Jリーグ30年の歴史が生んだ「外国人の親子Jリーガー」はこの4組

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Jリーグも今年で30周年を迎え、Jリーガーの2世選手はそれほど珍しくなくなってきた。

その中には外国人Jリーガーの2世選手もいた。そこで、親子ともにJリーグでのプレー経験がある4組を紹介する。

ジーコ親子

父:ジーコ
息子:ジュニオール

Jリーグ開幕期のスターであり、“常勝”鹿島アントラーズを作り出したジーコ。

引退後も日本代表監督を務めるなど日本サッカーに多大な貢献してきたが、息子がJリーグでプレーしていたことはあまり知られていない。

1977年10月15日に生まれたジュニオールはブラジルでプロキャリアをスタートさせ、名門フルミネンセでもプレー。

2003年にJ2のサガン鳥栖へ期限付き移籍で加入したが、特にインパクト残せず、半年で契約を解除された。

ジュニオールは日本代表がワールドカップでドイツを破った昨年11月24日にこんな投稿をしている。いまだに日本との結びつきは強そうだ。

ハーフナー親子

父:ハーフナー・ディド
息子:ハーフナー・マイク、ハーフナー・ニッキ

Jリーグ初期に名古屋グランパスエイトで活躍したオランダ出身のGKハーフナー・ディド。

印象に残りやすい名前だったこともあり、息子のハーフナー・マイクが横浜F・マリノスでプロになった際には大きな注目を集めた。

「ハーフナー・ディドの息子」と呼ばれることに悩み、しかし「いつか絶対に逆(ハーフナー・マイクの父)にしてやる」と、モチベーションにすることで日本代表まで上り詰めたハーフナー・マイク。

父ディドがプロキャリアをスタートさせたADOデン・ハーグでも一時期プレーしていた。

ディドも187cmの長身だったが、マイクは194cm、現在スイス2部のヌーシャテル・ザマックスに所属するニッキに至っては200cmという長身一家。

アルシンド親子

父:アルシンド・サルトーリ
息子:イゴール・サルトーリ

天才ジーコを擁し、Jリーグ初年度の1stステージを制した鹿島アントラーズ。

そのチームでエースストライカーとして活躍し、CMでも大人気だったアルシンドはJリーグの歴史を語るうえで欠かせないスターだ。

フラメンゴやサンパウロ、グレミオといったブラジルのトップクラブでプレーした実力を日本でいかんなく発揮。鹿島での2年間では71試合に出場し50ゴールを記録している。

そんなアルシンドの息子イゴールは2011年に鹿島とプロ契約。18歳ながら2試合に出場したものの、1年で退団したためどうしても“色物”的な印象も強かった。

しかし29歳になった昨年8月、ヴァンフォーレ甲府と契約すると5試合の出場で1ゴールを記録。シーズン後に契約満了となるも、天皇杯優勝メンバーとしてクラブ史に名を刻んだ。

バブンスキー親子

父:ボバン・バブンスキー
息子:ダビド・バブンスキー、ドリアン・バブンスキー

90年代のガンバ大阪は旧ソ連や東欧から外国人選手を獲得することが多かった、ボバン・バブンスキーもその中の一人。

1996年、当時のヨジップ・クゼ監督の誘いでシーズン途中に加入し、ガンバのDFラインを支えた。

バブンスキーの息子たちは10代の頃から将来を嘱望された逸材で、兄ダビドはバルセロナ、弟ドリアンはレアル・マドリーのカンテラ出身。

プロとなった2人はいずれも父と同じJリーガーとなり、ダビドは横浜F・マリノスと大宮アルディージャ、ドリアンはFC町田ゼルビアと鹿児島ユナイテッドFCでそれぞれプレーしている。

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ちなみに他では、セルヒオ・エスクデロとエスクデロ競飛王の「エスクデロ親子」がともに浦和レッズに在籍。ただ、父セルヒオが浦和にいたのはJリーグ開幕前夜の1992年なので今回は対象外とした。