Q.公道レースだった世界GPは怖くなかったですか?【教えてネモケン120】(教えてネモケン)
一般公道を閉鎖するのはいわばロードレースの原点。
でも一瞬のミスやアクシデントで命を危険に晒すのは……
A.最初は憧れましたが、あまりの死亡事故に世界GPからは消滅しました
公道レースには相応のペースで走る騎士道?があった1960年ホンダが世界GPへ参戦した当時はほぼ一般公道レース
ボクが初めて世界GPを走ったのは1975年。当時はマン島T.T.をはじめ、ベルギーGP、フィンランドGP、ユーゴスラビアGP、チェコスロバキアGP、と年間12戦中5開催が一般公道を閉鎖するレースでした。
元々ロードレースは、腕自慢が一般公道で競ったのが原点。それがレースを開催する週末3日間だけ、レーサーが周回するコースに一般公道をアレンジするようになったのがルーツ。
世界GPデビューレースとなってベルギーGPは、ボクにとって公道レースというのも初体験で、予選がはじまる4日前に現地入り、トランポで何周も走り、それから1周14キロのコースを覚えようと毎日歩きました。
でも平均時速が200km/hを越える超々高速コース、いざ走り出したらどのカーブも速度が高すぎて事前の仕込みはまったく役立たず。
しかも道路が片側1車線の狭さで、当然のように雨対策で両端が低くセンターが持ち上がってなったカマボコ型。右カーブだと入り口が逆バンク、クリッピングポイント付近のいちばんイン側はカントがついた走りやすさですが、立ち上がりでアウトへ膨らむと再び逆バンクでマシンのバンク角が勝手に増え、滑ったら石壁に激突するしかない状況に、ちょっとでもグリップ感が薄くなると反射的にスロットルを戻してました。
ただそうしたリスクを、たとえばバンク角を抑え転ばないようマージンをとって走るのがプロ……百戦錬磨のベテランたちの振る舞いに尊敬の念を抱いていたのですが、実際に公道をレーシングマシンで走るとあまりの危険度に戸惑うというか、唯々怯むしかないほどショックをうけました。
死亡事故の多さにサーキット開催に置き換わっていきました1周60kmの途方もないスケールのマン島T.T.レースは、’60年代に世界GP制覇を夢見たライダーにはいわば聖地。ラムゼイのヘアピンやバラフブリッジのジャンプなど、コースの地名を覚えてしまうほどバイク雑誌の写真を眺めては溜め息をついてました。
しかし必ず毎年死亡事故が起きる現実のリスクと、タイヤとマシンの性能が高まりアクシデント発生速度の上昇に、エスケープゾーンのあるクローズドサーキットへ置き換える主催者が増えつつありました。
そんな中、ボクもフル参戦していた1977年に、ユーゴスラビアGPは125cc、250cc、 350cc、500ccに何と50ccクラスまで全レースもしくは予選で死亡事故が発生する異常事態となったのです。
パドックにパークしたキャンピングカーの列から、決勝前に次々姿を消し悲しみに包まれる……そんな状況に、マン島T.T.レースは世界GPから除外されサーキットでのレース開催が主体となる時代へと変わっていきました。
ご存じのようにいまでもマン島T.T.レースは開催されています。相変わらず死亡事故も発生していますが、主催者はやめようとしませんし、集まる多くのファンも否定的ではありません。
レースとはそうした危険と背中合わせが当然で、だから闘い抜いた勝者は称賛と尊敬に包まれる……
人々にはそれぞれの価値観があるとはいえ、そこで一緒になって称える気持ちにはなれません。
ベルギーGPだけでなく、フィンランドGP、ユーゴスラビアGP、チェコスロバキアGPの公道レースを実際に経験した身から言わせると、肯定的な思いはまったく無いのが正直なトコロです。