「急いでくれない? もっと早く飲みたいんだけど」。すると今度は、「かしこまりました。すぐに準備して持って上がります」という返事が返ってきた。

なんということのないこぼれ話だが、このような効果は実際に科学的に研究されている。決まりきった頼みごとをするときには、どんなに当たり前でささいなことであっても理由を付け加えれば、聞き入れてくれる可能性が高くなるのだ。

相手はたいてい理由なんてほとんど考えない。そのため、理由の中身でなく、理由を言われたという事実だけで、協力したいと思ってしまうのだ。

このように「何も考えずに」おこなう反応のことを、心理学では「反射的反応」という。これは、刺激から反射への結びつきが次の3つの条件を満たすものを指す。

(1)特定の出来事や状況によって引き起こされる
(2)特定の振る舞いが生じる
(3)刺激が与えられるとほぼ毎回起こる

反射的反応の中でももっとも有名なのが、弛緩状態の膝の腱をたたくことで起こる「膝蓋腱(しつがいけん)反射」である。反応するかどうかは、どのような刺激が与えられるかによる。ハンマーを振りかざす医者の動画を観ても反応しないし、ドアがバタンと閉まる音に驚いても脛は動かない。

一方、どのような反応が起こるかは一定である。膝をたたくと、頭を振ったり椅子から飛び上がったりすることはなく、脛が動くだけだ。

最後に、反応するかどうかは前もって予測できる。ほぼ毎回反応するし、反応しないようにするのはかなり難しい。このような反射がなぜ必要かというと、身体のあらゆる動きをいちいち考えていたら何もできないからだ。

歩くことを考えてみよう。思考せずにおこなわれるさまざまな種類の反射(膝蓋腱反射を含む)が歩行を司っており、脳が脊髄神経に漠然とした指令を伝えるだけで、いくつもの筋肉が協調して動いてくれるのだ。

脳の「オートパイロットモード」

膝蓋腱反射のような身体的反射が起こるうえで、心は必要ない。脳を完全に切除しても、脊髄が完全な形で残っていれば膝蓋腱反射は起こる。しかし反射的反応の中にはもっと高度なものもある。その1つのタイプが「定型的動作パターン」または「スクリプト(台本)」と呼ばれるものだ。

これは、よくある状況に置かれたときに脳が従う小さなプログラムのことである。車で通勤中に、あるいは、何か考え事をしたり会議に出席したりしながら無心でものを食べている最中に入ることのある「オートパイロットモード」が、このカテゴリーに入る。

動物の行動の大部分もそうで、あたかも愛情や思慮に満ちているように見えるものも含む。

たとえば、親鳥は雛が口を開けるとその中に餌を入れる。しかし相手が自分の子供でなくよその子供でも、さらには鳥の雛でなくても、同じくこの行動を取る。大きく開いた口のように見えるものがきっかけで演じられる台本なのだ。YouTubeには、口を開けた金魚に小鳥が近づいていって餌を与える動画まで上がっている。

心理的な「押しボタン」への無意識の反応

さらに複雑な精神的反射としては、特定の社会的状況に対してしばしば起こる強い反射、いわば心理的な「押しボタン」とも言えるものがある。

膝の腱をたたかれると脛が持ち上がるのと同じように、ある経験が引き金となって過去の癒やされていない問題が頭の中に甦ってくると、心理的な「押しボタン」が押されることがある。

よくある引き金としては、誰かに無視される、ルールを破られる、うそをつかれる、けなされる、あるいは、「お前は絶対に……」とか「お前はいつでも……」などといった言い方をされることなどが挙げられる。

引き金と反応のサイクルの形成に情動が関わっているかどうかにかかわらず、このような出来事によって即座に無意識の反応が起これば、それは膝蓋腱反射に相当する精神的反射であるといえる。

臨床心理士はこの問題をしょっちゅう相手にしている。同僚や友人、家族にこのような押しボタンを押されてしまうと、大変なことになりかねないのだ。それ以外の関係性が良好であっても、衝突の応酬に陥りかねない。友人や家族に押しボタンがあることが分かったら、それを押さないようにするのが肝心だ。

自分に押しボタンがあるのに気づいたら、それが利かないように努めるのがいい。

たとえば自宅で働く私の友人は、集中しているときに夫が仕事場に入ってくるとつい怒鳴ってしまうという。子供の頃にプライバシーがほとんどなく、個人空間も守られていなかった彼女は、それが押しボタンになっていることに気づいた。

するとそれ以降は、夫がたびたび邪魔をしてきても以前ほど気にならなくなったし、なるべく邪魔をしないでくれと落ち着いて頼めるようになった。

押しボタンが押されたことに気づけるようになって、意識的に反応を変えるだけで、問題が改善することも多い。

ちょうど、オートパイロットモードで運転中に意識的な制御に切り替えて、前方の渋滞箇所を回避するルートに切り替えるようなものだ。

反射的反応なんて原始的で取るに足らないものと無視したくなるかもしれないが、実は強力で、人間以外の動物にとっても我々人間にとっても重要な動作モードの1つである。そして単純な動物の場合には、もっとも重要な役割を担っている。

細菌も集団として協力し合い、戦い合う

反射的反応のパワーを物語る例として、もっとも単純な生物である細菌の繁栄が挙げられる。

我々人間が長時間働かずに生活費を稼ごうとするのと同じように、細菌という生物マシンは、同じ時間内にできるだけたくさんの食物エネルギーを摂取しようとする。そしてそのために、完全に台本どおりの「行動」を取る。

複雑だが自動的な化学的手段を使って、餌に近づいていってむさぼり食い、有害物質を避けるのだ。さらに細菌は、特定の分子を放出して信号を送り合うことで、集団として協力しあうことまでする。

「細菌の『行為』は目を見張るほど多様である」と神経科学者のアントニオ・ダマシオは記している。

細菌は互いに協力しあい、非協力的な個体を避ける(「鼻であしらう」と表現する研究者もいる)。ダマシオはその一例として、複数の細菌集団にフラスコの中の資源を巡って競い合うよう仕向けた実験について述べている。

一部の細菌集団は攻撃的に見える反応を示し、戦い合って大きな損失を出した。一方、ほかの細菌集団は仲良くしあって生き延びた。この状態が数千世代にわたって続いたのだ。我々人類におけるスパルタやナチスドイツ、そして平和主義国家と同じものが、大腸菌の世界にも存在するのだ。

我々人類は成長して、反射的反応に支配されるたぐいの生活からは卒業しているが、そのような反応はほとんどの人が気づいている以上に我々の行動を左右している。

たとえば、学生の実験協力者が通りすがりの人に小銭をせびるという設定の、互いによく似た2つの実験について考えてみよう。

一方の実験はサンフランシスコのショッピング街で、もう一方の実験はサンタクルーズの埠頭の屋外でおこなわれた。いずれの実験でも、物乞いに扮した学生はTシャツにジーンズといったいかにも学生らしい服装をして、相手から1メートル以上の距離を取りながら小銭をせびった。

通行人のうち半数(対照群)には、25セントまたは50セントをくれるよう頼んだ。どちらの額でも成功率はだいたい同じで、17%の場合にお金を恵んでもらえたが、「仕事しろ」とか「ここでは物乞いは禁止だ。牢屋はきっと楽しいぞ」などと侮辱されることもあった。しかし大多数の通行人は無視して歩き去った。

中途半端な数字が意識的思考を促す

これらの地区には物乞いが大勢いたため、研究者たちは、頭で考えてからお金を恵んでやる通行人なんてほとんどいないのではないかとにらんだ。おおかたの人は、「物乞いからお金をせびられたら無視せよ」といった頭の中のルールに基づいて、自動的に反応したというのだ。

そこで研究者たちは次のような仮説を立てた。この台本を混乱させて通行人がじっくり考えたくなるよう仕向ければ、物乞いの成功率が上がるかもしれない。そこで残り半数の通行人には、聞いたことのないような頼みごとをした。

「ねえねえ、37セントくれない?」。対照群における25セントと50セントのだいたい中間の額だ。

狙いは、通行人が半端な数を聞いて注意を向け、頭の中のルールを当てはめるのをやめて要求の内容を意識的に考えるよう促すことだった。

この策は功を奏し、サンフランシスコでの実験ではお金をもらえる確率が17%から73%に上昇した。

ふつうならほとんど注意を向けられない状況で、要求に応えさせる確率を高めるこの戦法は、ピークテクニックと呼ばれている。あなたもたびたびお目にかかっているかもしれない。

私も、制限時速33マイルとか店頭商品17.5%オフといった中途半端な表示を1度か2度見たことがある。

情動は柔軟な思考や行動を可能にする

反射的反応は人が進化を通じて受け継いできた基本的特徴の1つだが、どこかの時点でその方法が改良されて、周囲の困難に対応するためのさらなるシステムが備わった。より柔軟で、それゆえより強力なシステムである。それが情動である。

情動は、我々の心の中でおこなわれる情報処理において、反射的反応の1つ上のレベルに位置しており、ルールに基づいた厳格な反射的反応よりもはるかに優れている。

原始的な脳を持つ動物ですら、情動のおかげで、環境に合わせて精神状態を調節できる。それによって、刺激と反応の対応関係を周囲の特定の要素に合わせて変化させたり、さらには先延ばしにしたりできる。

人間の場合、情動のもたらすこの柔軟性のおかげで、理性的な心からの入力も受け入れて、より優れた決断やより高度な行動をおこなうことができる。

(翻訳:水谷淳)

(レナード・ムロディナウ : 作家、物理学者)