高槻城公園芸術文化劇場の入り口にはキーエンスの株主総会会場であることを示す看板。国内時価総額2位の座を争う企業の株主総会が開かれていると気づいた人はどのくらいいたのだろうか(編集部撮影)

6月14日、大阪府高槻市。JR高槻駅を出て商店街を通り抜けながら歩くこと10分強、高槻城公園芸術文化劇場がようやく姿を現した。ソニーグループと国内時価総額2位の座を争う企業、キーエンスが定時株主総会を開く会場はその会議室だった。

駅からの道中、他社の株主総会ではよくいる、道案内の立て看板を持つ社員は見当たらなかった。総会会場も大企業だと有名ホテルの宴会場を押さえることが珍しくないが、時価総額が約17兆円の企業としては質素に感じる。

FA(工場自動化)のために使われるセンサーなどの企画・開発・販売を行うキーエンスには、いくつかの特徴がある。まずは高収益性。自社で工場を持たないファブレスということもあり、売上高営業利益率は驚異の5割超え。従業員の収入も高い。直近2023年3月期で従業員の平均年齢は35.8歳、平均年収は2279万円だ。

そして「合理主義を徹底する会社」としても知られている。株主総会でも不要と考えるコストはかけない。そのような「キーエンスらしさ」は、随所に表れていた。

株式10分割でも「東証の目安」を超える

総会に出席した個人投資家によると、参加者は60人強程度。会場となった会議室では、株主が座る座席として4人掛けの長テーブルが横に3台、縦に8列並んでいるだけだったという。


高槻城公園芸術文化劇場は高槻市の公共施設。劇場用ホールだけでなく会議室も使用できる(編集部撮影)

選任対象の取締役や監査役のほか、壇上にいたのは質疑応答の際に回答を補助する社員の4人のみ。

事業報告の際も、招集通知の内容を読み上げるだけで、別途作成した資料が投影などされることはなかった。

キーエンスの株主総会が淡白なのは例年のこと。とはいえ、質疑応答では現在世間から注目を集めるテーマについても質問が投げかけられた。株式分割と女性起用についてだ。

「株式分割について1対10の比率でお願いしたい。株価は現状7万円くらいなので、10分割しても最低投資金額は50万円を超える」

キーエンス株主の一人はそのように述べ、株式分割の要望を伝えた。そのうえで、この1年間で社内で行われた株式分割に関する議論はどのようなものだったのか、また基本的な方向性についても尋ねた。

東京証券取引所は、個人投資家が投資しやすい環境を整備するために望ましい最低投資金額の目安を出している。最低売買単位となる100株の値段が「5万円以上50万円未満」であることだ。

2022年10月には、東証が最低投資金額100万円以上の会社を公表した。その時点で最低投資金額が高かった企業の上位10社にキーエンスは入っていた。「ユニクロ」を運営するファーストリテイリング、FA空圧制御機器大手のSMCに次ぐ3位だった。

この10社のうち4社が現在までに株式分割を発表または実行している。なかでもファーストリテイリングは、2002年以来21年ぶりに株式分割した。上位10社以外でもファナックやオリエンタルランド、信越化学工業などで株式分割が進んでいる。

キーエンスは直近でいうと、2017年と2019年にそれぞれ1株を2株に分割している。だが2023年6月現在の株価水準では、キーエンス株に投資するには最低でもおよそ700万円が必要だ。株式分割を要望する声が株主から上がるのは無理もない。


質問に答えたのは中田有社長だ。「投資単位の引き下げを求める声は認識している」とした一方で、「株価水準は高いほうがいいという意見を持つ株主がいることも同時に認識している」と発言。総合的に勘案して検討するとの回答にとどめた。

この回答に納得しなかった株主は、「現状の700万円という最低投資額の水準が適正と考えるのか」と、重ねて方向性についての質問をした。

それに対し中田社長は、「現時点では分割をしないという判断をしている」と回答。具体的な方向性については、インサイダー情報に触れるおそれがあるという理由で言及を控えた。

淡白な回答は女性の起用について問われた際も同様だった。

中田社長は、性別や国籍にかかわらず有能な人材を採用しているが、「製造業向けの電子応用機器を扱うという事業特性上、女性の応募者が少ないのが課題」と説明。「増加傾向にある女性社員が頑張ることで、女性取締役などが増えることを期待している」とだけ述べた。

かくしゃくとしていた滝崎名誉会長

今年の株主総会でのサプライズは、創業者である滝崎武光名誉会長(78)が発言したことだ。

キーエンスはめったにマスコミの取材を受けない会社だ。滝崎名誉会長に至っては、ここ20年間はまったくインタビュー取材を受けていないとみられる。取締役のため株主総会には参加するものの、一言も発しないのが通例だ。

質問に立った株主の一人が、キーエンスの課題について滝崎名誉会長に発言を求めた。いったんは中田社長が「代表取締役である自分が回答するのが適切だ」として、海外での事業拡大や顧客の変化に対応する動きを説明。ところが株主が「創業者としての思いを」と重ねて発言を求めた。

そうすると、「せっかくなのでお答えしますけれども」と滝崎名誉会長が口を開いた。「私のほうからも繰り返して話すようなことはございませんので」と肝心の中身はなかったが、年齢のわりには張りのある声を出し、関西弁のイントネーションでよどみなく簡潔に回答したという。

「滝崎名誉会長はずっと感情が読めない表情だったが、歩く際もかくしゃくとしていて元気そうな様子だった」。株主総会に参加した株主はそのように印象を語る。

経営陣は結果をきちんと出しているだけに、「キーエンス流」を貫く余裕がある。

3月末時点での自己資本比率は94%と盤石な財務基盤。業績面も文句ない。2023年3月期は売上高9224億円、営業利益4989億円と過去最高益を稼いだ。売り上げで大きく依存する顧客の業界はなく、海外での成長余地もまだ大きい。会社側は業績予想を発表しないが、2024年3月期も最高益を更新する可能性は十分にある。

ただ、「上場企業の中でも存在感の大きい会社になったにもかかわらず、投資家への対応は満足いくものではない」(個人株主)。株式分割の件もしかり。具体的な説明や対応を行わないことに対する視線は、今後も一層厳しくなるだろう。

(遠山 綾乃 : 東洋経済 記者)