神野大地「Ready for MGC〜パリへの挑戦〜」
第2回

プロマラソンランナー、神野大地。青山学院大時代、「3代目山の神」として名を馳せた神野も今年30歳を迎える。夢のひとつであるパリ五輪、またそのパリ五輪出場権を争うMGC(マラソングランドチャンピオンシップ・10月15日開催)が近づくなか、神野は何を思うのか。MGCまでの、神野の半年を追う。

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ここまで順調な仕上がりを見せている神野大地

 静岡県浜松市にある四ツ池公園陸上競技場。

 神野大地の自宅から25分ほどの距離にある競技場で、今日はポイント練習が行なわれる。午後3時過ぎに到着し、陸上競技場に入ると、授業が終わった浜松市内の高校生が自転車でやってくる。ここはこの近辺の高校生たちの練習場にもなっているのだが、そのなかでスズキの実業団の選手と一緒に神野が走っている光景は、かなり異様だ。

 圧倒的にスピードが違うのだ。

 この日のポイント練習は、2000m(5'40")+1000m (2'45")、リカバリーの400mは80秒で、これを2セット行なう。つまり、2000mをキロ2分50秒のペースで走って、400mを80秒でつないで、1000mを2分45秒で走るのを2セット行なうというなかなかハードなメニューだ。

 だが、当初はこの設定ではなかったという。

「2000m+1000mのセットなんですが、最初は2000mがキロ3分、1000mが2分50秒の設定で4セットの予定だったんです。ペース設定がもっとゆっくりだったんですが、今の僕は1000mの2分50秒は余裕をもって走れているんです。スピードの領域が高い状態にあるんで、今のうちにもう1回スピード(練習)をやって、仙台ハーフ(6月4日開催)に向けてボリュームに慣れていく。そういう流れで考えていたので、今日は早いタイムでの設定でやりたいと藤原(新・コーチ)さんに伝えました」

 1本目は、厳しい表情ながらも完璧にやり終えたが、2本目のラスト1000mは相当にきつい表情になり、スズキの若手に先を行かれた。それでもしっかりと終えて、トラックの外をゆっくりと数周ジョグして練習が終わった。

「今日は、ラストが少しキツかったですが、いい練習ができました。これで、スピード練習はひと段落ついたので、次は少し距離を踏んでいこうと思っています。ここまでは、まぁ順調だと思います」

 神野は、笑顔でそう言った。

 4月、5月はトラックレースで5000mと10000mを1本ずつ走り、スピード強化の期間と位置づけて練習を積んできた。6月からマラソン練習に入っていく前にスピードが高いレベルにあったほうがスムーズにマラソン練習に入れるからだ。

「僕はスピードを出すのが苦手なんです。スピード練習をやっていないなか、マラソンの練習でキロ3分ぐらいのクルーズインターバルの練習をすると、動きがぎこちなくなるというか、しっくりこないんです。でも、前もってスピード練習をしていると、キロ3分でも余裕をもって走れるので、今回のスピードを高める期間は僕にとってはすごく大事な時間でしたね」

 神野は、4月23日、日体大記録会の5000mに出場した。2021年11月の東海大記録会以来、1年半ぶりのトラックで、タイムは14分12秒と設定より5秒オーバーしたが、まずまずだった。2週間後の日体大記録会10000mは、暴風のなか、厳しいレースになったが29分37秒で、レースコンディションを考えると悪くない結果だった。

 しかし、トラックでのレースが1年半ぶりというのは、かなり空いた感がある。そこに何か理由があったのだろうか。

「自分はマラソン選手なのでトラックはもういい、そこまで熱量を注がなくてもいいんじゃないかって思っていたのと、トラックへの苦手意識があったので、もう出たくない気持ちもあったんです。それに変なプライドもあって、5000mで速い選手が集まる最終組よりも前の組で走るくらいなら、別に練習で5000mと同じような刺激を入れればいいじゃんって思っていたんです。でも、今は目標を達成するために自分と向き合って、自分の状態を上げていく必要があるので、つまらないプライドは捨てて、トラックで走ろうと思い、久しぶりに出場しました」

 神野が今、自分の弱さと向き合ってポジティブにトラックのレースや練習に臨めているのは、今年に入って自分の走りに手応えを感じているからでもある。2月の丸亀ハーフでは、62分57秒とほぼ設定どおりのタイムで走ることができた。同じ2月の福岡クロカンではスピードがある塩尻和也(富士通)や三浦龍司(順天堂大)らに続き4位入賞を果たした。そこでアジアクロカン(ネパール)の出場権を得て、3月に日本代表として出場したレースでは2位になり、表彰台に上がった。

「昨年まではレースで自分の走りができなかったり、プレッシャーに負けたりすることが多かったんですけど、今年は丸亀でしっかり走れたし、福岡クロカンでは10000mを27分台で走る塩尻選手らと15秒ぐらいしか変わらないタイムで走れたのは自信になりました。日体大の5000mも10000mも自分の目標タイムには届いていないですけど、走りについては悪くないので、MGCに向けて着実にいい準備ができている感じですね」

 この日、神野のポイント練習を見守っていた藤原新コーチは、「ここまで悪くない」と語る。

「丸亀はよかったですし、福岡もいい走りができていたと思います。海外では日の丸をつけて走ったので、トップ選手としてのアイデンティティを刺激されたっていうところがあると思いますね。そういうところでひとつ結果が出ると、調子が上がってくるんです。日体大は、風の影響もあって目標タイムをクリアするのは難しかったですが、走り自体は悪くない。70%、80%のなかで無理やり調子を上げようとするんじゃなくて、しばらくはそのレベルを維持するだけでいい。神野は、狙っているところのレベルまでは確実にきているので」

 神野は、5000mのレースが10000mのレースに活きたと考えている。

「いつもは地面に足が着地した時、あとから体がグっとついてくる感じで無駄な力を使っているなぁと思っていたんですけど、10000mの時は体全体がスムーズに動いていたんです。それは、やっぱり5000mに出たからだと思うんです」

 5000mは、当然だが10000mよりも早い動きになる。距離が短く、よりスピードを出せるからだ。5000mを走って早い動きに慣れていると10000mは余裕をもってラクに走れるようになる。

「10000mが最初にきたら、いい動きで走れたかどうか......。たぶん、後傾になって体が遅れてついてくる感じになっていたと思います」

 10000mをラクに走れたのは、5000mの刺激が効いたのもあるが、これまで継続してきたフィジカルの強化も大きいようだ。

「レースを走っている時、足が本当に疲れなくなったんです。前回のMGCの頃(2019年)は、ハーフで足がいっぱいいっぱいになっていたんですが、今年、丸亀で走っている時は、足自体は残り半分いけるという余力がありました。10000mは後半けっこう乳酸がたまってきたなと思うことが多かったんですけど、そういうこともなかった。うまく、速く走るためのフィジカルがトレーニングでかなり仕上がってきている感じはあります」

 神野のトレーナーである中野ジェームズ修一氏も、神野のレース後の筋肉の反応や疲労、練習中の筋肉の反応の出方を見て、「トレーニングが噛み合ってきている」と手応えを感じている。神野も厚底のレースシューズを活かすために、ウエイトトレーニングを行ない、大きい筋肉でインパクトを吸収し、その反発で進んでいくという走りを習得してきた。

 ここにきて、いろんなことがつながり始めているが、その確認の場として神野が重視しているのが、6月4日の仙台ハーフだ。そのレースには、MGC出場権を持つ川内優輝(あいおいニッセイ)、西山雄介(トヨタ自動車)、鎧坂哲哉(旭化成)、湯澤舜(SGH)、下田裕太(GMO)らが出場する。

「メンバー的にはけっこう揃っていますし、ハーフで牽制し合うということはないと思うので、けっこうハイペースで行くと思うんです。自分の現在地を推し量るにはいいレースになると思いますが、以前のように、うしろで無理せず、自分の状態さえ上がればいいというようなレースはしたくないですね。今回は、ヨロさん(鎧坂)の調子が抜けていると思いますし、西山選手とかトヨタ勢がどのくらいくるのかわからないですが、前でレースができる状態に仕上げていけそうです。MGCに向けて勝負をしたいので、タイムよりも順位にこだわっていきたいと思っています」

 春先から神野の表情は、明らかに変わってきた。

 練習したもの以上のものは出せないとよく言うが、その練習の質が高く、ハイペースでのマラソンで勝負できるところまできているのだろう。その力が本物なのかを確認し、ライバルたちの状態を見るうえでも、そして、この上半期の仕上げという意味でも、仙台ハーフは重要なレースになる。

(つづく)

PROFILE
神野大地(かみの・だいち)
プロマラソンランナー(所属契約セルソース)。1993年9月13日、愛知県津島市生まれ。中学入学と同時に本格的に陸上を始め、中京大中京高校から青山学院大学に進学。大学3年時に箱根駅伝5区で区間新記録を樹立し、「3代目山の神」と呼ばれる。大学卒業後はコニカミノルタに進んだのち、2018年5月にプロ転向。フルマラソンのベスト記録は2時間9分34秒(2021年防府読売マラソン)。身長165cm、体重46kg。