犯人に「近づくな」という警告では不十分…被害者を守り切れない「ストーカー規制法」の致命的欠陥
■福岡ストーカー殺人事件に見る現制度の限界
福岡市のJR博多駅前で、元交際相手の男に女性が殺害されたストーカー事件から約1カ月が過ぎた。福岡地検は、容疑者に対して精神鑑定を行うことも視野に入れていたようだが、明白な精神障害の証拠がないとして、鑑定留置を行うことなく、殺人と銃刀法違反の容疑で男を福岡地裁に起訴した。
この事件では、被害者が何度も警察に相談をし、警察は禁止命令を出すなど、現在の制度のなかではできる限りの対処がなされていた。しかし、それにもかかわらず、このような最悪の結末を迎えてしまったことを考えると、現行の対処には限界があり、さらなる対応策を検討する必要があると言えるだろう。
警察統計を見ると、ストーカー事案の発生件数は、ここ10年ばかり約2万件と横ばいの状況である。とはいえ、軽微な事案では警察にまで届けることはないであろうから、このデータには相当の暗数があると考えるべきである。
■暴力的なストーカーの割合は25〜35%
被害者統計を見ると、より実態に近い数が把握できる。内閣府の2021年「男女間における暴力に関する調査」では、「特定の相手からの執拗(しつよう)なつきまとい等の被害」に遭った人は、全体の7.5%、女性に限定すると10.7%にも及んだという。
このように、非常に多くの人が何らかのストーカー被害に遭っていることは、けっして看過できない事態であり、早急に効果的な対策が必要である。
その一方で、不幸にして殺害にまで至るケースは非常にまれで、年間1件程度である。また、傷害、暴行、強制性交などの重大な事態にまで発展するのは、およそ300件程度である。
海外の研究を見ると、大多数のストーカー行為は、2週間以内で収束することがわかっている。しかし、それを超えても収まらないときは、数カ月以上の長期間に及ぶことがある。そして、暴力的なストーカーは、全体の25〜35%で程度であることが示されている。
■暴力的なストーカーのリスクファクター
したがって、ここで問うべき重要な問いは、数多くのストーカー事案のうち、暴力を伴う深刻な事案に発展するのは、どのようなケースなのかということである。
こうした問いに答えるべく、これまで複数の疫学的研究が行われており、それによって危険な暴力的ストーカーのリスクファクター(危険因子)が明らかになっている。その結果、見出された重要なリスクファクターは以下の通りである。
博多の事件の容疑者については、冒頭で述べたとおり、精神鑑定もなされておらず、報道された範囲でしか本人のことはわからないが、これらのリスクファクターのほとんどすべてが当てはまることが推測できる(図表2の右欄)。
■加害者へのカウンセリングが必要だった
一方、容疑者に対して、警察は禁止命令を出したものの、加害者をカウンセリングなどにはつなげなかったことがわかっている。その理由として、加害者には明白な精神障害が認められなかったためとしている。ここに大きな誤解がある。
まず、上で紹介したリスクファクターを見ると、精神障害はそれに含まれていない。実際のところ、精神病患者がストーカー行為を含む犯罪行為に至ることはきわめてまれである。
なかには、恋愛妄想を抱いて、まったく関係のない他者に病的な恋愛感情を抱いたり、「人を殺せという声が聞こえた」「電波に操られた」という幻覚妄想状態で犯行に及ぶこともあるが、それは例外的であると言ってよい。しかし、一般の人々はそうした理解不能な精神病者の犯罪に恐怖心を抱きやすく、精神障害は重大な犯罪のリスクファクターだととらえがちであるが、それは間違いであると知っておく必要がある。
したがって、今回の警察の対応において、「精神病が認められなかったからカウンセリングにつなげなかった」のは間違いである。精神病ではなかったからこそ、そしてリスクファクターが多数認められる可能性があるからこそ、カウンセリングなど専門家にゆだねるべきであったのだと言える。
とはいえ、現在わが国では、ストーカーの専門家は極めて少なく、カウンセリングにつなげたところで、適切な対応や治療ができる専門家がほぼいないのが現状である。これこそが最大の課題であり、今後どのような対策を取ることが望ましいのか、以下に海外の事例や研究を見ながらその方向性を見ていきたい。
■まずは加害者のリスク評価を
これまで、ストーカー規制法は、事案や時代の要請に対応できるよう何度か改正されてきたが、それでもこのようにまだ多くの問題が残っていることがわかる。
オーストラリアの臨床心理学者マッケンジーらは、ストーカー行為は、「より深刻で広範な問題を背景にした行動である」とし、「ストーカー行為の背景にある精神・心理学的要因を無視して、法的規制をすべてストーカーに対処する万能薬とみなすのは明らかにナンセンス」であると断じている。そのうえで、「最適な介入を行うためには、最低限、精神医学的および心理学的要素を含む学際的なアプローチが必要」と主張している。
適切な介入のためには、まず「専門家が標準化されたリスク評価ツールを用いて加害者のリスクを評価することが重要である」という。
禁止命令のような法的措置が効果を発揮する例があることはたしかだろう。しかし、今回の事件のように、破れかぶれになった加害者が、そのような命令を無視して犯行に及ぶこともある。事実、これまでの研究を見ても、禁止命令が危険で暴力的なストーカー行為を防止できるという明白なエビデンスがないことがわかっている。
したがって、まずは誰が危険なストーカーになるのかを、先述のリスクファクターに基づいて科学的に構成されたリスク評価ツールを用いて専門家が評価することが重要である。何十万人もいるストーカー全員に治療を施すことは現実ではないし、実際大半のストーカーが暴力的ではないことを考えると、危険なストーカーを科学的にあぶり出して、リスクの小さいケースについては次に紹介する対処を取り、リスクの高い者に的を絞って、そのあとに紹介する協力な心理学的介入を行うべきである。
■軽微なストーカーには「連絡を絶つ」
リスクの小さいストーカーについてどのように対処すべきか。アメリカの心理学者ミラーによる提案を紹介しておく。
ただし、逆効果になる場合もあるので、単に無視しておく場合が良いケースもある
● 送られたメール、電話、郵便などは、証拠(スクリーンショット、録音、写真など)を取って保管しておく
● 電話番号、メールアドレスなどを変える
● 通勤や通学の経路、方法を変える
● セキュリティーシステム(防犯カメラなど)を導入する
● ためらわずに警察や専門機関に相談する
このような対処を取りながら、2週間以内でストーカー行為が収まるならば、よほどのことがない限り、それでひとまず安心して差し支えない。
■高リスクストーカーには「治療的に介入する」
リスク評価によって「高リスク」と判定された者には、訓練を受けた専門家による治療的介入が必要になる。この場合、明白な精神病ではないことが普通なので、薬物療法ではなく、心理療法が治療の中心となる。それは一般的なカウンセリングのような「相手の話や悩みを聞いて、それに対応する」といったスタイルのものではなく、より専門的な治療介入である。
アメリカの司法心理学者ローゼンフェルドらは、弁証法的行動療法と呼ばれる治療によってストーカーの治療を行い、その効果を発表している。それを見ると、治療を受けた29人の男性ストーカーのうち、6カ月間の治療を完了した15人にはその後1年間の再犯がなかった。一方、脱落した14人はその27%が再犯に及んだという。
弁証法的行動療法とは、著しいパーソナリティーの逸脱やそれに基づく不適応行為などの治療に有効であるとされるもので、自他の感情への気づきを高め、感情や行動の統制力を高める効果があることが実証されている。さらに、不適切な問題解決をしがちな人に対して、適切な対処スキルを学習させる要素も含んでいる。
■ストーカー対策に科学的知見を役立ててほしい
その後、ローゼンフェルドらは、対象を109人に拡大し、治療期間も12カ月としたうえで、ストーカー治療のために特化した認知行動療法を用いたランダム化比較試験を実施している。これはより厳密な効果の評価ができる研究手法であるが、それによっても一定の効果が見いだされている。
別の例として、イギリスでは医療、福祉、刑事司法機関、被害者支援サービスが共同して実施する他機関介入プログラム(Multi-Agency Stalking Intervention Programme:MASIP)が、複数の地域で試験的に導入されている。そこで用いられる心理療法としては、認知行動療法が柱となっている。効果に関しては、まだ初期的な質的研究しかないので、確かなことは言えないが、現時点では有望な効果が報告されている。
また、オーストラリアでは、ストーカーを含む問題行動を起こした人々に対して、アセスメントや治療を専門的に実施する専門機関の必要性が高まったことから、州立の法医学精神保健研究所が設立された。ここでも、警察、裁判所、矯正施設、民間の医療機関などが協力し、主に性犯罪、ストーカー、粗暴犯罪者などの治療に当たっている。
このような海外での先駆的取り組みを見て、現時点での私の提言は以下の4つである。
1.ストーカーを含む性犯罪や粗暴犯罪の専門家を早急に育成する
2.わが国で使用可能なリスクアセスメントのツールや治療プログラムを開発する
3.専門的な治療機関を設立し、関連機関との協働のうえで、リスクの高いストーカーの治療に当たる
4.ストーカーの予防や治療に関する研究を充実させる
3は何も新しい機関を設立する必要はなく、既存の公的医療機関などを活用することも可能である。しかしそのためには、何をおいても、研究と専門家の育成が急務である。
不幸な事件が起こった後、同じ悲劇を繰り返さないようにするには、そこから学ぶべきことをしっかりと学び、今後の対策を充実させることが何よりも大切であることは言うまでもない。
被害者のご冥福を心よりお祈り申し上げるとともに、残された遺族の方々への適切なケアと補償を切に望みたい。
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原田 隆之(はらだ・たかゆき)
筑波大学 人間系心理学域 教授
1964年生まれ。一橋大学社会学部卒業。同大学院社会学研究科博士前期課程、カリフォルニア州立大学心理学研究科修士課程修了。東京大学大学院医学系研究科で学位取得。博士(保健学)。法務省、国連薬物犯罪事務所(ウィーン本部)などを経て、現職。2020年東京大学大学院教育学研究科客員教授。専門は臨床心理学、犯罪心理学、精神保健学。著書に『入門 犯罪心理学』『サイコパスの真実』『痴漢外来』(いずれもちくま新書)、『認知行動療法・禁煙ワークブック』(金剛出版)、『あなたもきっと依存症「快と不安」の病』(文春新書)などがある。
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(筑波大学 人間系心理学域 教授 原田 隆之)