【さよならタモリ倶楽部!】「空耳アワー」の安齋 肇が語り尽くす「タモリさんの金言『私たちは真剣に遊んでいるんだ。遊びには遅れるな』を心に刻みました」
©テレビ朝日
「毎度おなじみ、流浪の番組、タモリ倶楽部でございます」。4月1日の放送をもって終了した『タモリ倶楽部』。1982年10月の初回から約41年の歴史を刻んだ深夜バラエティ番組の金字塔、その伝説を今こそ語ろう。
「誰が言ったか知らないが、言われてみれば確かに聞こえる。空耳アワーのお時間がやってまいりました」の口上で始まるミニコーナー「空耳アワー」でおなじみの安齋 肇(あんざい・はじめ)さん。彼が爛織皀蠅気鵑箸良垰弋弔粉愀賢瓩鯡世す!
現在、77歳のタモリさん。40年にわたる長寿番組、お疲れさまでした!
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■伝説の回「タモリの説教」
――ついに『タモリ倶楽部』が終了。「空耳アワー」も幕を閉じることになりました。
安齋 肇(以下、安齋) 楽しかったなぁ。タモリさんの横で、面白い映像を見てゲラゲラ笑って、普通こんな経験できませんよ。僕も出演してなければ、ただのイラストレーター、デザイナーだったし、表舞台に出ることもなかったでしょうね。
――安齋さんが番組に初登場したのが、1992年4月です。呼ばれたきっかけは?
安齋 最初は断ってたんですよ。それまでテレビに出てもいい思い出なんかありませんでしたし。でも、番組の放送作家・町山広美が「安齋しかいない」って言ってきて、挙句は「出ろ!」って。結局、断りきれずに出ることになっちゃいました。
僕とタモリさんは見た目が両極端じゃないですか。タモリさんは髪を後ろになでつけていて、服はいつもトラッド風できちんとしている。一方、僕は髪の毛伸ばし放題で、ロックなTシャツ着てるし、社会性もない。そういう対極のものを置こうっていうのが町山広美の狙いだったんでしょうね。
ちなみに今回の取材には15分遅刻した安齋さん。本人と事務所の方いわく「それでも以前よりかなり改善している」とのこと
――安齋さんといえば「空耳アワー」の収録に遅刻することで有名でした。タモリさんいわく、「9割遅刻」だったと。
安齋 ひゃひゃひゃ。確かに遅刻は僕の代名詞みたくなりましたね。一時期、ネットで「遅刻」で検索するとリリー・フランキーさんの次に僕の名前が関連候補で出てくるような状況でしたし。
――1時間遅刻した安齋さんに、タモリさんが説教をし続けて、そのまま空耳が放映されなかった回(02年)もありましたね。
安齋 いやあ、あのときは徹底的に怒られましたね。タモリさんから「番組はあなたの時間を買ってるんだから、時間どおりに現場にいなきゃいけない。風呂に入ってなかろうが臭かろうが構わない。遅れるなら先に言いなさい。そうすればみんな1時間、家を出る時間を遅らせることができるんだから」と、遅刻が周囲へ与える影響を教わりました。
別の遅刻のときにタモリさんに言われて印象に残っているのが「私たちは真剣に遊んでるんだから、遊びのときは遅れるな」です。『タモリ倶楽部』は大人が真剣に遊ぶ番組でした。それに遅れて来るとは何事かって話ですよ。
――それでよくクビにならなかったですね。
安齋 けっこうギリギリでしたよ。実際、空耳を投稿してくれた方々からクレームが入ってたんです。「自分が投稿した空耳が安齋の遅刻のせいで放映されないかもしれない」と。これは、ちょっと響きましたね。
その後も「タモリさんの横をマーティ・フリードマン(メガデスの元ギタリスト)に代えてくれ」なんてお便りも届くようになって。実際、どちらがいいか投票を呼びかけたら3対1でマーティでしたよ。プロデューサーからは「代えはいくらでもいるんで」っていつも言われてました。
でも、タモリさんは僕のいないところで、こうおっしゃったそうなんです。「安齋さんみたいなテレビに向いてない人が出てるから面白いんじゃないの?」と。それで僕の降板はなくなったらしい。
――いい話です。
安齋 それで後日、タモリさんにお礼を言ったんですよ。「フォローしていただきありがとうございます」って。ところがタモリさんは「俺、そんなこと言ってないよ?」。結局、真相はわからずじまいです。
――ええ......?
安齋 いずれにせよ、タモリさんのおかげで遅刻は少なくなったと思います。
■ふたりの爐いご峭腓き
安齋 それ以外にもタモリさんからはたくさん助言をもらいましたね。僕、「LASTORDERZ」っていうバンドを組んで、アルバムを出したことがあるんです。これもタモリさんに相談してるんですよ。
「実はパンクバンドやろうと思ってるんですよ。50歳を過ぎてパンクってどう思います?」と。そしたら「本物のパンクは50を過ぎてからだろうな。女子供にパンクの魂がわかるわけがない」って。これは勇気をもらいましたね。それがアルバムの『大人パンク!』というタイトルにつながりました。
ほかにもありますよ。僕、自叙伝を出そうとしてた時期があるんです。タイトルは『空耳人生』。で、8割ぐらいまで出来上がった段階でタモリさんに相談したんです。
「今度、本を出そうかと思ってるんですよ。どう思います?」。そしたらタモリさんは「本出すっていうのは思想のある人のやることだよ。あなた、思想ないでしょ?」と。
確かにそうなんですよ。僕は流されるまま、おぼろげな生き方をしてきた。けっこう人の意見に左右される。それをタモリさんに見抜かれていたんですね。危なかったです。結局、その本は出すのをやめました。
――安齋さん、めちゃくちゃタモリさんに影響を受けてるじゃないですか。それくらい関係が深かったんですね。
安齋 いや、僕はタモリさんのことを強くリスペクトしていましたけど、タモリさんは僕に興味がなかったんじゃないかな? タモリさんは気に入った人を自宅に招待して料理を振る舞うっていう伝説があるじゃないですか。
あるとき、友人が「タモリさんの料理に呼ばれたことないの?」って言ってきたんで、「ひょっとしたら俺も行けるんじゃないかな?」って思い始めて、わざと番組収録中に「今度、タモリさんのごはん食べてみたいんですけど」って言ったんです。そしたら、たったひと言。「男は呼ばないんだよね」って。
いやいや、僕が聞いてた情報だと男も行ってたみたいだし、なんならマツコ・デラックスさんも行ってたわけですし。
――飲みにも誘われなかった?
安齋 「空耳アワー」初期の頃、1回だけありましたね。「あなたのことよくわからないから、今度飲みに行かない?」って。でも僕が強烈に拒否したんです。だってタモリさんと飲むだなんて緊張するじゃないですか。対応に困りますよ。
その数年後、タモリさんに「覚えてます? 僕、タモリさんに1回誘われたことあるんですよ」って言ったら、「え? 俺、誘ったことないよ」って知らんぷりされましたけど。
――つまり、決して狠舂匹鍬瓩箸いΔ錣韻任呂覆った。
安齋 僕はとてもいい間合いだと思ってました。タモリさんとは音楽と空耳を通じた仲で、だからこそ長く横にいられたのでしょうね。
■人生、捨てたもんじゃない
「空耳アワー」の相棒の安齋 肇氏
――すっかり忘れていましたが、「空耳」の話をお伺いしたいです。安齋さんの空耳人生のベスト作は?
安齋 プリンス『バットダンス』の【農協牛乳】、マイケル・ジャクソン『スムーズ・クリミナル』の【パン 茶 宿直】、ジプシー・キングス『ベン、ベン、マリア』の【あんたがた ほれ見やぁ 車ないか...こりゃ まずいよ...】ですね。初期の作品ですが、この3本が空耳の礎をつくったと思ってます。
ほかにもビートルズ『アイ・ウォント・トゥ・ホールド・ユア・ハンド』の【アホな放尿犯】は空耳のスタンダードナンバーみたいなもんですね。「放尿犯」っていう存在しない単語がイメージを広げてくれます。
それとメタリカ『ブラッケンド』も名作。【バケツリレー 水 よこせ】って聞こえるヤツです。これが放映された直後にメタリカが来日してライブで『ブラッケンド』をやったとき、会場が爆笑に包まれていたそうです。メタリカのメンバーは「なぜ?」とキョトンとしていたとか。
ビートルズの超有名曲『アイ・ウォント・トゥ・ホールド・ユア・ハンド』。インパクト大の空耳ネタは、その曲がそうとしか聞こえなくなる
『ブラッケンド』はメタルバンドの大御所「メタリカ」の1988年の名曲。同バンドは空耳アワーの常連アーティストだった
――それは素晴らしい逸話ですね。
安齋 業界の空耳ファンも多かったですね。初期の頃、各レコード会社のディレクターが集まって、「空耳」のDVDを発売しようっていう計画があったんです。でも、よくよく考えてみてくださいよ。あのオモロ映像にアーティスト側がOKを出すわけないじゃないですか。
――確かに(笑)。
安齋 でもね、「空耳アワー」って4000本の作品が放送されたんですが、面白くなくてお蔵入りになった完パケが1500本もあったんです。スタッフは、それくらい本気であのドラマを作っていたんです。
――熱量がすごい。
安齋 今は、もうそういう時代じゃないんでしょうね。『タモリ倶楽部』はテレビの実験場みたいな場所だったと思うんです。
番組の企画をヒントに違う番組がたくさん作られたりもしたし、それがテレビという文化を豊かにしていった。テレビ業界が変わっていく中で、その役割を終えたというのはすごく象徴的です。
――今後、「空耳アワー」単独で番組を作るなどの予定はないんですか?
安齋 んん。ないと思いますよ。やっぱりタモリさんあっての『タモリ倶楽部』であり、「空耳アワー」ですから。僕はソラミミストを引退です。
――さみしいです。
安齋 本当にありがとうございます。人生捨てたもんじゃないです。あとは、30年も続けられた幸せを噛みしめます。
◆番組名物"鉄道企画"の常連ゲスト・南田裕介氏
●安齋 肇(あんざい・はじめ)
1953年生まれ、東京都出身。JAL「リゾッチャ」のキャラクターデザインや、NHK『しあわせニュース』のタイトル画、奥田民生ツアーパンフレットのアートディレクション、宮藤官九郎原作の絵本『WASIMO』(小学館)など数々の作品を生んだアーティスト。現在は神奈川県藤沢市のギャラリー「Fk235」のプロデュースなどに注力
取材・文/尾谷幸憲 撮影/関根弘康 写真/時事通信社 イラスト/服部元信