声優 日郄のり子 インタビュー 人生における3つの分岐点

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 「声優に向いてるんじゃないんですか?」

 誰かのふとした一言が、その後の人生を決定づけることがある。
 この言葉がなければ、「南を甲子園に連れてって」は、彼女の声で演じられることはなかった。

 ニコニコニュースオリジナルで連載中の、人気声優たちが辿ってきたターニング・ポイントを掘り下げる連載企画、人生における「3つの分岐点」
 大塚明夫さん、三森すずこさん、中田譲治さん、小倉唯さん、堀江由衣さん、ファイルーズあいさん、石原夏織さん、三石琴乃さん、平野綾さんに続き、今回は日郄のり子さんにインタビューを実施した。

 日郄さんが演じるヒロイン達と共に、青春時代を過ごしたというファンはきっと多いことだろう。
 冒頭で紹介した『タッチ』のヒロイン・浅倉南のセリフは、そのフレーズを聞いたことがない人を探すほうが難しいのではないだろうか。

日郄のり子さん。

 今日では、人気声優として知られる日郄さんだが、意外にもメジャーデビューは声優としてではない。
 松田聖子さんといった存在と同時代のアイドル歌手としてデビューし、まさにアイドルとしての活動に邁進していたのだ。
 しかし、そうした日々で試行錯誤を重ねる日郄さんの胸にあったのは、子供の頃から抱いていた「いつかお芝居の道で生きていきたい」という願いだった。

 本記事では、お化粧の仕方も知らなかったという彼女のアイドル歌手時代の葛藤や、声優という職業との出会い、そしてこれまで培ったすべてを注ぎ込んだという『サクラ大戦3』ヒロイン・エリカ役をオファーされたときの今だからこそ語ることができる当時の心境まで話していただいた。

 日郄のり子さんの半生に迫るインタビュー、ぜひ最後まで楽しんでいただければ幸いだ。

文/前田久(前Q)
編集/田畑光一(トロピカル田畑)
撮影/かちゃ

――『天職は、声優。』拝読しました。濃密な内容で、ゲストとして寄稿されているみなさんも豪華ですし、それぞれの方ならではの日郄さんへの感謝の気持ちや愛情がうかがえて、とてもおもしろかったです。

デビュー40周年を迎えた日郄のり子さんが執筆した『天職は、声優。』
(画像クリックでAmazonへ)

日郄:
 ありがとうございます。すごく一生懸命書いた本なんですけど、ページが限られていると、書けなかった作品があって、読んでくださった方から「あの作品の話も読みたかったです」なんて感想も結構いただいたりして(笑)。「本を書くのって、やっぱり難しい!」という気持ちになりました。

――ファンであればあるほど、どうしても欲張りになってしまうものですから。印象に残る役を数え切れないほど演じておられますしね。そんな選ぶ苦労のお話をうかがったあとに恐縮ですが、今日も「人生の3つの分岐点」というテーマで、3つの出来事を選んでお話しいただければと思います。よろしくお願いします。

日郄:
 いえいえ。よろしくお願いします!

■分岐点1:『ふたごのモンチッチ』で歌手デビュー

――では、さっそくですが、日郄さんにとっての、人生の最初の分岐点はどこになるのでしょうか?

日郄:
 「歌手としてデビューしたこと」だと思うんですね。私はそもそも俳優になりたかったんです。それで小学生の頃に劇団に入って、少年ドラマや特撮ものに出たり、舞台に出演していたんですけど、そこに『ふたごのモンチッチ』というアニメーションの主題歌を歌う仕事が入ったんです。
 その後もモンチッチと一緒に各地でのイベント出演を重ねていたら、レコード会社の方が、「アイドルでデビューしない?」と話をしてくださったんですよね。

――いきなり大きなチャンスが。

日郄:
 でもその頃の私は、ドラマや舞台の仕事と同じで、劇団の仕事のひとつとして『モンチッチ』の主題歌をうたっただけで、お芝居の道で生きていく思いが強く「私は女優になりたいので、そのつもりはありません」って、一度お断りしました。
 そうしたら、レコード会社の方に「じゃあ、何をやりたいの?」って聞かれたんですよ。

――なんとお答えになったんですか?

日郄:
 「舞台をやりたい」とお話しました。すると、その方が西友ファミリー劇場という、夏休みのミュージカルの仕事をくださったんです。『ぼくのピエロ』という、草鹿弘先生の『翔べ イカロスの翼』が原作のミュージカルでした。サーカス団で育った娘役で入れていただいて、ソロの曲も一曲貰って、「舞台をやりたい」という願いが叶ったんです。

――あっという間の展開ですね。

日郄:
 その方が、「君みたいな新人の子がいきなりドラマでいい役を貰ったりするのは難しいんじゃないかな。それよりはまずアイドルでデビューして、歌で全国の人に名前を覚えてもらったほうがいいんじゃないだろうか?」とお話をしてくださって。ミュージカルの仕事を通じてかなりの信頼関係が築けていたこともあって、その方がおっしゃるならそうかもしれない、と素直に思えたんですね。
 ならば、チャレンジしてみようかな、と。そんな気持ちで、遠くの目標に女優を置きながら、まずは歌手としてデビューすることにしたんです。
 両親が反対してましたし、自分としては大きな決断でしたね。

――児童劇団に入れてくださるようなご両親だと、ご理解がありそうなものですが。

日郄:
 児童劇団に入ってちょこちょこお仕事をするのは、うちの両親からするとクラブ活動みたいな感じだったみたいです。でもレコード会社からのデビューとなると、まさに運命が変わる感じがあるので、両親からすると引いてしまう感じだったんですよね。
 でも、小学校4年生……10歳くらいからずっと児童劇団にいて、その頃にはもう高校3年生、17歳くらいになっていたんです。同じ舞台に出ていた仲間たちは劇団から巣立って、どんどん世の中に出て行っていました。
 大場久美子ちゃん、三原順子(現:じゅん子)ちゃん、あと浜田朱里ちゃん。そうした子たちの活躍を、ひとり見守っているような状況で、私が彼女たちをうらやましいと思っていることも母はわかっていたので、レコード会社の方がいい人だとわかると、「お任せします」となったんです。でも最初のうちはとにかく、家族全員、ただただびっくりでした。

――でも無事説得に成功されて。

日郄:
 そうなんです。でも、デビューが決まって劇団を辞める形になったら、今度は劇団の先生がうちに訪ねてきて、「本当に辞めちゃうの?」と私の母に言ったみたいで。

――なんと。それは後ろ髪を引かれますね……。多感な10代の7年間を一緒に過ごされたとなると、劇団のみなさんはもう、第2の家族くらいなお気持ちだったのでは。

日郄:
 そうなんです。私の性格もよくわかってくれていて、だからこそ訪ねてきてくださったんだと思います。でもそのときは母も、もう気持ちが固まっていたので、「のり子のチャレンジしたいという思いを先生も汲み取ってあげてください」みたいな話をしてくれたそうです。
 そうした引き留めてくれる人がいたことも含めて、すっごく大きな決断のタイミングだったと思います。

■見かねた他事務所のマネージャーがアドバイスを「顔の産毛は剃りなさい」

――アイドル歌手として一歩を踏み出されてからの日々は、いかがだったのでしょう?

日郄:
 ソニーからデビューしたんですけど、同期の仲間たちがそれこそ渡辺プロだとかジャニーズ事務所とかそういうプロダクションに所属している中で、私だけレコード会社の宣伝部の預かりという形でデビューしたんですよね。

――当時の芸能界では例外的な立ち位置だった?

日郄:
 そうです。でも、だからこそ逆にすごく伸び伸びとやらせていただいて。『レッツゴーヤング』【※1】と『たのきん全力投球』【※2】と『オールナイトニッポン』【※3】、この3つの素晴らしいレギュラーの仕事をやらせていただく以外は、わりとのんびりと過ごしていました。他の同年代のアイドルのみんなは、忙しそうにしてたのに(笑)。

※1 『レッツゴーヤング』
NHKの日曜午後6時台に1974年から12年に渡って放送された、ティーンエイジャー向け公開音楽バラエティー。キャンディーズをはじめ、ピンク・レディー、狩人、榊原郁恵、石野真子など、その時々のトップアイドルが司会を務め、ゲストにも人気アイドルや来日した外国人アーティストが数多く出演。番組は爆発的な人気を誇った。日郄は番組内で結成されたグループ「サンデーズ」の一員として、1981年から1982年前半期にかけて出演。サンデーズのオーディションはアイドルの登竜門と呼ばれた。

※2 『たのきん全力投球』
たのきんトリオ(田原俊彦、野村義男、近藤真彦によるグループ)を企画のメインに据え、共演者やゲストを交えてコント、歌、クイズなど披露するバラエティー番組。1980年から1983年にかけてTBS系列で放送された。

※3 『オールナイトニッポン』
『笑福亭鶴光のオールナイトニッポン』。現在も続くニッポン放送の深夜の人気ラジオ番組「オールナイトニッポン」の歴史を代表する人気番組のひとつ。11年9ヶ月の放送期間は、「ナインティナインのオールナイトニッポン」に記録を抜かれるまで、「オールナイトニッポン」枠の最長連続記録だった。

――自分だけが置いていかれたようで、焦りはありました?

日郄:
 同じ番組で仕事をしていた人たちが、一人ずつ先にデビューしていく。そのとき、「こんなに私はゆとりがあっていいのかな?」とは感じていました。でも、きっと違う目線でのタレントとしての育て方をしていただいていたんでしょうね。
 「もう一度・ブラックコーヒー」という曲でデビューしたんですけど、そんなにヒットしなくて(苦笑)。
 そこでアイドルとしてやっていける自信がなくなっていたし、続けることに迷いも出てきたんです。
 私は「演技をやりたい」と話していたので、それをきっかけに、「うちはレコード会社だからそういうフォローはできないんだけど、事務所を紹介してあげる」といわれて、事務所に初めて所属することになったんです。

――そこでようやく、一般的な芸能活動の形に。

日郄:
 ただ、その前からいろいろな事務所の方が気にかけて、あれこれと教えてくださってはいたんですよ。

――えっ。どういうことですか?

日郄:
 ソロで歌うときは、アップを抜かれることが多いので、振り付けが大きいとカメラに入らないんです。
 それを教えてくれたのは、サンデーズの同期だった堤大二郎さんのマネージャーさんだったんです。面白いですよね、そういうことを他の事務所の方が教えてくれるなんて。

――厳しい昭和の芸能界で、同業のライバルなわけですものね。

日郄:
 でもほかにも、私、ほんっとに自然なままデビューしちゃったので、お化粧の仕方どころか、顔の産毛をちゃんと剃ることすら知らなかったんですよ(笑)。そうしたら『たのきん全力投球』で、共演者の松本伊代ちゃんのマネージャーさんが、「顔を剃った方がいい」と教えてくださって。あまりのことに、見るに見かねてかもしれないですけど(笑)。

――素敵な話です。

日郄:
 当時の芸能界ってすごく厳しそうなイメージがあるかもしれないですけど、私としてはそんなふうに、暖かい感じでした。
 私のデビューが遅くて、年齢がまわりのアイドルのみんなよりも少し上だったので、グループの中で女子のリーダーみたいな感じだったんです。それで面倒を見たり、相談に乗ったりしているのを見ていた、まわりのマネージャーさんたちが支えてくれた面もあったのかもしれません。
 理由はどうあれ、私はそんなことが、強く印象に残ってるんですよね。

――日郄さんに新人のころに優しくしていただいて、恩を感じておられる方は声優業界にとても多い印象があります。それはもしかして、ご自身がそのころ、他の事務所の方に優しくしてもらったことが影響していますか?

日郄:
 あるかもしれません。松田聖子ちゃんも、私がサンデーズに入った頃、『レッツゴーヤング』の司会で「何か困ったことがあったら……」って、電話番号を渡してくれたんです。

――もう髪型が「聖子ちゃんカット」として大ブームになっているようなころですよね。すごい。

日郄:
 アイドル歌手同士って、楽しかったんです。もちろん、普通の学校と同じように気が合う人、合わない人はあったような気がしますが……それでも楽屋では、みんなでおしゃべりしたり、ずっと明るい雰囲気が続いていたので。

■第2の分岐点:古本屋で見つけた本がきっかけで声優デビュー

――話を本筋に戻させていただくと、歌手としてデビューされたものの、その道で壁を感じられて、原点に立ち返ってお芝居をやるためにあらためて事務所に所属された。

日郄:
 そうです。ただ、そういう目標があったものの、すぐには上手くは行かなかったんです。
 レコードデビューするとき、「芸能界で本気でやる」と宣言して、それまで通っていた短大を中退してしまったことで、両親と揉めていました。
 それもあって、「これからは歌じゃなくて、お芝居を頑張りたい」と思っても、まずはなんとか、今、この場で生き残っていかなければならないという思いもあったんですよね。

――ご自身で退路を断っておられたんですね。それで、どう行動されたのでしょう?

日郄:
 テレビ番組のレポーターをやったり、萩本欽一さんが大好きだったので、萩本さんの番組に出るためにオーディションを受けて、番組に出てみたり、目の前に来る仕事をどんどんやっていきました。ラジオもそのひとつでしたね。どんどんチャレンジして、芸能界のお仕事を増やしていきました。

――すごいバイタリティです。

日郄:
 でも、そうやって仕事が軌道に乗っていくと、なかなか本来の目標だった役者の道に戻れないんですよね。

――どういうことでしょう?

日郄:
 新人タレントがドラマに出たいとなったら、「スケジュールはこの一週間全部空いているので、お願いします」という感じじゃないと、事務所も売り込めないんです。
 レポーターだとかラジオだとか、ちょこちょこと仕事でスケジュールが埋まっているような状態だと難しいと。
 そう言われてがっくりうなだれていたとき、出演していたラジオに「声優に向いているんじゃないんですか?」というお便りをいただいて。
 そこで「声優になったら、セリフがしゃべれる。お芝居ができる!」と思ったのが、声優のオーディションを受けようと思ったきっかけなんです。そして「声優になったこと」が、人生の第二の分岐点ですね。

――そのファンの方、素晴らしい後押しをされましたよね。

日郄:
 ……ただ、実は『レッツゴーヤング』に出演が決まる前に、一度声優デビューの話もあったんですよ。

――ええっ!?

日郄:
 さきほどお話した、私のアイドルデビューのきっかけになった、『モンチッチ』を歌わせてくれた方は、そもそもアニメ関係の仕事をされていたんです。
 だからデビューの前に、アニメに出そうと考えてくれていたみたいで。『ニルスのふしぎな旅』のアフレコを見学させてもらったりしていたんですよね。
 でも私、そのお便りをいただいたとき、必死すぎて過去のアイドルデビューのときのそんな話はすっかり忘れていたんです(笑)。

――もしそこでデビューしていたら……歴史のifですね。

日郄:
 初めてのアニメ出演は、オーディションを受けて、『超時空騎団サザンクロス』でデビューすることになりました。その経緯も不思議で、まず当時の事務所のマネージャーさんが、古本屋さんで『日本音声製作者名鑑』を見つけてきたんです。

『超時空騎団サザンクロス』
(画像はAmazonより)

日郄:
 アニメや外画の吹き替えといったいろんな音響仕事のディレクターをしている人の名前と連絡先が載っている本なんですけど、マネージャーさんは私が「声優になりたい」と言ったときに、「気持ちはわかるし、叶えてあげたいと思うけどツテがないから、どうしたらいいか。即答はできない。ちょっと待っててね」といっていたんですね。
 それが、「ちょっと待っててね」からすぐ、「いいもの見つけちゃった!」とその本を持ってきて。向こうは興奮していたんですけど、私は冷めてましたよ。「へ、へえー……」みたいな(笑)。

――ようするに、ちょっと専門的な電話帳でしょ? みたいな……(笑)。

日郄:
 そうそう(笑)。でも彼が、その本のみなさんの経歴を拝見して、私に合いそうな作品を手掛けている複数の方のところに、私がラジオでしゃべっている録音テープと、履歴書を送ったんですね。そこから3ヶ月くらいで、『サザンクロス』の役が決まりました。

――うわ、すごい。

日郄:
 なかなかない話だと思うんですよね、「古本屋さんで見つけた本から、私の声優活動は始まった……」なんて(笑)。

――他にそうした方にお会いしたことは、たしかにないです。

日郄: 
 余談ですけど、萩本欽一さんの番組への出演も一般公募からですからね(笑)。
 マネージャーさんから一般公募を受けるようにいわれたとき、びっくりしちゃって。「え!? 『レッツゴーヤング』でデビューしてるのに、一般公募から!?」と。萩本さんの番組に出たいと相談したら、「任せておけ!」なんていってたのに。でも、「ごめんね!」のひとことでした(笑)

――そんな軽い調子で(笑)!?

日郄:
 マネージャーさんもまだ若かったので、共に経験値を積んでいったところがありました。ともあれ、その萩本さんの番組のときのことと比べたら、『日本音声製作者名鑑』を見つけてきたのは、少し成長している感じですよね。

――『サザンクロス』は大ヒットした『超時空要塞マクロス』のシリーズ作ですから、決まった作品もビッグタイトルですね。

日郄:
 運が良かったのは、歌える人を探していたところですね。
 『サザンクロス』ではサントラの中に入っているイメージソングをキャラクターとして歌いました。
 その役は3ヶ月の出演。その後すぐに『よろしくメカドック』のオーディションに受かって、これが6ヶ月続いて、その次はもう『タッチ』の浅倉南だったんです。
 だから、本当に音響監督名鑑を手に入れてからはすごくスピーディな展開でしたね(笑)。

■キャラクターソングの歌い手として

――声優としてのお仕事がスムーズに始まった理由は、ご自分としては今、どう分析されていますか?

日郄:
 歌の仕事をもともとやっていた人が当時は珍しい感じだったのと、それこそ『モンチッチ』の方が最初に声優として売り出すことも考えるくらい、声の仕事に向いていたのがラッキーだったのかなと思っています。
 だから声優になってからもずっと歌はついてきて、『サザンクロス』のあとも、『メカドック』もイメージソングがサントラに入っていたし、『タッチ』では挿入歌を歌わせていただいて、その流れで『らんま1/2』でキャラソン全盛期の世界に入っていく……。

――『らんま1/2』はアニメの90年代以降のキャラクターソング展開のパイオニアにあたるタイトルですものね。なるほど。

『決定盤「らんま1/2」アニメ主題歌&キャラソン大全集』
(画像はAmazonより)

日郄:
 そんなこともあって、歌手デビューしていたことの意味も、声優になったことであらためて考えちゃいましたよね。そういう経験をしていたことが、次の段階に進んだときの自分をサポートしてくれた。
 『レッツゴーヤング』の放送が終わる80年代の半ば頃には、アイドル業界では21歳くらいで「おばさん」と呼ばれていました。
 でも声優だと21歳ってかなり若手で、アイドル的な扱いをまた受けるようになって、南ちゃんの歌はいっぱい出るし、イベントもやるし、「ずっとまた歌ってるな」と感じていたんです。そこから『トップをねらえ!』とかも経て、20代後半になっても、人前で歌ってたわけですよね。

――扱いが全然違ったんですね。

日郄:
 20代後半に京都の太秦映画村でイベントをやったときに、たまたまアイドル時代に一緒だった子が同じタイミングで時代劇の撮影をしていて、思わぬ再会をしたんです。そのとき、「またアイドルやってるんだ!」って言われたのが、もう、なんだかおかしくって(笑)。
 「私も終わると思ったんだけど、声優業界に来たらまたこうなっちゃって!」みたいな返事をした覚えがあります(笑)。

■第3の分岐点:『サクラ大戦3』への出演「またミニスカートで歌うことに(笑)」

日郄:
 で、そんな声優としてアイドル的なことをする時期も終わったなと思ったら、『サクラ大戦3』への出演が決まって、またミニスカートで歌って踊ることに(笑)。声優って、本当に面白いですよね。
 この「『サクラ大戦』シリーズへの出演が決まった」ことが、私の第3の分岐点です。

『サクラ大戦3 巴里は燃えているか 原画&設定資料集』
(画像はAmazonより)

――なるほど! 『トップをねらえ!』からはまたしばらくあいだが空きますよね。

日郄:
 そのあいだに結婚して、出産もして……アニメ業界的には、「日郄さんもお母さんになったから、そういう役もお願いしてみようか」みたいな感覚だったんですよ。『ONE PIECE』のベルメールさんの役をいただいたのが、わかりやすいですよね。
 なのに、『サクラ大戦3』でヒロインのエリカをやってほしいと言われて、えーっ! ですよ(笑)。だってエリカは16歳の女の子ですよ。
 しかも『サクラ大戦』シリーズには歌が付きものということでオープニングとエンディングの主題歌のレコーディングがあって、さらにそのあとも舞台をやる度に新しい歌をうたい、OVAがある度にその新しい主題歌を歌い……と、ずっと歌い続けていたんですよね。

――アイドル的な活動は終わったかと思っていたのに、何も終わっていなかった。

日郄:
 おまけに歌をうたうだけじゃなく、『サクラ大戦』はステージで歌って、踊る。それを私、「16歳」としてやってるわけですからね(笑)。
 でもそこで、「やっぱりアイドル出身の人は動きが違うね!」って褒められたりして。フォーメーションがちゃんとできてたみたいなんですよ。
 自分の中では、声優になったとき本当に、どちらかというと職人気質な、いろんな声でいろんな演技をする役者になろうと思ったんです。だから男の子の役にチャレンジしたり、常に役の幅を広げたいと思いながらがんばってるんですが、なぜかそれと同時に、アイドル業もずっとがんばってるんです(笑)。

――めちゃくちゃいい話ですね!

日郄:
 私、芸能界に入ったとき、最初に目標としていた夢が、「学園ドラマで高校生を演じること」だったんです。声優になって、『タッチ』に出演したことで、女優として演じることができなかった学園もので中学生、高校生と演じられて、大満足だったんです。
 それで『タッチ』が終わるとともに、スタッフさんから「南ちゃんも成長したね」なんて声をかけられて、そのまま演じる役の年齢も上がっていくのかと思ったら、なんだかよくわかんないんですけど、ずっとそのまま十代の役を演じ続けられて。

――『らんま』の天道あかねはまた高校生ですもんね。

『やさしい、いい娘になれない』
(画像はAmazonより)

日郄:
 それでキャラソンまで歌って(笑)。
 でも、やっぱり何より大きかったのは、『サクラ大戦』でステージに引っ張り出されたことです。私がその当時の、普段の年齢で歌うとしたら選ばないような可愛い衣装を、「16歳」だからということで着させてもらって、セリフもゲームと同じく可愛くしゃべる。
 私が歌手デビューしたときに、サンデーズというグループで学んだことの究極形がここにあると思ったくらいですね。

――「究極形」とは、どういうことでしょうか?

日郄:
 サンデーズ時代は新人歌手だったので、右も左もわからなかった。自分が本当にこの仕事に向いているのかもわからなくて、一生懸命やってたけど、自信もなかった。
 びくびくしていたんです。でも『サクラ大戦』のときは、それから20年近い月日が流れていて、私は胸を張ってフォーメーションのダンスをアイドル要素満載で踊れるし、これまでの活動で培ってきたアイドル要素を全部ここに投入するのだ! と思い切りやれた。
 究極形……「これがアイドルの最終形態だ!」って思えたんですよ(笑)。

――たしかにいわれてみれば、それは究極のアイドルかも知れません。鍛え上げてきた技術で、最大級に可愛らしいキャラクターとして、ステージ上に存在する……。

日郄:
 そうです、そうです! だから本当に、「芝居」も子供の頃からずっと私についてきてくれたけれど、歌手と言って良いのか、アイドルと言って良いのかわかりませんけど、「歌」もずっとついてきてくれている感じが、私にはあるんです。
 そして今でも、『Non Fes』というイベントをやって、歌っているのがすごいなと自分でも思っちゃいます(笑)。
 「日郄さん、還暦おめでとう!」って言われながら歌っているのが、とても不思議で、面白いです。

――歌い続けることを大変だと感じたときもあったと思います。そんなときに支えになったことはありますか?

日郄:
 そうですね……それは、「歌手としてデビューしたこと」にこだわってきたことかもしれませんね。
 アイドルとして、歌手としてデビューする前から子役として活動していたと最初にお話ししましたけど、そのころの私は本名で活動していたんです。歌手になったことで、私は「日郄のり子」になったんですね。
 それ以来、自分が「日郄のり子」になった日にこだわりをすごく持って生きてきました。1980年12月1日の歌手デビューの日から、自分の活動の周年を数えてきたんです。

――「日郄のり子」の名前が支えになった。

日郄:
 なのに思い返せば、周年で特別な何かをしたことってなかったんです。それは歌手として大成功したわけではなかったからなんですけど、それでもやっぱり、その頃から応援してくださった方、名前を知ってくださっていた方もいる。
 やっぱり自分自身がそこを大切にしていこうという気持ちがあって、それが40周年を迎えたタイミングでアルバムを出したり、本を出したりといった活動に繋がっていったんですよね。

■自分から動くよりも、きっかけを育てるのが向いてるのかも

――そんな日郄さんが現在、生きる上でもっとも大切にしていらっしゃることはなんですか?

日郄:
 「人との出会い、作品との出会い。ひとつひとつの出会いに丁寧に、真摯に向き合い、そして楽しむ」ですね。
 真面目に取り組むだけじゃなくて、自分も面白がって楽しむ要素があったほうが、より良いお仕事になる、より良い作品が出来上がるな……と感じているんです。
 手を抜くわけではなく、自分が楽しそうと思ったことを見過ごさずに、ちゃんと向き合って、関わっている時間を楽しむことを重視する。
 そんなふうに最近は考えるようになっていて、仕事に限らず、プライベートでの考え方も一緒ですね。だから、日々の過ごし方、時間の使い方はかなり意識しています。

――具体的にはどんなことに気を付けてらっしゃるんですか?

日郄:
 少しゆるくなることですね。これ、伝わるかなぁ……ちょっと前に、梅干しを漬けていたんですよ。梅干しって、作る過程で3日間天日干しをしないといけない。
 でも私は、仕事がところどころに入っているじゃないですか。だから「この日は10時半から17時まで干せました。次の日は10時半から13時までしか干せません」とか、そういうことになりがちなんです。

――声優さんのお仕事はイレギュラーなスケジュールも多いですもんね。

日郄:
 それでも「まあいっか! ちゃんと干すだけ干したもんね!」って考えるようにする(笑)。「こんなに余裕がないから、絶対できない!」と考えないようにすること。それだけで、かなり違いますね。
 「完璧にできなきゃ駄目だ」って思い込みをなくして、最善を尽くす。

――日々時間に追われているので、刺さるお言葉です……。未来の目標はいかがですか? 野望のようなものはあられるのでしょうか?

日郄:
 野望はないですけど、地味に願っていることはあります。「いろんなお仕事をいただくので、それが全部こなせるように、常に健康でいたい」ですね。
 それが何より一番の目標なんですが……あ、でもそうだ。野望、ありました!

――お、気になります。

日郄:
 「日高のり子」40周年記念で、本当だったら全国巡りをしたかったんですね。小さいライブハウスで「語りと歌」みたいに、行く先々のそこに住んでいる方たちに来てもらって、「ありがとうございます」の気持ちを直接伝えてまわりたかった。
 でも、コロナ禍でそういうことができなくなって、形を変えて「Non Fes」でみなさんに来てもらうという形になったのですが、まだその全国行脚の目標はなくしていないんです。

2021年に行われた、日郄のり子さんの『NonFes』の様子。

日郄:
 デビュー当時にやっていたように、本とかCDとか、そういうのをみなさんに手に取っていただいて、「ありがとう」の声が届く距離で何かしたいなっていうのを、ずっと目標にしています。例えば土日だけを使って回るとか、長い時間を掛けてちょっとずつでもいいから、そういうことができたらいいなというのが、私の野望ですね。

2022年に行われた、日郄のり子さんの『NonFes』の様子。

――お芝居の面ではどうでしょう? 幅広い役をすでに演じておられますが、さらにやってみたい役柄はあったりしますか?

日郄:
 最近外画の吹き替えをよくやらせていただいているんです。アニメを多くやらせていただいていたので、違いが面白いですね。
 それから時々ドラマにも出させていただくんですけど、来る役の年齢が大体55歳か56歳なんですけど、それも面白いんです。どちらも実年齢に近いところでやるお芝居というか。

――外画の吹き替えと実写のお芝居には近いところが?

日郄:
 アニメの声のお芝居では、キャラクター性を若干強めに出すんです。でも外画の吹き替えは人間が演じているものなので、普通に近いしゃべりが求められる。そういう意味ではドラマと近いなと、私は思っています。
 その大人のセリフを普通にしゃべるお芝居が、今はすごく面白い。裏で何を考えているかわからない怖い人を演じるだとか、非日常的な芝居をやるのも相変わらず楽しいんですけど、そうじゃない日常的なお芝居に魅力を感じていて、だからそういう役柄というか、ジャンルにもっと関わってみたいですね。

――そういう自然なお芝居だと、それこそ舞台もやれそうですしね。

日郄: 
 実はそういうお話もあるんです。山口勝平くんから台本が送られてきて、「いつやるかわからないけど、読んでおいて」とだけいわれている作品があって。本当に実現するかどうかわからないですけど、出来たら面白いなと思います。
 そんな風に受け身な感じではあるんですが、今までもずっと、なんとなく自分がいただいたものを大切に育てていったら、それが多くの方に支持していただけた。

 そういう経験が多かったので、きっと私は、自分から動くよりも、チャンス、きっかけを掴んで、それを育てるのが向いている人なのかもしれません。だから怯んだり臆したりせず、声を掛けてえもらったものに対しては、その中で自分に何ができるかを考えて、チャレンジしたいなって思っています。

――失礼のない範囲なのは当然として、日郄さんとお仕事をしたいと思っている方は、気後れせずにどんどんご依頼をしてみるといいのかもしれませんね(笑)。

日郄:
 そうですね(笑)。最近驚いたのは高校野球のPRの広告ですよ。

日郄:
 まさかメガホン持って、野球のボールを持って、浅倉南と並ぶなんて。大丈夫かな私!? って思いながらやったんですけど、仕上がったビジュアルを見たらわりとハマってたように自分では思えたので、やってみるもんだなと思いました。
 完成したものを見るまでは、すごくドキドキしましたけど(笑)。今でもそういう仕事に対する柔軟性はある方だと、自分では思っています。

 “お芝居をしたい”という子供の頃から抱いていた夢のために、芸能界に背水の陣の覚悟で取り組んでいた日郄さん。
 アイドル歌手として活動してるときには、迷いもあったと語る彼女だったが、その時代に積み上げてきた努力が後のキャラソン全盛期のヒロイン役として活躍後押しし、『サクラ大戦3』の舞台活動を支えることになる。

 本気で取り組んで来たことは、巡り巡って人生のどこかで自分を支えてくれる。

 チャンスは自分から動いて掴み取るものであると同時に、日郄さんの言葉どおり「育てるもの」なのかもしれない。
 日郄さんの、これからの活躍にも益々注目していきたい。

■日郄のり子さん直筆サイン本をプレゼント!

 インタビュー後、日郄のり子さんに直筆サインを自著に書いていただきました。今回はこの書籍を1名様にプレゼントします!
 プレゼント企画の参加方法はニコニコニュースTwitterアカウント(@nico_nico_news)をフォロー&該当ツイートをRT。ご応募をお待ちしています。

■日郄のり子さん撮りおろしフォトギャラリー

 インタビュー後、日郄のり子さんのフォト撮影を行いました。
 記事とあわせて、ぜひお楽しみください。

■関連情報

■Non Fes Halloween Party Returns

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【東京公演】
●開催日時:10 月22 日(土) 開場15:15 開演16:00
●会場:チームスマイル豊洲PIT
●出演:日郄のり子 and…
亜咲花/アルスマグナ[※東郷スバルの出演はございません]/angela/
うじたまい/all at once/熊田茜音/栗林みな実/椎名へきる/鈴木このみ/七海ひろき/
新田恵海/降幡愛/三ツ矢雄二/宮川愛李/山口勝平/山寺宏一/YURiKA(*五十音順)
●MC:長谷川のび太(文化放送アナウンサー)
<チケット> 3 歳以上有料・枚数制限4 枚
■プレミアムチケット1【オリジナル特典:.撻鵐薀ぅ鉢■團轡礇牒アフタートーク参加券】
¥16,500(税込)・ドリンク代別
■プレミアムチケット2【オリジナル特典:.撻鵐薀ぅ鉢▲▲侫拭璽函璽参加券】
¥13,000(税込)・ドリンク代別
■全席指定【アフタートーク参加券付き】¥9,300(税込)・ドリンク代別
■全席指定 ¥8,800(税込)・ドリンク代別
※ペンライト、T シャツ、アフタートーク参加券(オリジナルラミネートパス)は
会場でのお渡しとなります。

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【大阪公演】
●開催日時:10 月29 日(土) 開場15:15 開演16:00
●会場:メルパルクホール大阪
●出演:日郄のり子 and… angela/井上喜久子/うじたまい/大原ゆい子/all at once/
GARNiDELiA/熊田茜音/栗林みな実/椎名へきる/鈴木このみ/三ツ矢雄二/宮川愛李/
山寺宏一(*五十音順)
●MC:長谷川のび太(文化放送アナウンサー)
<チケット> 3 歳以上有料
■プレミアムチケット1【オリジナル特典:.撻鵐薀ぅ鉢■團轡礇帖曄16,000(税込)
■プレミアムチケット2【オリジナル特典:ペンライト】¥12,500(税込)
■全席指定 ¥8,800(税込)
※ペンライト、T シャツは会場でのお渡しとなります。

[Ticket Information]
只今、イープラスはじめ各プレイガイドで発売中です!
東京・大阪 各公演で[●出演者][●チケットのカテゴリーと料金]が異なりますので、
それぞれのラインナップ及び公演詳細は
日郄のり子公式サイト
Non Fes ハロパ Returns 公式Twitter 
でご確認ください!

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