■バンクーバーもソルトレイクシティも招致を中止

冬季五輪の開催都市が決まらない――。こんな異常事態が発生している。

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国際オリンピック委員会(IOC)のトーマス・バッハ会長=2022年12月5日、スイス・ローザンヌ - 写真=EPA/時事通信フォト

2030年冬季大会をめぐっては、もともと世界でも3都市しか立候補がなかった。そのひとつである日本の札幌は、昨年秋から冬ごろにかけて続々と発覚した東京2020大会の汚職スキャンダルが引き金となり、招致活動は一時停止となった。

昨年10月には、候補地のひとつであったカナダのバンクーバーについて、地元州政府が招致活動の不支持を表明した。実質的な招致中止につながるとの見方も出ている。残る米ソルトレイクシティも2034年の開催希望に切り替えた。

有力な候補都市は現時点で存在しない。選定を急ぎたい国際オリンピック委員会(IOC)にとっては大きな痛手だ。

IOCは通例、大会開催の7年前にホスト都市を決定する。2030年の冬季五輪に関しては、昨年12月の時点で1都市に絞り込み、事実上の内定となるはずだった。

だが、候補都市ゼロという異例の事態を受け、IOCは開催地の絞り込みを先送りした。今年10月のIOC総会で正式決定に至る予定だったが、米ワシントン・ポスト紙は昨年12月、少なくとも13カ月はずれ込むおそれがあると指摘している。

■IOCにとって「理想的」だった札幌

もともと札幌は、2030年大会における優秀な候補都市のひとつだった。カナダ公共放送のCBCは「7年後に世界のトップアスリートを迎えるうえで、札幌は理想的な場所に思える」とし、1972年大会で建設されたオリンピックレガシーが残ること、世界有数のパウダースノーで知られていることなどを理由に挙げている。

世界的な温暖化が進行するなか、十分な降雪を見込める都市としても貴重な存在だ。2010年バンクーバー冬季五輪では、暖冬による雪不足でバンクーバー周辺の山の積雪量が不足。スキーやスノーボード、モーグルといった競技の開催が危ぶまれた。

大会側は雪山の斜面に干し草を敷き詰めて融解を防いだり、谷からヘリで雪を空輸したりといった対策を迫られた。4年後のロシア・ソチも同様に雪不足に苛(さいな)まれた。CBCによると、雪の90%を人工雪でまかなっている。

各都市が雪の確保に苦心するなか、札幌は候補都市として非常に貴重な存在だ。同局は、カナダ・ウォータールー大学のダニエル・スコット教授(地理・環境管理学)が率いる国際チームによる研究結果を報じている。

それによると世界の開催候補都市は、今世紀末までに2〜4.4℃の気温上昇にさらされる見込みとなっている。結果、「温暖化ガスの排出量を地球規模で劇的に削減しない限り、冬季五輪を安全かつ現実的に開催できるのは今世紀末までに、過去21回の開催地のうち日本の札幌だけとなる」ことが判明したという。

東京都にある日本オリンピックミュージアム前に設置されたオリンピックシンボル(写真=RuinDig/Yuki Uchida/CC-BY-4.0/Wikimedia Commons)

■東京五輪の汚職で招致活動は「一時停止」に

このように重要な候補都市である札幌だったが、昨年から噴出した東京五輪をめぐる汚職疑惑により、開催は急速に難しくなりつつある。ロイターは昨年12月、札幌市と日本オリンピック委員会が招致活動の「一時停止」を表明したと報じた。

汚職の渦中の人物は、大会組織委員会の高橋治之・元理事だ。元理事は、大会のスポンサー契約などをめぐり、紳士服大手AOKIホールディングスや出版大手KADOKAWAなど5つの企業から総額約2億円の賄賂を受け取ったとして受託収賄の罪で、東京地検特捜部にこれまで4回起訴されている。

スポンサー料の金額や交渉内容は機密性が高く、オリンピック組織委員会のなかでも取引の実態を把握していたのはごく一部に限られる。こうした密室での商談が贈収賄を行いやすい環境を形成したとの指摘がある。

東京五輪を取り巻く状況は、汚職発覚以前から非常に厳しかった。開催の6年前の2015年にはすでに、大会公式エンブレムがベルギーの劇場のロゴに酷似しているとの指摘を受け変更を迫られている。

その後も、パンデミック下で示された開催強行の方針、土壇場での1年延期、新国立競技場のデザインをめぐる混乱、組織委員会の森喜朗会長による女性蔑視発言と辞任劇、閉会式の演出チーム内での不和疑惑など、スキャンダルは枚挙にいとまがない。

それでもひとたび開催にこぎ着けると、選手の奮闘が国民の関心を呼び、大会に関して建設的なムードが醸成された。だが、回復の兆しがあった組織委員会の名誉に、一連の汚職疑惑が致命的な泥を塗った形だ。

■海外メディアは日本人の「オリンピック離れ」に注目

このスキャンダルを契機として、2030年冬季大会の招致に関しても否定的なムードが一気に拡散した。それまで半数以上の市民が支持していた札幌の招致活動にも、逆風が吹くようになった。

北海道新聞が12月中旬に実施した世論調査では、札幌市民の3人に2人が招致に「反対」または「どちらかといえば反対」と回答している。CBCは支持の低下を受け、「事件は大規模な汚職・談合の捜査へと発展し、札幌のオリンピック誘致は失敗に終わると考える識者もいる」と述べている。

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ワシントン・ポスト紙も同様に「東京2020大会に関連した汚職事件が、もう一度日本で大会を開催しようという熱意を希薄にした」と報じるなど、五輪招致への関心が低下している現状は海外でも取り上げられている。

元東京オリンピック担当大臣の橋本聖子氏は昨年12月、汚職疑惑への捜査に積極的に協力する意向を示す一方、札幌の招致活動は「非常に厳しいと思う」と述べている。現状では地元・札幌や北海道の住民の理解を得られないとする認識を示した。

これに慌てたのがIOCだ。通例冬季五輪の開催都市が正式決定する7年前を控え、昨年12月には1都市に絞り込む目算だった。ところが札幌のみならず、ほかの候補都市が次々と脱落し、有力なホスト候補がない異例の事態となったのだ。スポーツ関連のニュースサイトを主催し、オリンピック招致プロセスにも詳しいカナダのロバート・リビングストン氏は、CBCに対し、開催地選定の延期は「率直に言って前例がない」と指摘する。

ワシントン・ポスト紙によるとバンクーバーの辞退を受け、札幌と並んでソルトレイクシティが有力候補とされてきた。しかし、同じアメリカのロサンゼルスにおいて、2028年夏季大会の開催が決定している。2年と経たぬうちにソルトレイクシティで別の大会を開催することについては、アメリカ国内でも消極的な意見が相次いでいた。

■IOCは日本人が汚職事件を忘れるのを待っている

IOCは開催都市決定の延期理由を、気候変動による影響などによるものだと説明している。だが、札幌の世論が沈静化するまでの単なる時間稼ぎではないかとの指摘がある。

カナダ・パシフィック大学のジュールズ・ボイコフ教授(政治学)はCBCに対し、気候変動はIOCにとって「二の次、三の次」であり、贈収賄スキャンダルを受けた「時間稼ぎの類い」だと述べている。ボイコフ教授は、(東京大会の汚職をめぐる)刑事裁判の進行とともに有罪が確定してゆく可能性があり、こうなればIOCはオリンピックの組織的な問題ではなく、個人的な問題にすり替えやすくなると指摘する。

ところが、まるでIOCの目算に反するかのように、時間が経つにつれ新たな不都合な事実が浮かび上がってきた。開催費用の問題である。

AP通信は昨年12月、冬季大会の開催費用が1年前の見積もりよりも20%ほど増加し、1兆7000億円にまで膨れ上がる見通しであると報道。汚職が招いた不信感に加え、コスト面での課題が明らかとなった。

ワシントン・ポスト紙によると、夏季大会の平均超過コストは当初予算の213%にのぼるという。IOCが収益確保のために精巧な施設やイベントを義務付け、開催都市に費用を押し付けているためだと指摘。こうした事情を踏まえ、「IOCとの取引を希望する国がますます少なくなっている」と報じている。

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■プーチンや習近平のような権威主義者に限られる

贈収賄はあくまで一部企業と個人が行った行為であり、大会側に直接的な非はないとする見方もある。だが、今回の贈収賄スキャンダルに世論が大きく反応した一因として、そもそも五輪を統括するIOCが日本国民から信頼を得ていない現状は無視できない。

東京2020大会を巡っては、IOCがむさぼる圧倒的な利権や、開催都市に過大な負担を強いる不平等な開催契約が取り沙汰され、批判の的となった。

米ワシントン・ポスト紙は2021年5月、IOCのトーマス・バッハ会長を「ぼったくり男爵(Baron Von Ripper-off)」と呼び、氏とその取り巻きが「ホスト国をひどく傷つける悪癖がある」と指摘。日本国民の72%がコロナ禍での開催に抵抗を覚えるなか、開催契約を根拠に強行する姿勢を痛烈に批判した。

同紙によると、実際に東京大会では、開催契約には、日本側がオリンピック関係者に無料で提供するべき医療サービスが7ページにわたって記載されていた。コロナ禍で医療が逼迫(ひっぱく)するなか、約1万人の医療従事者を転用させる必要があるという内容だった。

当時、世界的なパンデミックの真っただ中だった。五輪開催を最優先として開催都市や人々を軽視するIOCの姿勢に支持が集まるだろうか。日本をはじめ各地で広がりつつある五輪忌避はIOC自らが招いた失策に他ならない。

さらに同紙は、もはやIOCと何らかの関係を持つであろう政府指導者は、ウラジーミル・プーチンや習近平のような権威主義者に限られると指摘する。名声のために人々に労働を強要し、無制限に支出できるからだ。これ以外の国については、過去20年間でホスト都市の候補は枯渇したとの指摘だ。

■「ぼったくり男爵」の利権を改める好機が来ている

閉鎖的に選出されるIOC委員らも「五輪貴族」とも揶揄(やゆ)され、特権的な地位を盾に過剰な接待を受ける悪習が問題化している。

多数の開催候補都市がわれ先にと接待合戦を繰り広げることで生じていたが、少なくとも冬季大会に関しては開催地の選択肢が限定的であり、構図が変化するのも時間の問題だ。五輪貴族への歓声はいつしか波が引くように静まりかえることだろう。

開催都市が現在よりも強い立場を示すことが可能になれば、不平等な開催契約の見直しも夢ではない。パンデミックでも開催を取りやめることができないという、公衆衛生を犠牲にして五輪貴族に与(くみ)する異常な契約は、改められるべき時が来ている。

CBCは昨年12月、温暖化で候補地の調整が難しくなっている冬季五輪について、IOCが従来よりも柔軟な運営を検討していると報じている。少数の都市での輪番開催などの可能性が議論された模様だ。IOCとしても、候補地が貴重になりつつあることを認識しているとみえる。

少なくとも2030年大会については五輪に対する国内の不信が災いし、IOCは開催都市未定の窮地に立たされた。世界を熱狂させる一大イベントが、これを機に少しでも健全化へ動くことを願うばかりだ。

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青葉 やまと(あおば・やまと)
フリーライター・翻訳者
1982年生まれ。関西学院大学を卒業後、都内IT企業でエンジニアとして活動。6年間の業界経験ののち、2010年から文筆業に転身。技術知識を生かした技術翻訳ほか、IT・国際情勢などニュース記事の執筆を手がける。ウェブサイト『ニューズウィーク日本版』などで執筆中。
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(フリーライター・翻訳者 青葉 やまと)